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2024年12月30日月曜日

20241228-30_仙ノ倉山 北尾根(敗退)

      20241228-30_仙ノ倉山 北尾根(敗退)

メンバー:沼田(3,記録),河本(2)  ,   落合(1),鈴木(1)
天気:
day 1 雪
day 2 午前 晴れ,午後 雪
day 3 快晴  
ヤマレコ

 day 1
0706 駐車場 出発
1430 幕営地

 day 2
0848 出発宿泊地
1000 駐車場
1600 幕営地,雪洞泊

 day 3
0724 幕営地
0952 駐車場

 day 1
積雪が深すぎて歩行距離を全然稼げない.頑張れば日没前に群大ヒュッテまで行けるかどうかというところだったが,河本・鈴木の希望もあり林道の林の中で幕営することにした.幕営準備に2人,ルート工作ラッセルに2人に分かれて,各位作業を進めた.内張りへの結露がひどく,翌朝はテントの床に水たまりがいくつもできていた.降雪でテントが圧迫されたこともあり,生活環境は悪かった.

 day 2
このペースでは山頂にはたどり着けないこと,河本のウェアが濡れて体力・やる気が消耗していることを理由に,2日目にして進むことを辞めた.河本を入山口まで送るついでに,もう使わない装備及び食糧を車にデポするために駐車場まで戻る.午後は雪洞作成練習をした.積雪深は充分だが上部は新雪なので深めに(2 m)掘って入口の横穴を掘り始めた.枝が出てきてしまったが,斜面に平行に掘り進めることで土にぶつからず広げることができた.これは良い対応だったと思う.この晩はこの雪洞に泊まった.夜中,90 minくらい毎に天井から滴り落ちる水の処理をした.雪洞の天井の手入れが甘かったということか.

入口の様子

撤収前に鈴木が撮影

 day 3
夜が長い.昨日よりも寒さを感じる.04:30くらいに起きて外に出て,テントまでの数十メートルを雪かきした.このとき既に雪はやんでいた.いい感じに体が温まった.06:20 2人を起こして朝食をとる.雪もやんでいたのでテントの撤収を始めた.3日目は気持ちの良い快晴.


 【感想・反省】
 林の中のほうが降雪が少ないと期待してテントを張ったが,枝の葉の上に積もった雪が頻繁にドサッと落ちてきてテントを圧迫した.夜中の降雪量を見越してテントの周囲を除雪するべきだった.また,結露した水がテント内部に溜まり装備を濡らすので,地面に傾斜をつける,端を掘り下げてそこに水が溜まるようにする,などの対策を取るべき.テント内部の環境がここまで悪化したのは初めてだった.プラス気温の湿雪豪雪地帯は大変だ.

 雪洞はテントと比べて床に水が溜まらない快適さがあるが,天井や壁の細工を入念に行なわないと環境が悪化する.次は手を抜かず作りたい.

 積雪量が多かったとはいえ,一昨年よりも先に進めなかったのはやはり悔しい.しかし,この時期はもはや人がまともに歩ける積雪量ではないと思う.正直,ラッセル地獄はもうお腹いっぱい.仙ノ倉山北尾根リベンジは2 or 3月にやろうかな.この時期に4日間も日程がとれるなら八ヶ岳とかに定着したい欲が大きい.

2024年12月15日日曜日

20241214-15_初冬合宿@谷川岳西黒尾根

 20241214-15_初冬合宿@谷川岳西黒尾根

メンバー:尾高(3・L)、河本(2)、落合(1)、鈴木(1・記録)
天気:1日目 雪
   2日目 晴れ

1日目
8:37 土合駅着
9:20 土合駅発
12:30 標高1290m付近にてテント設営・訓練
19:00 就寝

2日目
4:30 起床
6:00 幕営地発
9:40 谷川岳(トマの耳)
11:00 幕営地・テント撤収
13:15 谷川岳ロープウェイ駅

1日目(12/14)
鈴木・河本・尾高は炊事門前に集合し、渋谷駅4:37発の電車に乗車。在来線を乗り継ぐと渋谷から土合駅まで往復4950円でアクセスできる谷川岳は、初冬合宿の行き先として最適なのである。落合とは赤羽駅で合流したのだが、なぜかバラクラバをしっかり着用していたので不審者に見えた。先に述べておくが、初冬合宿ではのんびり休憩することもなかったので、写真はこのときの不審者に見える落合と山頂での集合写真くらいしか撮ることができなかった。

電車も順調に運行して土合駅に到着し、長い長い階段を歩く。改札を出て準備を済ませ、出発しようとしたところで雪が降り始めた。駅から登山口までの道路が意外と長く、登山口からのトレースは序盤こそあったものの、その後は雪が降り続いていたこともあって、ほとんどなくなっていた。1年生にラッセルを経験させることが初冬合宿の目的の一つであるため、落合と鈴木は適宜交代しながら先頭を歩いた。河本さんは、ジャンケンに負けて持つ羽目になった竹竿が度々木に引っかかり、大変そうだった。途中で一度小休憩を挟み、昨年も幕営したという標高1290m付近のに到着。幕営場所と訓練時間も考え、今年も同じ樹林帯で幕営することになった。

テント設営を終え、まずは落合と鈴木でラッセル競走大会をした。2回とも落合が優勝。2回目は河本さんも参加させられていた。来年は参加者が増えることを期待したい。その後、ビーコン捜索訓練を2回行った。ビーコンやプローブの扱いに苦戦し、時間がかかってしまった。その後は一年生を雪に埋めたり、弱層テストをしたりと雪崩対策の訓練を行った。雪に埋まる経験をしておくことで、実際の雪崩遭遇時でも焦ることなく、落ち着いて救助を待つことができるようになると感じた。気づけば日も傾く時間になったので、テントに戻った。近くには中央大学のパーティーもテントを張っていた。人数はこちらの倍くらいいるようだ。明日のための水を作りつつ、夕食は落合が作ってきてくれたペミカンを食べた。思いの外、夜は寒さを感じることなく眠りにつくことができた。

2日目(12/15)
この日は4:30にセットしたはずの目覚ましが聞こえず、落合の声で目が覚めた。棒ラーメンを食べ、必要な装備をザックに詰めて出発。日の出前だったが、ヘッドライトはいらないくらいの明るさだった。

最初の4、50分くらいはモルゲンロートを狙って早くに行動していた方々のおかげでラッセルすることなく進めたのだが、その後は写真を撮っていた方々を追い抜いたこともあってラッセルをすることに。途中、先頭でラッセルしていた河本さんが雪庇を踏み抜き滑落しかける場面もあったが、運よく直下に足場を確保でき、怪我はなかった。雪庇に注意しつつラッセルを続けること数時間、トマの耳に到着した。ラッセルを始めてからは6、7割の道を我々4人が作り、残りは3、4人のベテランのおじさんがラッセルしてくださった。その中には、昨年も谷川岳に登り、初冬合宿で来ていた河本さんと尾高さんに会っていた方々もいらっしゃった。何という偶然だろうか。実は後ろにもっと人がいたのだが、休憩やら何やらでラッセルには参加されなかった。出発時には同じく準備をしていた中央大学のパーティもなぜかいなかった。この日は気持ちいいくらいの晴天で、途中では富士山、山頂からは日本海まで展望できた。オキの耳はいいだろうということになって、すぐに下山した。

道中すれ違った人からは「ラッセルお疲れ様でした」「助かります」「ありがとうございます」などと声をかけていただき、嬉しく思った。帰ったのかと思われた中央大学とのパーティとも遭遇した。あとで分かったことだが、テントを撤収してから登り、ロープウェイで下山したようだ。

電車の時間がうまく合わなかったので、バスで水上駅まで行くことになった。事前に学割切符を購入していたので、「電車を待とう」とごねた落合・河本・鈴木の3人だったが、尾高さんから「この前のトレランも頑張っていたし、代わりにご飯奢るよ」といって1000円を渡されると、ものの見事に手のひらを返したのであった。高崎駅構内の釜飯屋、荻野屋さんで大満足のご飯を食べ、帰京した。充実した初冬合宿であった。

 怪しい出立、通報されてもおかしくない

土合駅名物の階段

一緒にラッセルした方に撮っていただきました!!

2024年12月6日金曜日

20241206_城山

 20241206_城山

メンバー:尾高(3L)、落合(1記録)

天気:晴れ

1000 駐車場ー南壁ー1630 駐車場

小田原から車で 2 時間で城山に着く。駐車場には 3 台くらい止まっていた。駐車場から徒歩 5 分で南壁取り付きに到着する。元々は南東壁のマッドマックスをのぼる予定だったが寒いので日がよく当たる南壁のバトルランナーをのぼった。けれど南東壁の方が風は弱かったかもしれない。

1p リード:尾高 すぐ左にトップロープをしているパーティがいたが登り始める。ハングを左から巻いたところで ピッチを切る。

2p リード:落合
行けそうだと思ってリードしたが 1 ピン目をとる前に詰まる。その後のハングは 右側の弱点から越える。核心のハングの 1m ほど手前でピッチを切った。

3p リード:尾高
10b のハングを尾高さんは超えたが、私は段々フォールする位置が下がってき たので結局ヌンチャクを掴んでなんとか突破した。そしてトップアウト。

懸垂下降 2 ピッチで下まで降りた。

そのあとは少し遊んでから帰った。

強風には辟易したが城山の岩場は景色がよくとてもきもちよかった。


2024年11月30日土曜日

20241130_アイゼン登攀訓練@日和田山

 20241130_アイゼン登攀訓練@日和田山

メンバー:沼田(3・L)、河本(2)、落合(1)、鈴木(1・記録)
天気:晴れ

7:00 女岩
15:00 解散

河本さんと落合は電車集合だったが、鈴木は沼田さんが車を出すというので、同乗させていただいた。5:00集合だったのだが、そのとき気温は5℃だったらしい。

沼田さんと鈴木が先に女岩に到着し、トップロープの準備を兼ねて振分懸垂をしようとしていたところで河本さんと落合も到着。ここからしばらく人は来なかった。2つのルートを用意してアイゼン登攀を始めるが、初アイゼン登攀の落合と鈴木は中々に苦戦する。特にアックスの決まりが悪く、結局アックスを置いて冬山用の手袋装備で登ることにしたのだが、ホールドが掴みづらくてこれも中々難しかった。中でも左側のルートが難しかったのだが、沼田さんはトップアウト手前まで両手にアックスで登っていた。一応自己ベストだそう。その後、左側のロープを別の場所にかけ直したが、ここは正直簡単だったのでアイゼンの前爪で立つことを身につける良い練習となった。

昼にかけて日差しも出てきて気温が上がり、アイゼン登攀が一段落したところで岩場も混んできたので、滑車法の練習をすることになった。この滑車法、システムの理解が難しく(特に文系)、持っていたギアで最適な方法をあれこれ試しているうちにあっという間に時間が過ぎた。15:00近くになってみんな飽きてきたので訓練終了。現地解散した。

復路は鈴木も電車で帰ったのだが、飯能駅で電車を乗り換えたとき、後から乗ってきた登山帰りの高齢男性に落合が席を譲っていた。その男性は「親切をされると心が温かくなるよね」と言って落合に行動食の余りをあげていた。そして、なんと端にいた連れの私にまでバカうけのりしお味を分けてくださった。お疲れだったのか、その後男性は眠ってしまったのでお話しすることはできなかった。旧暦では既に冬に入っているが、昼以降の天候も相まり、秋の暖かさを仄かに感じた日であった。



難しい方のルートに沼田さんが挑戦中

2024年11月23日土曜日

20241123-26_南アルプス深南部千頭森林鉄道跡-合地山

20241123-26_南アルプス深南部 千頭森林鉄道跡-合地山 

記録:河本(1、2日目) 、落合(3、4日目)
天気:晴れ (1-3日目)、曇り(4日目)
メンバー:沼田(3、L)、河本(2)、落合(1、食糧) 

予定
一日目:寸又峡温泉-(寸又川右岸林道)-千頭堰堤-(日向林道)-寸又橋-(千頭森林鉄道跡)-大根沢出会
二日目:大根沢出会-(千頭森林鉄道跡)-釜ノ島小屋-(寸又川左岸林道)-柴沢小屋
三日目:柴沢小屋-合地山-諸沢山
四日目:諸沢山-日向林道合流点-千頭堰堤-(右岸林道)-寸又峡温泉 

行動結果
day 1: 0520 寸又峡温泉- 0730 千頭ダム-(寸又川右岸林道)-千頭堰堤-(日向林道)-0920 寸又橋-(千頭森林鉄道跡)-1630 小根沢停留所
day 2: 0600 小根沢停留所-(千頭森林鉄道跡)-1700 釜ノ島小屋
day 3: 0610 釜ノ島小屋-0900 柴沢-1255 合地山-1600 1541ピーク
day 4: 0600 1541ピーク-0700 諸沢山-0920 日向林道合流点-1120 千頭堰堤-(右岸林道)-1200 寸又峡温泉


この山行はは去年同時期に行われた山行のリベンジとして計画されたものであり、廃道ライターのヨッキれんさんがホームページ「山さ行かねが」に上げている山行記録を参考に、この地の林業資源を運び出すために建設された千頭森林鉄道の軌道跡の最深部を訪ねる計画だ。事前調査が足りなかった前回の反省を生かして事前調査をより詳細に行った。ほぼ唯一と言って良い山行記録であるヨッキれんさんの記事を読み込み、軌道跡や左岸林道、日向林道が載っている旧版地図を国土地理院の九段下の事務所に赴いて取得し、さらに予備日を含めて5日の日程を空けて置いた。また崩落地通過のためにロープやアックス、渡渉用のサンダルも用意した。こうした工夫が功を奏したのか軌道跡を最後まで歩き通すことができ、トラス橋やトンネルといった様々な林業遺構を見ることができて嬉しい。


11/23
記録:河本
天気:晴れ
大間集落(寸又峡温泉)に到着してすぐに準備を済ませてヘッドライトをつけて出発し、ここもかつては軌道跡であった舗装された右岸林道を2時間半ほど歩くと千頭堰堤に着く。千頭堰堤の上を左岸に渡ってすぐのところにある登山道を30分ほど上がり日向林道へ出て、しばらく日向林道沿いに寸又川によって削られた急峻な谷の斜面を横切るように川の上流方向へ進む。日向林道は去年と相変わらずで歩きやすいところも多いが、上から土砂が流れてきたであろう崩落地が多数存在し、土砂が林道の寸又川側の端まで到達しているところでは、林道端は川に向かって切れ落ちているため滑落すると数百m下の河原まで放り出されると思われ、ミスが許されない。崩落地のトラバースは今回の山行で最もよく出てくる危険箇所だが、土砂や石の斜面は安息角を越える斜面にはならないので、角度も高々45度であり足元が崩れて多少滑っても足を突っ張れば止まることも多いが、崩落地のすぐ下が切れ落ちているところはそうは行かず滑落したら即お星様になってしまうので怖い。この林道も崩れていないところでは車がすれ違えるほどの道幅があり、急峻な山の中で旧千頭林営署が相当予算をかけて作ったと思われるが、見るも無残な状態になっているのを見ると自然の復元力の凄まじさを感じる。前回使った左岸林道へつながるであろう登山道の梯子を見送り、寸又橋を少し超えたところにある吊橋へつながる細い踏み跡の分岐で吊橋方面に進み板が腐りかけている吊橋を渡ると目的の千頭森林鉄道の軌道跡に出る。軌道跡は単線の線路が敷けるくらいの道幅で作られたと思われ、寸又川が削ったV字谷の斜面を横切るように走っている。崩れていないところは歩きやすいが、半分以上の道のりは崩れており崩落斜面のトラバースや崩落によりできた岩場の登攀などが混じる。道中には石垣やトラス橋、トンネルや林業や鉄道駅などとして使われたであろう木造の廃屋などの林業遺構がたくさんあり薄暗く険しい道程ではあるが楽しい。コンクリートの平均台を渡るところやトラス橋などといったいくつかのポイントを越えると大樽沢停車場に着く。2階建ての木造小屋でギリギリ泊まれそうである。その先の橋が落ちてレールだけが残るポイントではロープを出して右壁を高巻きし、前回未踏のエリアへ入る。一箇所ヨッキれんさんの記録にはないであろう新しい崩落地があったが懸垂下降を使って通過した。蔓性の木本が密に絡みついた高い鉄橋を渡るところは足を引っ掛けて転ばないか非常に怖かった。その後橋が落ちているであろう箇所で懸垂下降と残置ロープを使っての登り返しをし、小根沢停車場に着くと日没間近だったのでここで泊まることにした。使えれば廃屋に泊るつもりで来たのだが崩壊がひどいため近くにテントを張った。
右高巻き


蔓が巻き付いた橋

小根沢停車場




11/24
記録:河本
天気:晴れ
小根沢停車場を少し探索してから前進を開始した。小根沢から上流のすぐに崩落地があり斜面が急で締まっており危険と判断したのと、その先も通行困難な箇所が予想されたため一度懸垂下降で河原に降りて軌道跡へ復帰できるところまで河原を歩いた。このとき渡渉の必要があったためサンダルに履き替えて、ズボンを脱いで渡渉した。深さは膝上くらいだったが、水は非常に冷たくもうこれ以上渡渉はしたくないと思えた。河原から見た崩れかけの軌道跡は壮観である。聳え立つ崖の斜面を切り崩し、険しく無常感が漂う千頭の山という魔界の中で一定の秩序を築き保守しようとした人類の努力と、それを尽く無に帰してしまう自然の動的平衡を保つ作用のせめぎ合いを生々しく感じられる。もちろん自然の大勝利であり、崩落し放題の暗い谷底には悲壮感が漂う。崩落地を越えるとガレた斜面を伝って軌道跡に復帰する。その後大根沢合流点までは支流の沢にかかる小さい橋が落ちている箇所が続き多少苦戦したが、大根沢から栃沢までは旧地図に軌道跡沿いに登山道が書かれてあり、鹿の踏み跡があり歩きやすい。栃沢から先は牛馬道の区間であり、レールが敷かれていたかどうかはわからないが、短いレールが落ちている箇所が散見された。はじめは歩きやすい区間が続き、人里離れた山奥にいきなり檜の植林地が現れたり、車両の行き違いのための複線区間のような箇所が見られた。しばらく進むと崩落地や木造橋が落ちた所を越える必要のある箇所が釜ノ島小屋まで頻繁に続く区間に入り、かなりペースが落ち、疲れも出てくる。このあたりからは斜面すぐ上方に林鉄廃線後に山奥へのアクセス手段の代替として建設された寸又川左岸林道が走っており、建設時に生じた土砂が軌道跡に落ちてきていて、崩落地が非常に多い。そんな中日没時刻が近づき、幕営適地を探しながら進むも寸又川はゴルジュになっており、軌道跡は崩落し放題の急斜面にあり、軌道跡を探すのも難しくどうしようかと焦りながら進んでいるうちになんとかGPSによると釜ノ島小屋のすぐ近くであろう所まで着くが、どうやっても通過できそうにない崩落地に出くわし、右側の岩を見るとなんとトンネルのような穴がある。入ってみると途中で閉塞しているがこれは記録にはなかったものである。見つけられて嬉しい。トンネルから出ると急いで道を戻り、崖をよじ登って左岸林道へ出て、真っ暗になるギリギリに無事釜ノ島小屋へ到着する。近くの沢で水を汲み、ここでもテントで宿泊した。釜ノ島で廃線跡らしい区間は終わりである。
渡渉

大根沢橋梁


トンネル


トンネルの内部


未記載のトンネル





11/25
記録:落合 
天気:晴れ 
前日に釜の島に着いた時にはもう暗くなっていたのでこの日の朝に釜の島の廃屋を見にいく。いくつかある建物のうちいくつかは壁や天井が無くなっていたが、そうでないものは扉が開いていて中には動物のフンがたくさんあった。部屋は畳だが、何にせよ動物のフンだらけなので使いたくはならない。


千頭林鉄跡は釜の島から数百メートル手前でトンネルが崩落していて、そのトンネルの出口も見つからなかった(出口も左岸林道工事の影響で埋もれている可能性がある)が、釜の島で千頭林鉄と左岸林道が合流するので釜の島から柴沢までは左岸林道跡を辿る。釜の島からしばらくは左に見下ろす寸又川がゴルジュになっており凄まじい。直ぐに人が通れる代物ではない大崩落地が現れるので高巻いて懸垂下降で復帰する。高巻くと反対側の林道に降りるために設置されたと思われる黄色ロープが垂れ下がっていたが念の為それより奥から懸垂下降した。
高巻きしたところ
ここからは時々鹿の踏み跡付き崩落地の簡単なトラバースがあるが、基本的には前日までとうってかわり広い道幅いっぱいに苔で覆われた左岸林道跡を爽快に歩く。河本さんが言う「左岸林道は人間が滅んだ10年後の世界のようだ」は非常に的を得ている気がする。
左岸林道のトラバースは落ちても水ポチャするだけなので怖くない
左岸林道の苔

柴沢小屋手前で光岳に繋がる吊り橋が現れる。この橋はズタズタボロボロで、主塔手前の床木を踏んだら...抜けた。こんな吊り橋は渡ってみたくなるもので、河本さんが先陣をきって絶対に落ちなさそうなワイヤーにセルフをかけながら渡った。続いて落合も渡り、「ビビリ散らかしてるじゃないですか」と言ったら河本さんも床が抜けないか心配だったという。光岳への登山道も使う人がいないので好き勝手に荒れていた。ここから光岳に行くのは面白そうなのでいつか行きたい。
写真だとボロさが伝わらないですね

少し進んで柴沢小屋に着く。ここのトイレも誰も使わないので見た目と臭いのギャップが世界一だ。無臭のボットントイレに臭いをつける度胸はないので外でしたくなりますよね。小屋も中は綺麗で、3人くらいは寝られそう。
柴沢小屋外


柴沢小屋の少し先には千頭山に続く吊橋があり、こちらもなかなかだった。
柴沢でフル充水してからは汗をぶちまきながら小屋の目の前の斜面を登って尾根に出る。尾根に出てちょっと行った所で沼田さんがカモシカを見つけたが逃げてしまい私は見られなかった。合地山に続く尾根は登るにつれて倒木が増えてくる。山頂付近だけ薄ら雪があった。その後、途中から落合が先頭だったが彼の読図がポンコツで進むのに時間がかかり目的地の諸沢山遥か手前の適地にテントを張ることになってしまった。誠に申し訳ないのでそろそろ本気出します。

11/26
記録:落合 
天気:曇り
夜中に雨が降っていて、雨で濡れた日向林道のトラバースを考えると怖くてよく眠れなかったが朝には止んでいたのでよかった。尾根が細くなっている場所もあったが、暗いうちから行動する。諸沢山に登ってからはしばらく読図の練習をしながら降りて日向林道に出る。林道に出る直前が急勾配になっていた。
もうすぐ日向林道
日向林道の崩落地トラバースは千頭林鉄や左岸林道のそれと違って落ちたらバイバイなので行き同様ずっと気が抜けなかったが、行きよりも怖さを感じなくなっていた。千頭ダムまで降りてきてようやく人の気配を感じる。この山域の登山者は珍しいようで千頭ダムでは作業員の方に話しかけられたりした。
ここでお気づきいただけただろうか。行きで2時間半かかった寸又峡-千頭ダム間の林道が帰りは30分で済んだ。というのも千頭ダムから5分ほど歩いたところでダムで話した超優しい静岡の天使に車で寸又峡温泉の駐車場まで送ってもらったからだ。臭い我々を車に乗せてくださり大変恐縮です。
我々を寸又峡温泉まで乗せてくださったおじさんですら輝かしき頃の千頭林鉄を知らないとのことだったので、その忘れ去られようとしている有様を思うと情に訴えかけてくるものがあった。
そして2010年のヨッキれんさんの調査がなければもっと時間がかかっていたし、なにより今回の山行は実現されなかった。ヨッキれんさんにも感謝しかないです。
記録を書いているといつも思うのだが、必要最小限の情報をサクッと記した簡潔なものが良いのか、ちまちまと冗長な記録が良いのかどちらなのだろうか。読む分には前者がありがたいのだが書いているとつい長くなってしまう。こんなに長い記録にお付き合いくださりありがとうございます。

2024年11月10日日曜日

20241110_日光国立公園マウンテンランニング大会

 20241110_日光国立公園マウンテンランニング大会

記録:河本
メンバー:河本(2)、落合(1)、鈴木(1)
天気:曇り時々雨

今回は大会主催者の方にご招待頂いた日光国立公園マウンテンランニング大会に参加した。コースは3種類あり、ロングが56km、ミドルが35km、ショートが15kmである。今回参加した3人は河本がロング、落合がミドル、鈴木がショートとなんと全員が違うコースになってしまった。別に仲が悪いわけではない。

私が走ったロングコースを中心に記録を書く。56kmの山道を走るのは初めてなので目標は制限時間の8:30以内にゴールすることである。ロングコースは東照宮付近をスタートし、国道120号沿いに進み、戦場ヶ原のあたりから林道に入り男体山の北側を回り、スタートに戻ってくるというようなコースになっている。スタートしてからいろは坂まではゆるやかな登りで、周りの走者の様子を伺いながら少しずつペースアップをしていき他の走者を抜いていった。いろは坂はかなりの急登でここで体力を使い切らないつもりでいたがかなり疲れてしまった。いろは坂の先は中禅寺湖沿いに比較的平坦な道が続くのだがいろは坂での疲労が効いていて途中何度か歩きながら水分補給をしてしまった。この区間は湖の景色が良い。ここでスタート付近で抜いた人との差が縮められてしまったと思う。戦場ヶ原の補給所に寄り、飲み物と食べ物を頂いた。疲れていたので梅干しと羊羹が美味しかった。ここで26km地点で2:30程で来れているので疲れていることを抜いては順調である。その後すぐにコースは林道へ入る。林道はさらに急な登りが多く、ここで体力を使い切ってしまったように思う。第三補給所がこのコースのピークで、そこからは下り基調になるのだが、それまでは上り坂がしんどかったのが平坦な道もしんどくなり、仕舞いには緩い下り坂ですらきつくなり、急な下り坂でしか快調に走れなくなってしまう。この下りで多くの走者に抜かれ、前半余裕そうに見えた制限時間内のゴールが怪しくなっていた。下りの長さに苦しめられながら7:20でゴールした。長い道のりを走り切れた満足感は大きい。ただ私の順位は真ん中ほどで、ロングコース参加者のレベルの高さを実感した。ゴールすると先に終わった鈴木と落合が待ってくれていた。ありがとう。その後日光駅で湯葉丼を食べて帰宅した。

この大会のために練習としては奥多摩から秩父へのトレラン、奥多摩駅から雲取山往復のトレラン、八王子から羽田空港までの川沿いのランニングなどをしてきたが、山道の56kmは初めてだったのでそれを練習しておいた方が良かったかもしれない。

最後に大会にご招待頂きありがとうございました。楽しかったです。

2024年10月27日日曜日

20241027_二子山中央稜

 20241027_二子山

メンバー:沼田(3L)、鈴木(1)、落合(1、記録

天気;曇り

0530 駐車場発 

0600 中央稜登攀開始

1040 トップアウト

1650 中央稜発

1710 駐車場

中央稜取り付きに行くまでの道中、祠エリアの岩場を横目に歩くのだが1番右のピーマンみたいな名前のルート以外は手も足も出なさそうである。必ずこれらを登る力をつけます。

リードは全て沼田さん。

中央稜のトポに載っている1pはつまらないとのことで右にあるクラックを登ったら1pを終えるまでに1時間半以上かかってしまった。クラックに乗り移った後に次の手を考えているうちに腕が号泣してしまいフォローの私はA0祭りとなってしまった。

2pも右に行くと難しいとのことで一旦右に行ったが岩が濡れて渋いとのことでトポ通りに左上した。ここはなんてことない。

3pは一箇所ザックが邪魔で身体を左に捻られず開いてしまい上がれず、後ろに別パーティが来ていたので諦めてスリングを持ってしまった。早くザックを言い訳にしないようになりたい。

4pはトポに×と書かれた所を登った。果たして×は何だったのかよく分からない。

5pはよく覚えていないが多分なんてことない。

6pは歩きで西岳まで。

西岳に行ったのだから東岳にも行っておこうということで東岳にも行った。

その後は中央稜1pでA0しまくった無名クラック(5.8)をトップロープで登った。最初はマルチピッチの時通りイレギュラー(10a)を少し上がってから無名クラックに乗り移るように登ったが、トップロープとはいえ1つのルートを登ってみたかったので今度は最下部から無名クラックを登った。最下部は前日のボルダーで習得したレイバックが活躍した。荷物がなければなんてことなかったが、腕が疲れて休憩しながらだったのでフィジカル強化は必須である。

2024年10月12日土曜日

20241012-13_北岳

 20241012-13_北岳

メンバー:伊藤(1)、落合(1)、Ambre(留学生)、Patric(留学生)

10/12 天気:晴れ 記録:落合

1015 鷲住山登山口
1200
 池山吊尾根取り付き
1500
 池山小屋

留学生歓迎登山として北岳に行った。本来は3連休をフルに使いたかったが留学生は10/14も学校があるらしいので2日間になった。誰にも会わない所に行きたかったので池山吊尾根に行くことにした。甲府からタクシーで鷲住山登山口まで行ったが、後で調べたらバス停もあるっぽいことが分かった。猛省である。鷲住山を下って吊り橋を渡った後は斜面を登るのだが、この斜面を降るのは嫌だ。長いトンネルを越えて池山吊尾根に繋がる登山口から山に入る。下部はどこでも簡単に入っていけそうな感じだ。右手には雪がかかったように白い鳳凰山が聳えていて気持ちのいい歩きだ。ゆっくり進んで池山吊尾根に乗ってから少し行くと急に開けた原っぱが現れ、その奥に池山小屋がある。原っぱには少し水が溜まっていて透明だったが多分動物たちの水浴び場になっているので、水は斜面をおりて汲みに行くことにした。避難小屋には我々しか居ないだろうと思ったが三連休の魔力は凄まじく先客が1名いた。水場への斜面にはピンクテープがちらほらあったがそれを気にしながら進んでも100%見失うので勢いよく斜面を下って水の音が聞こえてきたらそちらの方向に行けば良い。水場はいきなり大量の水が地面から湧き出ていた。この山域はどこに入っても猛烈な藪がないので大好きだ。

10/13 天気:晴れ 記録:伊藤

0520 池山小屋
0800 ボーコン沢の頭
1055 北岳
1600 広河原

明朝、日の出前に小屋を発った。外は0℃近くなるかと思ったが、意外に暖かかったので、It's warm today. と言ったらPatrickが信じられないような様子で笑っていた。北岳までは樹林帯を北上していき、右の富士山の方角の空に朝焼けを見ながら歩いて行った。池山吊尾根は山と高原地図で点線になっているくらいだから荒れているかと思ったが、わかりやすく踏み跡も多い尾根道だった。赤い日光がさしてくると、PatrickとAmbreはしょっちゅう写真を撮った。今回は時間的に余裕のある山行だったので、普段やっているようなスポーツの性質の強い山行でなくて、山の魅力をしっかり堪能できたのは、そういうのもとてもいいと思った。Patrick的な言い方だと、普段私たちは「考えて」ばかりいるが、「心で感じる」ことができるのが山登りのいいところだ。両者は全く異なるものだと帰りの電車でPatrickが言っていた。7:15ごろから森林限界に入り、視界がよく見えるようになり、背後に富士山の影も見えるようになった。ここからは少々危険な岩稜帯に入る(初心者のPatrickには難しすぎたかもしれないが、安全に通過できた)。ボーコン沢の頭からは北岳バットレスを登っているクライマーが見えた。北岳で長めの休憩をとると、下り始めた。標高差1500mだが特に注意の必要なところもなく、順調に下りることができた。中間地点に市営の野営地があり、コーヒーを飲んだりして休憩をすることができた。総じてとても有意義かつ楽しい山行だった。留学生も気に入ってくれたようでよかったと思う。

2024年9月30日月曜日

20240927-30_穂高岳 登攀

 20240927-30_穂高岳 登攀

【メンバー】沼田(3, L)、落合(1),鈴木(1)は足の不調のため不参加.
【天気】
day 1 曇りのち小雨
day 2 曇り
day 3 曇り時々晴れ
day 4 雨のち晴れ

【ルートログ】ヤマレコ

【Couse time】
 day 1, 9/27 入山日,上高地から涸沢まで
さわんどBT 0630 -  上高地BT 0704 - 明神館 0800 - 横尾 0940 - Sガレ 1117 - 1203 涸沢 - V・IVコル偵察 - 1418 涸沢

 day2, 9/28 前穂高岳 北尾根
起床 0300  - 涸沢 0410 - 0512 北尾根Ⅴ・Ⅵのコル 0524 - 4h 35m - 1000 前穂高岳 - 同ルート下降,財布・スマホ捜索 - 1603 北尾根Ⅴ・Ⅵのコル - 1655 涸沢

 day 3, 9/29 北穂高岳 東稜,涸沢から奥穂高岳に荷揚げ,涸沢泊
起床 0330 - 涸沢 0430 - 0540 東稜取付き - 0710 東稜 トップアウト - 0712 北穂高小屋 - 0857 涸沢岳 - 0909 穂高岳山荘 0949 - 1035 涸沢(荷物回収,荷揚げ) 1110 - 1234 穂高岳山荘 - 1330 奥穂高岳(荷物デポ)1340 - 1355 穂高岳山荘 1534 - 1622 涸沢

 day 4, 9/30 奥穂高岳,馬の背,ジャンダルム,西穂高岳,上高地
起床 0230 - 涸沢 0357 - 0540 穂高岳山荘 0548 - 0616 奥穂高岳 0641 - 0730 ジャンダルム 0756 - 0848 天狗のコル 0848 - 0954 間ノ岳 - 1052 西穂高岳 1119 - 1202 西穂独標 -  1238 西穂山荘 1312 - 1444 西穂高岳登山口 - 1506 上高地BT

【概要】
 1年生のマルチピッチクライミングの練習のため,涸沢定着で穂高岳周辺の登攀を実施.西穂高岳から上高地までの登山道は大変良く整備されており,下山道に最適だった.このルートで毎年の恒例にしてもよいかもしれない.夏はガスの消費が少ないため,1週間程度の日程でも 500を1つで充分だ.破損・紛失などに対応する場合は,半分を2つにしてもいいかも.
 記録の担当はday1, 3 落合,day 2, 4 沼田.


 day 1. 記録:落合
 今回の山行は1年生の教育を目的として実施された。従って本来はもう一人来る予定だったが直前まで行われた長期縦走で怪我をしてしまい2人での山行となった。私もその縦走が完遂できなかったことに対してやきもきしていたがこの山行に来てからはそんな気持ちも吹っ飛んだので山は素晴らしい。また、本来は9/27〜9/29で穂高岳登攀、9/30〜10/1で北岳バットレス登攀の予定だったが1年生が2人いる中で北岳バットレス登攀は2日間では厳しいかもしれないということで穂高岳登攀のみとなった。10/2から授業が始まるので山行日数を伸ばせなかった訳だが、私としては英語一列の授業を受けるために重い腰を上げて大学に行くよりも山登りをしていた方がよっぽど楽チンなので山行のケツが10/2になっても良いから北岳バットレスにも行きたかったが、他の人のこともあるので仕方ない。さて、上高地ー明神間の左岸林道が閉鎖されていたため右岸からを迂回して明神まで行った。長い林道が更に長くなってしまった。途中の徳沢園で前日に行われたメトロ会で登壇されていた上條社長に挨拶に伺ったが直ぐには顔を出せないとのことで我々が挨拶に来た旨を従業員の方から上條社長に伝えてもらうことにして先に進んだ。涸沢に着いてテントを張るが、地面がまともな場所が殆どなく、最初は不快に感じたが慣れれば問題ない。もっとも、不快ならば小屋脇に積まれたコンパネを下に敷けば良いのだが500円の課金が必要なのでそんなものは使わない。テント設営後、5,6のコルの方へ偵察に行った。しばらく歩いて草付きの中に踏み跡があることを確認してから引き返した。下りはガレ場についた踏み跡を下った。


 day 2. 記録:沼田
 ヘッドライト行動でコルに到着.日の出の30 min前にはもうヘッドライトは必要ないほどに明るくなった.IV峰の途中からロープを出した.左から回り込めば傾斜は緩く楽に登れるが,我々は正面から登った.あとはIII峰からI峰まで,2, 3 pitchくらい出した気がする.

II峰はクライムダウンできる

 前穂高岳の山頂についてから,私の盛大なやらかしが発覚する.なんと北尾根のどこかに,財布(ポーチ)とスマホをそれぞれ別の場所で落として来るという,しょーもないやらかしをしてしまった...なぜ山頂に着くまで気が付かなかったのだ,なぜバックアップを取っていないのだと自分を責めた.今後は荷物の確認とバックアップを取ることは忘れないようにする.同行した後輩には余計な手間をかけさせてしまった.申し訳ない.お礼に下山後の飯をご馳走することでチャラや.落とした場所に検討が付いてたので,「このまま探さずに諦めるわけにはいかないな,後続パーティーもいなかったな」ということで,同ルート下降をすることにした.結果,財布はIII峰の1p目終了点で,スマホは3p目終了点付近で見つけた.ここで重要なのが,単純に見える位置に落ちていなかったというところなのだ.

 まずは財布を落としたと思われる地点まで下降.クライムダウンと,懸垂下降2回.財布は岩の隙間に落ちて,簡単には潜れない位置で発見.ストック,カラビナ,テーピングを駆使して釣り竿を作り,さらに落とさないように慎重にサルベージして見事回収!財布(ポーチ)の中にスマホが入っていることを期待したが,見事に裏切られ落胆.ということは「スマホは2ピッチ登ったとこの終了点では?」となったので,荷物をデポして再度登り返し.だがしかし,スマホは終了点にはなく,ここではないのかとしばし記憶を辿る.でも可能性があるのはここか山頂かだけど,山頂にありましたなんてオチはマジで勘弁してほしい.なので周囲を捜索してみた.「もしここで落としていたとしたら,そのモノは滑り落ちていく可能性があるのでは?」と思い,球の気持ちになって少し下ってみる.この先はちょっと危険だなと視線だけで辿ってみると,終了点から岩の上を5 mほど滑り落ちた先になんと,見覚えのあるステッカーが貼られた長方形の箱があるではありませんか.ここで雄叫びが出る.結果,登り返し始めてから財布発見場所に戻ってくるのに(スマホのために)2h使用した.

サルベージしてるときの様子

スマホ発見地点.右下の岩のポケットに落ちていた.奥の方に落ちていたら回収は不能になっていたかもしれない.

 広い北尾根の中で2つの落とし物を無事発見するだなんて,まさか思ってもみなかった.なんらかの信仰心が芽生えてしまう.何に対する?山の神か.ヰ世界情緒か.大きな損失になりそうなところであったが奇跡的な回復を見せた.本当によかった.


 day 3. 記録:落合
 この日は北穂高岳東陵である。前2日で前穂北尾根の方向から取り付き点の見当をつけていたのでそこの心配は特になかった。途中まで登山道を登るのだが、暗いのに思いの外登山者が多くて驚く。東稜取り付きへは2段あるモレーンのうち上部のモレーン上からガレたカールを横切ってルンゼに入るのだが、ルンゼがいくつかあり最初はどのルンゼに入れば良いか分からなかった。正解は登山道から外れる所で見えている最も大きなルンゼである。多分行けば分かる。意外と右寄り。地図を確認して正解のルンゼに入る。我々の前方にフリーソロの方がいたので上からの落石に注意しながら左端の草付き際を登って行った。落石には注意である。最後に右側の尾根に乗って取り付き点に到着した。東稜は踏み跡がしっかりしていた。核心部のリッジでは高度感があったこと、先が見えずどうなっているか分からなかったことからロープを出してもらって沼田さんにリードしてもらった。結局大したことなかったのでこのくらいならロープを出さずにスイスイ行けるようになりたい。その後は懸垂支点があったがクライムダウンした。前日に前穂北尾根2峰の下りや前穂北尾根を下降したことでとても良いクライムダウンの練習ができていたので特にヒヤリハットもなく降りられた。その後は北穂山頂の小屋まで歩きである。北穂高岳に7時過ぎに着いてしまったので翌日のために涸沢に帰ってからテントを穂高岳山荘に上げようと思ったが、穂高岳山荘に電話して確認したところ穂高岳山荘テント場は学割がなく、涸沢より一人あたり1000円高かったので穂高岳山荘でテントを張ることはやめた。その代わり、北穂東稜で使った登攀具類を一度穂高岳山荘付近にデポしに行ってからザイテングラートを降りて涸沢から余分な食料やガスや登攀具等を持って再び穂高岳山荘に上がって元々デポしておいた登攀具類を回収してから奥穂高岳山頂からジャンダルム側に100mほど行ったところに全て置いてきた。ここで天気予報を確認したら翌日は雨が降らなさそうだったので当日夜と翌朝以外の食糧は全てデポした。このおかげで翌朝は雨だったが停滞するか迷う必要がなかったため良かったっちゃ良かった。荷上げの最中には、何処かの山頂を目指すわけでもなく翌日の自分のために今日頑張ることはなんだか未来の自分のために今日の娯楽快楽を犠牲にして勉強に精を注ぐ崇高な東大生と同じようなことをしているような気がしてきて、世間の期待をすべて無視して山に情熱を注ぎ込んでいる我々東大生の端くれは崇高な東大生の真似をせずに翌日に頑張って全てを担ぎ上げればいいのではないかとも思ったが、デカルト様に従って困難は分割させてもらった。結果、翌朝1番の登りが大分楽になったので良かった。目的はデポなので1分とかからない奥穂高岳山頂は無視した。穂高岳山荘に戻ったらテント場に沼田さんの知り合いの方が2人いるとのことだったので挨拶しにいったらココアとお菓子をご馳走になってしまった。ありがとうございました。穂高岳山荘からの帰り際、なんと東大ワンゲルに会ったので軽く挨拶をしてから涸沢に降りた。


 day 4. 記録:沼田
 深夜にまさかの雨.3:30になってもやまないので少し様子見することにした.雨が小降りになったところで撤収開始.奥穂高岳から西へは通ったことがないエリアだし,日が出れば晴れると確信していたので,予定通り奥穂高岳に向かう.ヘッドライト行動でザイテングラードを登るのは意外と難儀した.どこでも歩けそうなガレ場で数回道を見失い,計10 minくらいロスした.明るいうちによく道を覚えておくことが重要だ.うむむ.6:00前には雨はやみ,青空が見え始めた.その後は晴れと霧が繰り返すようなパッとしない感じ.9:00頃には完全に晴れた.雨に濡れた「馬の背」は緊張感があり,ザイルで確保されないと怖い怖い.ジャンダルムは離れてみると「上るとこあんの?」という感じだが,近づくとちゃんと道はある.しかし,全装備担いでの登攀じみた登りはなかなか疲れる.ある意味良い訓練になった.
 西穂高岳山頂からの道はよく整備されており,距離のわりに時間がかからず楽だった.荷物の重さもあり疲れを感じていたので助かった.


デポ荷物を回収しにきたときに撮影.ザックカバーの中の荷物が若干雨でぬれていた.

馬の背.ジャンダルムよりも怖かった.

これは岩が濡れていたら怖い.我々の時は既に乾いていた.

西穂高岳を過ぎてしばらくたってからの下山道.非常に快適.


2024年8月11日日曜日

2024年度夏合宿

 

2024年度夏合宿


登攀 8/5 - 8/11 剱岳周辺

【8/5 入山】
メンバー:尾高(3L)、河本(2)、落合(1記録)
天気:曇り後晴れ
0900 室堂
0940 雷鳥沢
1110 剣御前小屋
1200 剣沢野営場
先発隊(尾高、河本、落合)は8/5入山。後発隊(縄、沼田、鈴木)は8/9入山。尾高さんの運転で扇沢に入り、始発のバスに乗って室堂を目指す。ずっとフワフワした気持ちだったが、扇沢で河本さんに2週間家に帰れない覚悟はできているかと聞かれてようやく合宿に来たのだと感じた。月曜日にもかかわらず始発だからか大勢の人が並んでいた。室堂で水を汲み集合写真を撮って出発。集合写真を簡単に自撮りで撮れてしまうというのはなんとも悲しい。来年はもっと増えますように。

集合写真を簡単に自撮りで撮れてしまうというのはなんとも悲しい。来年はもっと増えますように。


扇沢から室堂までの移動で疲れきってしまった上にガスって景色も悪く、気分は最悪な中での合宿スタートとなってしまった。室堂から少し下って雷鳥沢で1本とった後は上りである。ザックの重さは30kgちょっとだろう。歩荷訓練より軽くてあっけなかった。後発隊は40kgだったそうなので重さに偏りが出てしまったのは申し訳なかった。肩に食い込むザックと戦いながら下だけを見続けて無心で歩く。暑さで全身から汗が吹き出てきたが辛いなどと言っても何も変わらないのでひたすら無心で歩いていたら意外とあっという間に剣御前小屋についてしまった。ここでニーチェと仏教の話で盛り上がってしまいかなり長い時間剣御前小屋の脇でたむろした。ここから剣沢までの下りで人生で初めて雷鳥に会ってとても喜んでしまったが、合宿が終わった今、北アルプスには特別天然記念物だとは思えないほど雷鳥で溢れている(流石に言い過ぎか)ことを知ってしまったらあんなに嬉しくなった自分が恥ずかしい。剣沢には他にも大学が来ていた。

8/6 雪渓周遊

メンバー:尾高(3L)、河本(2)、落合(1記録)
天気:晴れ
0600 出発
0800 真砂沢ロッヂ
1200 剣沢野営場
この日は剣沢雪渓の状態の確認(翌日以降真砂沢にベースキャンプを移すかの判断)と雪上訓練だ。4時半起床の予定だったが起きたら外が明るかったので焦った。1時間以上の寝坊である。尾高さんは時間通りに起きたが面倒くさくなって二度寝したらしい。こうなるともはや全員が犯人か?朝食は翌日のものとチェンジして早く作れる棒ラーメンにした。出発して剣沢を下るがなかなか雪渓が見えない。武蔵谷出会いの少し上から雪渓に入り、長次郎谷出会いの少し下は崩壊していたのでそこからは夏道と雪渓を繰り返しながら歩いて真砂沢に到着した。雪上歩行はGWの雪訓のおかげでスムーズにできた。真砂沢には誰もおらず天国のような素晴らしい場所だった。ここで日向ぼっこをしたのだが、ここでの河本さんの一言を皮切りに以降数日間に及ぶ尾高さんの一芸が幕を開けた。真砂沢から引き返して5分ほどのところに大石があったのでしばらくボルダーをした。尾高さんはアイゼンを装着したまま登ったりしていて凄い。慣れてきた頃に落合は2m程の高さから落ちて顎を打ってしまい、とても良い場所から血が出たことで綺麗な顎鬚が生えたようだった(らしい)。その後、落合の希望で長次郎谷をしばらく登って引き返した。剣沢雪渓に戻ってからは3pだけスタカットを確認した。テント場に戻ってからは小屋脇の大石でボルダーをした。しばらくすると10人以上の大所帯が入ってきたと思ったら東大のワンゲルだった。彼等はすぐに剣沢から離れてしまったが、縦走路が割と重なっていたため以降何度か顔を合わせることとなった。この日の夕食はパスタだが火の勢いが弱く中々沸騰しないことに腹が立ってきて沸騰前に麺を入れたら不味くなってしまった。


【8/7 源次郎尾根主稜】
メンバー:尾高(3、L)、河本(2、記録)、落合(1)
天気:晴れ
4:00剱沢
5:00取り付き
8:30二峰
10:00剱岳
12:30剱沢

3時頃に起床し、1時間後に準備を済ませて出発する。取り付きは平蔵谷の右側で明確な踏み跡があると本に書いてあったが、谷口すぐの踏み跡は間違いでここに入った結果道が悪く、前回来たときと違和感を感じ、右側にトラバースすると正しい道に出た。このまま登りつでけて上がれるのかはわからなかった。少し登ると二カ所ほど難所がある。一つ目は滑りやすい大きい段差で、残置ハーケンにセルフビレイをかけて登り、二カ所目は左が切れ落ちた岩壁で、尾高さんがリードでロープを出して登った。私はここで一度落ちてしまった。いくつかの岩場を越えて1峰に出ると少し歩きやすくなる。景色の良い尾根上を歩き、2峰からは懸垂下降で降りる。ここでは落合に懸垂下降のセットをしてもらった。2峰から先はガレ場が続き、慎重に歩くことを強いられるが、道はわかりやすく暫く歩くと剣岳に到着する。源次郎尾根では他のパーティとは出会わなかった。この日はバリエーションルートが久しぶりなのと、二人の歩くペースが早いため疲れた。剱岳からは別山尾根を下降し、尾高さんたちは2時間を切って下山していた。私も少し遅れて下山した。

【8/8-9 北方稜線縦走(尾高, 河本, 落合)】

尾高が記録の予定でしたが、まだ書いておりません😅
更新の日まで何卒お待ちください🙇🙇🙇






【8/10 VI峰C face(沼田,河本,縄】

沼田の行動記録
day 1: 8/9 入山

day 2: 八ツ峰六峰Cフェース

day 3: 別山岩場 中央稜,右岩稜

day 4: 8/12 下山


今年は去年より増して雪渓の状態が悪かった.源次郎尾根までの剱沢雪渓はズタズタで,長次郎谷出会まで夏道を通った.夏道はよく整備されており,危険個所にはロープが設置されている.





長次郎雪渓は滝の手前で切れている.右岸に渡る箇所も距離・高低差があり,念のため確保して通行した.ピッケルを突き刺して手掛かりとし,雪渓の端から後ろ向きに降りてアイゼンで雪壁に立ち,慎重に足を下ろして右岸の岩に降り立つ といった要領.初手は尾高がトライしたが距離があるので一旦戻る.沼田が交代して,右岸に降り立ちフィックスロープを張る.





復路で会った他の人は,長次郎谷の末端だか,源次郎尾根だかから右岸沿いに通ってきたとのこと.復路では右岸沿いに行けるとこまで行ったが,なかなかしんどそうだったので右岸と雪渓の距離が短いところをよじ登った.この時も足がかりにした雪壁が崩れる恐れがあったので,一応ロープで確保した.


Cフェースは2年 河本がリードをやるというので任せたが,ハーケンを3本以上打ち,あまりにも時間がかかるので3 pitch目の途中で交代してもらった.経験を積んで場慣れすれば恐怖感もいくらか薄れるだろう.(薄れてほしい)

壁にもろい箇所はなく,高度感があり爽快.斜度は70-80度くらい?で難しい箇所もないと感じた.V, VIコルまでは懸垂下降を2回した.

Cフェースの取付きの雪渓もだいぶ少ない.登り始めには影響しない


ハーケンを打とうとしている?




【8/11 八ツ峰上半】

 

メンバー:尾高(3・L)、落合(1)、鈴木(1)

天候:曇り

 

4:10 剣沢キャンプ場

8:10 Ⅴ・Ⅵのコル取り付き

13:00 八ツ峰の頭

14:10 剱岳

15:50 剣山荘

16:30 剣沢キャンプ場

 

先発組によって雪渓の状況が悪いことがわかっていたため、ヘッドライトを付けて朝早く出発。雪渓から岩場に移る適当な場所が中々なく、時間がかかった。(詳しくは[VI峰C face]の記録を参照されたし)。その後、しばらく急なガレ場を登ってⅥ峰Cフェースに登るチームと別れた。八ツ峰登攀は全員が初めてということもあり、Ⅴ・Ⅵのコルの取り付きからは最初から落合が苦戦し、お助けヒモが出されるなど慎重に進められた。難易度は高くなく、フォールすることはなかった。他に登山者はおらず、落石も特に起こすことはなかった。懸垂下降した箇所については、事前情報でクライムダウンも可能と言われていたが、木々で下が見切れていたり地面が脆い箇所もあり、安易に行わないほうが良いと感じた。尾高さんの素晴らしいルートファインディングにより、八つ峰の頭から1時間程度で剱岳に到着。山頂には他に二人しかおらず、写真もすぐ撮ることができた。その後、カニの横ばいを通って剣山荘、幕営地へ。剣山荘では水場もあった。


Ⅴ・Ⅵのコル取り付き


何峰だったか。。。



剱岳山頂。複数種類の看板がある。




【8/11別山岩場(A班)】


メンバー:尾高(3・L)、河本(2)、鈴木(1)

天候:晴れ

 

5:30 剣沢キャンプ場

10:40 別山(北峰)

10:50 別山

11:20 剣沢キャンプ場

 

昨日の登攀から取り付きまでに時間がかかること、帰幕も遅くなることを勘案し、2チームに分けて全員が別山尾根に行くことに。A班は右岩陵を登ることになった。取り付き点をやや迷い、登攀開始。1ピッチ目から苦戦したが、ここはなんとか乗り切ることができた。2ピッチ目はリードの尾高さんが苦戦していたが、尾高さんはフォールすることなく登攀できていた。鈴木は尾高さんが苦戦していた箇所で同様に苦戦し、フォールした。同じルートは登ることができないと思ったため左に巻いて上がった。河本さんはスリングを引っ張って乗り切っていた。3ピッチ目はクラックがあるフェースで、尾高さんはハンドジャムを使ったと言っていたが、恥ずかしながら鈴木はそのような技術をまだ身につけていなかったので左に巻いた。懸垂下降後の4ピッチ目からは中央陵組と合流した。鈴木にとってはこれまでで初フォールも経験し、最も怖かった登攀だったが、尾高さんにとっては気持ち良い登攀だったらしく、昂った尾高さんは上裸になってそのまま下山した。別山からの下山中にはTJARの選手とすれ違い、エールを送った。


ブロッケン現象




Great Teacher ODAKA


 


【8/11 別山岩場(B班:沼田,落合,縄)】

3日目はAフェースに行こうかと思っていたが,雪渓の状態が悪い上に1年生にあれを通行させるのも大変なので,別山岩場で遊んだ.やる前はあまり乗り気ではなかったが,フリクションは効くし,ルートの取りようによって難易度調整が容易で楽しい.浮石や脆い箇所が多いので慎重になる必要がある.中央稜は,ハング気味のとこを目指して登っていき,ハングの個所の右の凹角を登った.風化した岩で手を切ったので,グローブしたまま登るのがおすすめ.帰りは別山の山頂まで登ってから剱沢に戻った.

奥にいるのがA班:尾高,河本,鈴木





合宿で唯一?の集合写真.A班は午後の2本目はやっていない.

午後は2本目として右岩稜.登りはじめは一度間違えて,中央稜の右側を登ってしまった.1 pitch目を登ってから右方向にトラバースし,ハイマツにかかった捨て縄で懸垂下降した.右岩稜の取りつきは中央稜より一段高い岩稜で,錆びたリングボルト2つ ×2が打たれた クラックのある岩峰がたぶんそれ.このクラックはハンドより少し狭いくらいで,なかなたピリ辛で楽しい.2, 3 pitch目もクラックがあり,ハンドジャムが決まった.取りつきを右に回り込んだとこにもクラックがあり,ここも難しい(らしい).



縦走  8/12-8/17 剱沢-上高地

メンバー:河本(2,L)、落合(1)、鈴木(1)


8/12  剣沢-室堂-五色ヶ原幕営地
天気:晴れのち曇り
記録:河本
0400 起床
0700剣沢出発
1000みくりが池
1100室堂1230
1600五色ヶ原

計画では今日は雷鳥沢に泊まる予定だったが、次の日の行程が短いので、この日のうちに五色ヶ原まで向かうことにした。起床し、朝食を済ませて荷物をまとめて出発した。荷物をすべて持っておりとても重いので室堂まで行くだけでもかなり疲れる。所々で休憩を挟みつつ、温泉の開館時間にちょうどつくように進み、みくりが池で温泉に入った。予想通り温泉は混んでいた。入浴後、室堂で尾高さん、沼田さん、縄さんと別れ、縦走で使わない荷物は郵便局で送ってもらった。室堂で束の間の下界を楽しんだ後、写真を撮り出発する。意外にもアップダウンが多く、長く山行を続けていることから来る疲労感で歩行中は気分が上がらなかったので淡々と歩いた。鬼ヶ岳付近から天気が曇り始め、合宿前半にずっと見えていた青空は段々と見えなくなっていった。これ以降最終日までは明るい晴天を見ることはなかった。五色ヶ原についた頃には疲れ切っていた。

8/13  五色ヶ原-薬師峠
天気:曇りのち雨
記録:河本
0300 起床
0400 五色ヶ原出発
0700 越中沢岳
0900 スゴ乗越小屋
1130 薬師岳
1300 薬師峠

縦走は始まってから4日目までは1日あたり9時間ほど行動時間がある予定である。昨日の疲れは多少回復したが1週間の縦走は2-3日目くらいが一番ゴールが遠くて辛いところだと思う。出発時点から霧が出ており、日が出てからもしばらく靄がかかっていた。五色ヶ原の開けたところをすぎると樹林帯に入り、越中沢岳までは登りが続く。急なアップダウンを越えてスゴ乗越小屋に着く。しばらく登ると岩の多い道になり、薬師岳に続く開けた稜線上に出る。このあたりから朝消えた靄が再び出始め、風も少し強くなった。薬師岳は眺望は望めず、そのまま大きく下ると薬師峠に到着する。テントを張り終えてすぐに雨が振り始めた。ここは標高が低いので夜寝るときは少し暑かった。



8/14  薬師峠―三俣山荘
天気:雨
記録:落合
0300 起床
0430 薬師峠出発
0630 北ノ又岳
0930 黒部五郎岳
1100 黒部五郎山荘
1300 三俣山荘

黒部五郎岳

出発してすぐに強い雨が降り出したので太郎平小屋で雨具を着た。北ノ俣岳の登りで喘息症状を発症した鈴木のペースが落ちたので鈴木の荷物のいくつかを他2人で持った。特に何も起こらずぬかるんだ道を歩いて黒部五郎岳の登りにさしかかる。この登りで熊スプレーが落とされていた。河本さんがニコニコしながら噴射。予想をはるかに凌駕する勢いにただ笑うことしかできなかった。もし風下にいたら大変なことになっていたのは間違いない。黒部五郎岳からは雄大なカールの中を下っていくのだがダラダラと長い。後は三俣山荘までの登り返しだ。山荘手前で雪渓が現れたので避けて通った。本来はこの日に鷲羽岳を往復する予定だったが、テントを張った途端にこの日は鷲羽岳には行かずにゆっくり昼寝したい気分になってしまった。決してやる気がない訳ではない。そこに追い風が吹いて雷が鳴りだしたのでこの日は鷲羽岳には行かないことになった。台風が近づいていて停滞するなら水が無料で手に入る所が良いということで、この時点では8/16が停滞になる可能性がありそうだったので翌日は鷲羽岳を往復したあと水が無料で手に入る双六小屋までの短い行程に決まった。


8/15  三俣山荘―双六小屋
天気:曇り時々晴れ
記録:落合
0400 起床
0510 出発
0550 鷲羽岳
0630 三俣山荘 0700
0745 三俣蓮華岳
0840 双六岳
0930 双六小屋

この日は行程が短いので雨は朝だけという天気予報を信じて雨が止むまで待機することにした。結局すぐに止んだので朝に超ゆっくりすることは叶わなかった。鷲羽岳の登りでは晴れていたのだが山頂手前で曇ってしまった。

テント場から鷲羽岳 出発時は晴れていたのに

少し粘ったが晴れる気配がなかったので降りてテントを撤収した後双六小屋へ向けて出発。三俣蓮華岳からもガスって何も見えなかった。双六岳で晴れに傾いたので長居していたら周りの山々が見えるようになった。「あれが〇〇岳だ」という会話をしたが、全て間違っていたような気がする。槍ヶ岳だと思っていたのが笠ヶ岳、笠ヶ岳だと思っていたのが黒部五郎岳だろう。太陽が出ているのに方角を全く気にせず尖っているという理由だけで笠ヶ岳を槍ヶ岳だと勘違いしたことが原因だろう。笠ヶ岳を見て「槍ヶ岳って思ったより尖ってないんだなぁ」とか言ってしまった気がする。

槍ヶ岳と間違えた笠ヶ岳 きっと疲れていたのだろう



笠ヶ岳と間違えた黒部五郎岳 立派なカールまで見えているのに間違えた

双六小屋のテント場に着いたら東大のワンゲルがいた。こちらは3人なのにあちらは大勢いてなんだが賑やかだったのでこちらも行動食パーティーを催した。とは言うものの、参加者3人で濡れたものを乾かす間に行動食をつまみながら雑談するだけである。しばらくして河本さんから「1年生の持つ食料を早めに消費するように食糧計画を立てた」と言われた。言われてみると確かにその通りである。全く気が付かなかった。いつも優しくて大好きです。


【8/16 縦走6日目】

 

メンバー:河本(2・L)、落合(1)、鈴木(1)

天候:曇り

 

3:10 双六小屋テント場

6:45 槍ヶ岳

9:20 南岳小屋テント場

 

この日は午後から天気が崩れ、強風となる見通しだったため、いつもより早く出発した。雨こそ降っていなかったが、槍ヶ岳へ行くまでに途中腰丈〜膝丈のササ薮道を通ったため、ズボンは濡れてしまった。槍岳山荘に着き、ザックを置き、ヘルメットを装着してから山頂へ登った。頂上は大人数が滞留するのには適していないと感じたが、幸い人が少ない時間帯であった。我々は3人パーティーなので記念写真を撮った後、展望が開けるかしばらく待っていたが、結局絶景は拝めなかった。

その後は「樅沢岳(もみさわだけ)」は初見で読めないなぁと思ったり、どんどん強くなっていく風に不安を感じたりしながらも進み、南岳小屋テント場に到着。河本さんがテント泊の受付を済ますのを待っていると、南岳や小屋をバックに写真を撮ってほしいとアジア系の外国人女性から頼まれた。そのため携帯を借りて何枚か写真を撮ったが、上手く撮れていただろうか。誰かに頼まれて写真を撮るのはこれで2回目だったのだが、他人の写真を撮るのは槍ヶ岳の岩場より圧倒的に怖い。いつか写真の勉強もしてみたいと思うのである。その後設営場所を決めるのに時間がかかったが、ある程度風を防ぐことができ、小屋により近い場所に決定。午後はテント内で理科生2名がゆったりくつろぎ、文科生1名が課題に追われていた。この日は雑談が盛り上がった。気づけば我々以外に他のテントも3、4張ほど設営されていた。夜には風は弱っていたが、小雨は降り続いていた。


槍ヶ岳山頂


【8/17 縦走7日目】 

メンバー:河本(2・L)、落合(1)、鈴木(1)

天候:晴れ

 

4:30 南岳小屋テント場

5:15 長谷川ピーク

6:30 北穂高岳

8:45 奥穂高岳

10:15 前穂高岳

12:00 岳沢小屋

13:30 上高地

 

前日の強風も収まり、快適な気候だった。大キレットの通過は聞いていたほど難しくなく、人が少なかったことも幸いし、スムーズに通過することができた。展望はかなり良かった。その後、北穂高・奥穂高を順調に通過し、吊尾根を下った。吊尾根も特に危険という箇所はなかったと思う。前穂高岳へは分岐で一度ザックを置き、空身で登った。山頂はガスっており、奥穂高岳までとは異なり展望は楽しめなかった。北尾根を登ったと思われる15人ほどのパーティーがいた。分岐に戻ってから岳沢小屋までの重太郎新道は道が悪かったが、注意すれば問題ない。適当な休憩ポイントがなく、岳沢小屋まで一気に下った頃には足も限界に近かった。小屋のHPや現地の案内図には「玄関先で水を無料提供」と書いてあったが、残念ながら発見できなかった。一体どこにあったのだろうか。岳沢小屋からは歩きやすいが長い道のりであり、上高地側から登ってくる観光客とも多くすれ違った。登山口を出ると観光客でいっぱいだった。河童橋を渡り切ったところで集合写真を撮った。夏合宿が終わったという興奮で3人は自然と肩を組んでいた。無事に帰りのバス切符を買い、風呂場を探す。上高地インフォメーショウンセンターの張り紙によると、外来入浴で午後1時以降に空いているのは①シャワーのみの上高地インフォメーションセンター、②沸かし湯の小梨平キャンプ場、③上高地温泉ホテルの温泉だった。相談の結果、3kmほど歩くものの、多くの文人・アルピニストが訪れたという上高地温泉ホテルへ行くことになった。入浴して戻ってくる頃にはバスの出発時刻となっていた。どこかでご飯を食べようとしたが、時間的猶予は松本駅での30分しかなく、河本さんは電車酔いでご飯はいらないというので、落合と鈴木で駅構内の山賊焼のお店で弁当を買って食べた。電車内では社会の目まぐるしい変化に驚きつつ、在来線を乗り継いで0時過ぎに家に帰った。




長谷川ピーク手前を振り返る


長谷川ピーク



夏合宿おわり!!