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2023年1月31日火曜日

万太郎山

メンバー:縄(OB)、近江(OB)、齋藤(1、記録)


1月30日

11:42 土樽駅出発
16:00 1013m地点で幕営


土樽の駅からしばらくは除雪された道を歩いたが、川沿いの道を行くとすぐ雪が数十センチ積もっているエリアに差し掛かり、ワカンを履いてラッセルしながら登山口を目指すこととなった。





林道を3人で順番にラッセルしながら、登山道に入る。杉林をラッセルを交代しつつ登っていく。雪はさらに深くなり、腰近くまで至るところもあった。途中までオレンジのテープがあったが、見失ったので地形と地図とGPSを頼りに歩いた。


16時ごろ、標高1013m地点の樹林帯の尾根上の幹の直径が3、40cm以上はある大きな樹木の側の、少し雪が窪んでいる場所をテント地とした。木の根本は雪が溜まりにくいのか、足を踏み入れるとズボズボと沈んでいく。幹の表面には苔や地衣類が何種類もびっしりと付着していたのが印象的だった。樹皮上の地衣類は雪山で数少ない生命を感じさせるもののひとつだが、耐寒温度はどの程度なのだろうか。


テントを建て、中に入り、雪を溶かして水を作ってペミカンで鍋を食べた。パイタン味が美味しかった。





うまくいけば次の日に登頂し、そのまま予備日を使わずに下山できるのではないかという話が出た。外では雪が振りしきっていた。その後次の日の出発準備を行い、21時ごろには寝た。シュラフはモンベルの#0に買い替えたので上部は暖かかったが、床面は、安物のシュラフマットを使っていたせいか、雪面の冷たさがそのまま伝わってきて寒かった。



1月31日


  5:57 出発

13:22 1470m地点

16:13  幕営地(1013m)


翌日は4時半ごろ起床、朝食に棒ラーメンを食べ、ワカンを履き出発した。相変わらず雪は深く、さらに降り積もってくる。3人でラッセルを交代してゆっくりと進んでいく。






高度を上げればラッセルが必要なくなるだろうという予想に反して、いくら進んでも雪は硬くならず、足が深く沈み込んでいく。樹木の背丈が低くなり、切り立った尾根が遠くまで見渡せるようになっても、相変わらず雪は深く、尾根にそって少し下の樹木が覗く側面のライン上に少しずつ道を切り開いていくしかなかった。





落ちてもそんなに危険に見える箇所ではなかったが、ルートをとれるラインが狭かったせいか、途中雪庇ぎりぎりを歩いて部分的に踏み抜いた箇所があった。恐怖を感じる場所はほとんどなかったが、ラッセルしながら尾根沿いを歩くのが初めての私にとって、ここは歩ける場所なのか、という驚きがあった。途中一箇所だけ、崩れやすい場所があり、恐怖を感じたので慎重に雪を踏み固めながら歩いた。

移動スピードは上がらず、山頂と思しき岩山は遥か遠くに見える。今日中の登頂は難しいだろうという予測が濃厚となっていった。





13時頃に、尾根の先に見える小さいピークまで進んだらテント地点まで戻り、登頂は明日目指そうという話になった。13時半ごろに到着した1470m地点で折り返し、ラッセルした道をそのまま戻り、テントに16時15分ごろに到着した。ペミカン入りのカレーを食べ、翌日の準備をして寝た。シュラフカバーを持っていなかったこともあり、シュラフが若干湿っていて前日よりやや寒く感じたが、身体の回復に支障が出るほどではなかった。



2月1日

4:46 出発
11:54 万太郎山山頂
16:45 幕営地(1013m)
20:44 土樽駅


翌日は4時ごろ起床し、5時前には出発した。昨日と異なりよく晴れている。ラッセルした跡をたどり、前日に引き返した地点に8時ごろには到着した。その後もしばらくラッセルが続いたが、徐々に雪の表面が凍っており、歩きやすくなってくる。

1600m地点付近でワカンを脱いで低木にかけてデポし、アイゼンに履き替えた。

私は自分のワンタッチアイゼンが思ったより硬く、かなり手間取ってしまった。家で練習をしたことはあったが、直前にも練習をすべきだった。

アイゼンを履いて以降は、より斜度の高い広い雪面を進んだ。表面が硬い箇所が多かったが、時々柔らかい箇所があり、雪面が抜けて熊笹の生えた穴に落ち込んでしまうことも何度かあった。


10時ごろ、1770mほどの地点の岩稜の麓に到着した。経験のない私から見ると全くどういうルートでこの岩を超えたらいいのかわからなかったが、縄さんと近江さんがどのようなルートでいけばいいのか話し合っていた。最初写真のようなルートで岩を越えようという話になり、近江さんが登っていったが、上の方でほとんど垂直になっていることがわかったようで、引き返してきた。







その後、縄さんがこの岩を左に回り込むルートを検討していたが、左側は切れ落ちたようなルンゼとなっており、見るからに危険で、難しいということになった。結局右に周りこむこととなり、シャクナゲの低木を掻き分けつつ、岩と雪の混じった岩壁をつたっていった。

最後にかなり垂直に近い岩をよじのぼり、下山時はロープを出す必要があるだろうという話になった。





岩の上の尾根に出ると強風が吹き荒れており、体寒温度はかなり低かった。雪は硬く風紋がついており、枝などに付着した雪は樹枝状のパターンを形成していたことからも、継続して強風に晒されていることを伺わせた。





油断していると身体ごと吹き飛ばされそうになる尾根の上を歩き、いくつかの小ピークを超えたがなかなか山頂は見えてこない。一度急斜面で休憩をとり、ハーネスをつけた。アイゼンをつけた状態でハーネスを履くのはかなり困難で、全員手間取っていた。今後はアイゼンをつける前に履こうという話になった。


その後またしばらく歩き、やっと山頂に辿り着いた。山頂は平で開けていて、谷川山系の山々が脈々と続く光景を一望できた。








12時前に山頂に到着し、何枚か写真を撮影したりして過ごした後、下山を開始した。

岩を登った地点では、枯れ枝に支店を取り、ロープを出した。近江さんがリードし、私は次にその場で縄さんにプルージックを教わって降ったが、あらかじめ教わっていたクライムハイストもうろ覚えだったので、やや手間取ってしまった。また、ロープを出す時や、ピッチごとの待機時間に手先や身体がかなり冷えてしまい危険を感じるので、改善の必要がありそうだ。

ロープは安全を考えて2ピッチ出し、切り立った岩稜の手前まで下った。





その後はそのまま行きのトレースをなぞって、ワカンを置いた地点では回収し、テント地まで下山した。テント地に到着した時点で16時45分前後で、遅めではあったが、ラッセルしたトレースをなぞれば2、3時間で下れるのではないかと希望的観測をしていた。


しかし、テント地から下のトレースは2日目の雪によって、ほとんど埋まってしまっていた。そのため再びラッセルを強いられることとなり、樹林帯に入ってすぐにヘッドランプを出す必要があった。林道に出たころにはすっかり暗くなっていた。林道に出たらあとはもう楽に歩けるのではという期待に反し、膝を超える深さの積雪があり、ラッセルを延々と強いられることとなった。





いつからだったか、また雪も降り始めていた。やっとのことで土樽の駅に到着したのは20時44分ごろで、東京行きの終電には間に合うと喜んでいたが、時間になっても電車は来なかった。訝しく思い調べると、荒天のため上越線が運休していることがわかった。今晩だけでなく次の日までの運休で、運転再開の見込みは立っていないようである。12km先の越後湯沢の駅からの新幹線の終電はまだあることがわかったため、まずタクシーを呼ぼうとしたが、全く電話がつながらないか、断られるかのどちらかだった。土樽は無人駅であり、近隣にコンビニのひとつもなく、食料はもう行動食しかないので、泊まれる旅館を探そうということになったが、宿泊できる場所も数キロ以上は離れている上に結局この時間からの予約も難しいことがわかった。駅でビバークするか越後湯沢まで歩くかという選択肢が出て、夕飯を考えて越後湯沢まで歩こうという話になった。


その後 時間ほど湿った雪が降り頻る中を歩き、深夜1時を回った後に越後湯沢の駅に辿りついた。越後湯沢の駅はかなり大きいが、5時になるまで駅構内に入れないことがわかり、結局雪を避けられる地下道でビバークすることとなった。水っぽい雪で服やさまざまな装備が濡れそぼっており、シュラフもかなり濡れていた。気温も低く、山でテント泊した二日間より寒かった。4時半ごろ寒さで目覚め、新幹線の始発が6時ごろのため準備して地下道を出た。

そして無事始発から2番目の新幹線に乗り、東京に帰り着くことができた。


帰宅してから足の両親指の腹が痺れていることに気づいた。山での長時間行動の後にアスファルトの道を冬靴で10km以上歩いたことにより神経が圧迫されたのか、冷えによる軽い凍瘡のようなものなのかはわからないが、1ヶ月たってようやく無事に痺れがとれてきた。


2023年1月7日土曜日

20230107-09_仙ノ倉山 北尾根

  20230107-09_仙ノ倉山 北尾根

メンバー:降矢(3, L),尾高(2),沼田 (1,記録)

https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-5078195.html

 天気
1日目:快晴
2日目:降雪
3日目:晴れ

 1日目
06:00 荻窪駅 出発
09:30 駐車場 10:09
15:05 群馬大ヒュッテ
15:29 幕営地(吊橋)

 2日目
05:30 起床
08:10 雪洞作成開始(50 min くらいで3人用雪洞完成)
09:22 出発
13:45 1182.0 m peak 到着,引き返し
15:29 幕営地

 3日目
04:10 起床
06:16 出発
07:54 駐車場


 本山行の目的は,ピークハントではなく「修行」である.ラッセル地獄に苦しむ経験と,雪洞の作成,雪洞泊の練習.あとは単純に冬合宿に向けた体力作り.

 結局,1日目は林道ラッセルで時間を費やし,群馬大ヒュッテに到着したのが   15:00頃.日が沈む前に雪洞を作れる確証もなかったため,1日目の夜はテント泊.この時点で登頂はあきらめる.

樹木からの落屑に注意.林道分岐まではトレースがあった.

雪解け水が流れていて一部林道が見えていた


 1日目のペースから考えても,仙ノ倉山山頂にはたどり着けないだろうということで,2日目の朝に雪洞を作ってから尾根を登る.

2日目の朝,登る前に雪洞掘りの練習を始める.
50 min程度で3人用がほぼ完成.

積雪量がいまいちで,奥行きが確保できず植生が出てくる.


急斜面をラッセルしながら登って,1182.0 m 地点にたどり着いたのは13:40 くらい.キリがよいのでここで引き返し.降り始める前に雪洞作りの練習.1人分の雪洞なら,30 min くらいで完成.下りはトレースをグリセード and シリセードですいすい.3時間以上かけて登った道を30 min で下る.冬山あるある.

急斜面ラッセル,なかなか標高が稼げない


1182.0 m地点で引き返し


1人分の雪洞なら30 min くらいで完成

 日差しの当たる南斜面は薄いクラストが形成されており,新雪は10 cm くらいの積雪.テントに戻ってきたのは 15:30 くらいで,このまま下山もできるくらいだが,腹が減ったのと,下山後の温泉と飯を食いたい ということでもう一泊.2日目の夜は寒さ対策が充分だったが,何故か眠れんかった.ようやく眠ったのは 2:00 くらいになってからか.起床は 4:00.

 本気で登頂を目指すなら,林道歩行はスキーで挑むだろう.雪洞掘りも問題なくできるようになったし,積雪量もスキーにとっては充分.いつかやるかもしれない山行.


 【反省】

 忘れ物
インナー手袋の予備,ストック、スノーソー


2023年1月2日月曜日

20230102-03_赤岳 真教寺尾根

 20230102-03_清里駅ー美し森ー赤岳(真教寺尾根)

メンバー:尾高(2, L),沼田 (1,記録)

https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-5056803.html

天気:1日目,2日目ともに 晴れ時々雪

 1日目

06:54 清里駅
07:46 美し森
08:03 羽衣池
10:43 牛首山
12:55 幕営地

 2日目
07:20 幕営地
11:10 真教寺尾根分岐
11:27 赤岳 11:53
12:05 真教寺尾根分岐
15:13 牛首山
16:07 羽衣池
16:26 美し森駐車場
16:47 清里駅

稜線手前の鎖は半分くらい埋まっている.
今回の条件において,真教寺尾根からの赤岳登頂は,ハーネス,ロープ,ピッケルが無くても可能だったが,天候や積雪状況によっては危険になりそう


 今回の山行は,冬期登攀要素(冬にロープを使う)があるので,初めての山行になるので,初挑戦独特の緊張と期待を持って挑んだ.1日時点の天気予報では冬型が強まり,西風が強くなる予報だったが,2日の予報では安定した気候の予報に変わった.予想外の好天もあり,「中の中」がちょうどいい難易度だとしたところの自己評価では,「中の上」くらいの山行となった.予定では下山は赤岳鉱泉の方に降りるつもりだったが,幕営装備を持って山頂に向かうことと,真教寺尾根の鎖場を懸垂下降することの手間を天秤にかけたところ,後者を選ぶことにした.

 今回の条件において,真教寺尾根からの赤岳登頂は,ハーネス,ロープ,ピッケルが無くても可能だったが(実際自分らの後の4人パーティはこれらが無しで,ストック所持だった),天候や積雪状況によっては危険になりそう.

自分らより先行した単独の方は,「登りは良いが下りが危険」と判断して下山していった.

幕営完了 この時 14:13

翌朝のモルゲンロート


練習がてら,1っつ目の鎖場でロープを出す.鎖場は雪に埋もれていない.2 pitch目で鎖が埋まっていたが,すぐに掘り返せるくらいの埋まり具合.



 【反省】

 少人数で宿泊装備での行動は荷物が重くなるので歩荷力が必要.25 kg 前後.zero point の 80 L ザックでは限界を感じたので,パッキング方法を工夫するか,ザックを新調するかの必要性を強く感じた.