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2016年4月29日金曜日

2016.04.29-05.02 白峰南嶺縦走

山域:白峰南嶺(大門沢〜桧横手尾根)
日程:2016429日から52
メンバー:中山(3年・L)、阪本(3年)、中西(3年)
記録者:阪本

2017年5月現在、記憶もおぼろな一年前の山行記録を上げてみます。お待たせしました。

0日目
 21時頃新宿駅から高速バスに乗車し、身延駅前でステーションビバークした。

1日目
身延駅 =(バス)= 奈良田9:00 – 13:00大門沢小屋にて幕営

 水は奈良田のバス終着停留所脇の水道で汲める。車道を歩いていると害獣駆除らしき銃声が聞こえて来て怖かった。多少の渡渉はあるが、特に苦労せず大門沢小屋に着く。某大山岳部卒というおじさんとおしゃべりなど。

2日目
大門沢小屋5:30 – 10:00標高2600m付近で中山の滑落 – 11:45広河内岳 – 14:10大籠岳 – 15:30黒河内岳にて幕営

 大門沢を詰めていると徐々に残雪が出現。切れていない雪渓となったのでキックステップで登っていると、先行する阪本と中西の耳に過去になく切羽詰まったTUSACコールが聞こえた。以下は中山の事故報告書より引用;

 雪渓に入り、しばらく登ってガレ場に到達した。ガレ場を10mほど登ると再び急な雪渓に出た。先行パーティーが1つあって、雪渓上部を登っているようだった。このときの隊のオーダーは先頭から、阪本、中⻄、中山であり、それぞれ10mほどの間隔で歩いていた。雪の状態は少しゆるい程度で、前を行く2人のステップがよく利いた。雪渓を5mほど登ったあたりで滑落が発生した。中山が右足をステップにかけたところ、ステップが崩壊し、右足が 1mほど下に流れた。すぐに停止すると思ったが、そのまま右足は流れ続け、アイゼンを履いた左足はステップに引っかかった。ピッケルを刺し直すも間に合わず、両足が完全に伸びきってしまい、頭を下にしたうつ伏せの体勢で転倒し、滑落が開始した。転倒の瞬間、中山は3mほど下にガレ場が迫っていることを認識した。すぐさまピッケル制動の体勢に移ったが、間に合わず、半身の体勢のままガレ場に突入した。ここら辺から記憶が曖昧だが、怪我の状態から考えておそらく半回転したのだろう、ガレ場を3m滑落して停止した。
 意識ははっきりしていて骨折したような痛みはなかったが、鼻から多量の出血があった。先に行っていた2人を呼び止め、救助に来るように頼んだ。多少の痛みに耐えながら医療具からガーゼを探し、鼻に詰めた。腕や足を触ったが、骨折したような様子はなかった。滑落の衝撃でメガネとサングラスを紛失したので阪本に探してもらった。サングラスのレンズの片方は結局見つからなかった。荷物を背負っても歩けたので、右手のハイマツ帯から登り始めた。実はこちらが正規ルートであった。一登り終えたところで服を脱ぎ怪我の状態を確認した。怪我は全て両腕に集中し、ピッケル制動の体勢のままガレ場に入ったせいだろうか、特に左の肘の内側、右の上腕がひどかった。ガーゼと包帯で応急処置を済ませた。足に怪我なく、中山も歩ける状態だったので、先を行くことにした。この日の夜は中山がしきりに頭痛を訴えたが、それも翌日にはすっかり良くなっていた。
ということである。軽い怪我で済んで本当に良かった。白河内岳と黒河内岳のコルで幕営。

3日目
幕営地6:00 – 6:50笹山 – 10:10奈良田越 – 13:00伝付峠にて幕営

 奈良田越手前までルートファインディングがやや大変。草木が生い茂った車道というのも面白い。車道なので皆イヤフォンで音楽を聴きながら黙々と歩いた。私は発売されたばかりの私立恵比寿中学「穴空」。崩壊した車道の巻道が意外に怖かった。鹿の死骸に蠅が集っていた。伝付峠から10分ほど新倉側に下ると水場がある。

4日目
幕営地3:30 – 5:30倒木広場 – 12:30布引山 – 17:30雨畑湖
 今日のうちに下山できるのではという意見が過半数を占め、とにかく2時に起きてみる。暗いとルートファインディングが難しい。笊ヶ岳では勝利を確信しながら山梨百名山を登っているというお兄さんの写真撮影に応じたりしていたが、桧横手尾根は一般道の下山史上最凶だった。広河原に着いてからも崖沿いにつけられた巻道で怪しい鉄板を何度か渡らねばならず怖い。ヴィラ雨畑は天国だった。

5日目
 前日に予約していたタクシーとバスを乗り継ぎ、帰京した。