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2022年8月22日月曜日

南アルプス全山縦走?(夜叉神峠〜寸又峡)

夏に南アルプスを縦走した記録です。書いた後ずっと放置してましたが、このタイミングで投稿します。これを書いたときはまさか半年後に同じようなルートを再び歩くとは思いませんでした。可能な限り色々なピークを巡ったつもりですが、果たして「全山」縦走と胸を張っていえるかはあまり自信ありません。それこそ南アルプスには他にも無数のピークがあるわけですし。

メンバー:尾高、中田(部外)


 Day1(8/21)

この日は実質アプローチ。

出だしは単調な樹林帯の緩い登り。そんな道なので様々な事、これから先の長い道のりへの不安、が頭をよぎる。先日怪我した母指球の傷が気になっていて、特に急ぐ理由もなかったのでゆっくりと歩き、南御室小屋へ到着。てっきりテン場からは電波は通じないと思っていたが、テントからも電波は通じた。

 

Day2

3時起床。のんびり準備をしていたら案外時間が経っていて焦る。4時半頃に出発。またしばらく樹林帯の緩やかな登りである。日の出の光が原生林に差し込み、朝露と樹が黄金色に染まる姿は何とも美しかった。その後5時半頃森林限界へ到着。雲海に浮かぶ富士と北岳の展望が素晴らしい。その後薬師岳、観音岳と進んでいくが観音を超えたあたりで謎の道に入ってしまった。踏み跡はしっかりあるが、どうにも一般登山道としては悪い。どうやら稜線を行く登山道に対して、若干谷側をトラバースしているようだ。稜線まで適当に登り返して一般登山道へ復帰。若干のタイムロスだった。早川尾根方面へと進んでいく。

高嶺への登り返しは中々キツい。また高嶺から白鳳峠までの道はハイマツがかなり茂っていて、ザックがめちゃくちゃ引っかかる。マジで帰りたくなった。結局薮は広河原峠まで断続的に続き、体力を吸われる。広河原峠から早川尾根小屋までは驚くほど緩やかで平和な道。13時ぐらいには到着したので、ラジオを聴きながらのんびり。仙台育英が決勝を制したそうだ。電波は小屋から3分程戻り、稜線へ出ると通じる。明後日の天気が悪そうなので、明日甲斐駒に登って明後日は停滞だろうか。明日の行動時間は長くなりそうだし。

 

Day3

2:30起床。3:50出発。真っ暗な早川尾根を歩く。ふと、ヘッドランプが消えると、本当に暗くて静か。この闇、隔絶感、原始に触れている感覚こそが、人が山に登る根底にある事は疑いようの無い事実では無いだろうか。やがて日が昇り始め、新たな1日の始まりを告げる。朝焼けに染まる甲斐駒ヶ岳、そしてそこから派生し、花崗岩らしいスッキリとした岩壁を擁する摩利支天が、圧倒的な迫力で聳え立つ。それと同時に仙水峠から甲斐駒ヶ岳山頂までの標高差700mの登り返しも視界に入ってしまう。あまり先の事は考えないようにして進む。6:30頃アサヨ峰へ到着。今日このまま両俣小屋まで行くという人に出会う。強い… この荷物の私には到底無理そうだ。お互いの健闘を祈り別れた。その後岩稜のアップダウンを繰り返し、栗沢山へ。途中仙丈を背後にするいい感じのボルダーがあった。中々気持ちよさそう。栗沢山からはいよいよ仙水峠へと450mぐらい下降。仙水峠は気持ち良い風の吹き抜ける場所で、自分の中の峠のイメージと見事に合致していた。仙水峠でザックをデポし、必要最小限の荷物だけ持って行こうかとも思ったが、ここまでずっと背負ってきたザックを下に置いていくのもなんだかなあ、という感じがして山頂まで全て担いでいくことにした。少し休憩した後駒津峰へと登り返し。ただひたすら無心で登る。駒津峰まで最後50mの登りは本当に辛かった。駒津峰からは雨が降ったり止んだり、山頂直前もしんどくほうほうの体で13時頃、山頂へ到着。圧倒的体力不足。普段の自分の不精生を呪うしかない。山頂に着いた途端、それまで降っていた雨が止み、薄日が差してきたのには、思わず祠を拝んでしまった。

 帰り、駒津峰で出会った登山者に山頂にオコジョが居たという話を聞く。えーショック。オコジョ見たかったなぁ。もう一回山頂まで登り返そうか。さらに、駒津峰では長衛小屋の管理人とも少しお話しできた。下山は仙水峠経由の方が早いらしいので仙水峠より下山。あっという間に長衛小屋へ着いた。大体16時頃。長衛小屋は電波は通らず、小屋の衛星電話で下界と連絡を取る。翌日は休養という解放感もあり、テン場ではのんびりとくつろいだ。

Day4

本日は休養も兼ねて停滞。朝7時ごろに目を覚まし、テントから這い出ると2日前の予報に反して一面の青空。若干のやっちまった感があるが、切り替えて休養ライフをエンジョイする方向へシフトする。どうせそんなに急いでる訳でもないし。朝食はフルグラ+スキムミルク+蜂蜜。案外美味く、水を入れて混ぜるだけという、調理の手間がかからない所も気に入った。少し蜂蜜を入れすぎた感はあったが。朝食後は電波を探して放浪に出る。大平山荘の少し先の鋸岳展望台では電波自体は入ったが弱かった(docomo)。ただ鋸岳が大迫力で見れて良い。その後双児山方面へ移動。林道から50m60mほど登り返すと電波が拾えた。明日の天気は悪そう。というか8月いっぱい雨予報である。

 テン場へ戻ると、長衛小屋の方から「じこぼう」という良い香りのするキノコをいただいたので、炊き込みご飯へ混ぜて食べる。当然ながら美味しい。コインシャワーが使えるらしいので使わせて頂く。3日山に入っただけなのに、随分体の肉が落ちたように感じられる。その後は濡れた物を乾燥させたり、記録を書いたりして過ごした。

Day5

2時半起床。

小雨の降る中テントを畳み、黙々と暗い樹林帯の道を進む。1日休養したおかげか少し足は軽いだろうか。天候はガスだと思っていたが、小仙丈ヶ岳のあたりで雲の切れ間に青空が見えた。やはり何度見ても青空は良い。仙丈ヶ岳を超えたあたりから、すっかりガスに覆われ風も強くなり小雨が降り出す。ただそんな風雨もなんだか心地よい気さえする。

大仙丈を超え、いよいよ仙塩尾根に入る。これから数日間はこの長大な尾根と付き合うわけだが、アップダウンはあまり激しくなくなんだか拍子抜け。森は美しく時々ある立ち枯れ帯や草原は晴れた日に訪れたらどれだけ美しいだろう。結局この日最後のピーク、横川岳の手前までそれなりに順調に進む。しかし横川岳の登りから激しい滝のような雨。横川岳を越えてからはかなり近くで激しい雷鳴が2回。樹林帯の稜線を必死に駆け下る羽目となった。  乗越から両俣小屋への道に入ってもスピードを落とすことなく降りていくと、程なくして河原が見え、河原を少し進むと両俣小屋へ到着し、ホッとする。すっかりずぶ濡れとなってしまい、精神的に堪える。小屋内ののんびりとした空気感、猫とストーブに引かれ、ついついカップラーメンを頼み長居をしてしまう。ただ、この程度でへこたれていては、とても残りの行程を完遂することはできない。自身を鼓舞しテント内で濡れた冷たい服を着て乾かす。ガス節約のためにあまり火を付けるわけにもいかないから。寒さに震えながらラジオを聴いて午後を過ごす。濡れたポーチに入れておいたカメラを確認すると何だか液晶の表示がおかしい。中古で15万円とはいえ、今回のために買ったカメラであり、それなりに気に入っていたので、ややショック。翌日は精々45時間程度の行動時間であり、午後の方が天気は良さそうなので遅めの起床とする。

 

Day6

 5時半起床。7時出発。朝方は穏やかな天気で晴れている。これだけ気持ちよく晴れているのはいつぶりだろうか。中央アルプスを背にして右手に北岳、間ノ岳が聳え立ち空には青空が見える。やっぱり山っていいなあ。カメラは液晶の基盤が完全にダメになったのか、画面に完全に何も写らなくなってしまった。しかしどうやらピントとシャッターは生きているようだったので、写真を撮る事自体はできそうだ。

三峰岳までの1000m弱の登りをこなせば、この日の行程はほぼ終わり。三峰岳から間ノ岳にかけての稜線より北側に降った雨はやがて富士川へと流れ、南側では大井川へと流れていく。そんな事を考えると自然のスケールというのは何とも不思議だ。また地図によるとどうやら少しだけ、この旅の最終目的地である大無限が見えそうだ。よくよく目を凝らしてみると、うっすらとどうやらそれらしき山が見える。当然だがまだまだ遠い。。。

三峰岳からは静かな縦走路を熊ノ平へ向かって降りていく。熊ノ平のテン場は徒歩5分程度の井川乗越で電波が通じ、至る所に水場があり、更に農鳥岳が目の前にどっしりと見え、まさに完璧である。この日も12時前に到着し、午後は昼寝をして過ごす。大学生らしきグループがいたので話しかけてみると、彼らは光岳から夜叉神を目指しているとの事。偶然に驚きつつ、お互いの健闘を祈る。また昼過ぎにもう一つ大学生グループが到着した。何と彼らは東大のワンゲルであるとの事!彼らも翌日北岳へ向かうとの事。もう一週間近くずっと独りで歩いているから、仲間と歩いている彼らが少し羨ましいし、随分と人恋しくなってきているのを感じる。もうあと2日ほどで三伏峠だ。三伏峠へ行けば仲間達と合流できる。もう少し頑張ろう。

 

Day7

この日は、朝方はよく晴れる予報だったので、久しぶりに2時半に起床。この日は北岳まで往復するだけの行程であり、テントを撤収する必要がないので、3時過ぎにはテントを飛び出す。満天の星空の下を歩くのは、この度が始まってからは初めてだろうか。静寂に包まれ、星と山の稜線のシルエットのみが見える稜線を歩いていると、地球も間違いなく宇宙の一部であるということが実感される。南東の駿河湾の方では時々雷で雲が光っているのが見えた。

徐々に空は明るくなり、丁度間ノ岳へ到着する頃に日は昇りそうだ。急いで間ノ岳まで駆け上がり日の出を待つが、地平線に雲があり、日はなかなか出てこない。15分程度待ったが一向に出てくる気配が無く、風が強く吹いていて流石に寒かったので、 痺れを切らして北岳方面へ出発。結局その10分後ぐらいに日は出た。 今回の旅では初めての日の出だったので、日の出の瞬間に感じられる、太陽の持つ圧倒的なエネルギーに感動。天気は快晴。目の前には北岳が鋭く聳え立ち、左手には昨日まで歩いてきた仙丈ヶ岳から長く伸びる仙塩尾根、右手にはこの旅がスタートした夜叉神峠から鳳凰三山の稜線が見える。

北岳の頂上に立つと、これまで歩いてきた道のり、そしてこれから歩いていく道のりが一望。ブロッケン現象も見られ、ただただ素晴らしい朝となった。その後はすぐ雲が湧き出し、間ノ岳や農鳥岳の上部はガスに包まれてしまった。ただ三峰岳まで戻って来れば、ここはまだガスには覆われていない。空を漂う雲を眺め、しばらく時間を潰す。大井川の上を、鷲が緩やかに舞っている。誰も訪れず静かな山頂だ。塩見岳まではまだ随分と距離があるなあ。

三峰岳からは赤い屋根が目印の熊ノ平小屋へと一気に降っていく、のだが、何だか足指と母指球が痛む。ここしばらく靴が全然乾かず、足がすっかりふやけた状態で23日歩いたので靴擦れしてしまったのか。テントへ辿り着く頃には少し歩くのも辛いぐらいに痛んだ。足を確認してみると、真っ赤になっていてかなりひどい状態。テーピング等試行錯誤してみる。最終的にキネシオテープとガーゼの組み合わせで何とか歩けるぐらいにはなったので一安心。とりあえず三伏峠は目指せそうだ。

 

Day8

いよいよ単独で歩く最後の日。少し単独の気ままな生活が恋しくはあるが、それ以上に仲間達と合流したいので先を急ぐ。この日も天候はガス。ただ午後は晴れかもしれないとの事。

真っ暗な中鬱蒼とした樹林帯を進んでいく、相変わらず仙塩尾根はアップダウンが激しくなく、歩きやすい。懸念していた足は処置が上手く機能しているのかさほど痛まない。これなら特に問題となることはなさそうだ。

ガスの中無心で距離を稼いでいく。塩見への登りに本格的に差し掛かったあたりで猿の群れと遭遇。七、八頭ほどの猿が、丁度登山道を占拠していた。少し様子を伺った後に、意を決し、口笛を吹きながら前を通らせてもらう。幸いにして近づいていくと向こうのほうから逃げていってくれた。その後は崩壊地の縁のガレ場の斜面を上がっていく。蝙蝠尾根方面への分岐を過ぎると傾斜は緩やかになり、やがて塩見岳へ到着。展望も特に無かったのでさっさと出発、三伏峠へと向かう。下降中一時的にガスが取れ、これから歩く稜線が見える。南アらしく深い緑でどっしりと構えている。

実は塩見の山頂を過ぎたあたりから、三伏峠で合流する予定である雷鳥の塩見パーティとすれ違うのではないか、と思っていたのだが、中々それっぽい集団は見当たらない。少し行動が遅れているのだろうか?それとも、もう既に塩見へ登り三伏へ帰る途中なのだろうか?そんなことを考えていると、遠くの方に56人ぐらいの若めの集団が見えてきた。雷鳥のパーティに間違いない!そう思って、大声で声をかけながら駆け降りたが、どうも向こうの反応は薄い。何かおかしいとは思ったが、全くの人違いであると気づいたのは、50mぐらいまで近づいてからだった。随分と恥ずかしい思いをした後に、ようやく雷鳥のパーティとすれ違う。どうやら午後の方が天候は良さそうだから出発を遅らせたらしい。簡単に挨拶を済ませた後、私は先に三伏峠へと急ぐ。結局13時前ぐらいには三伏峠へ到着してしまった。適当に昼寝をしながら、塩見隊の帰りを待つ。彼らが帰ってきた後、補給の食糧、そして中田に頼んでおいた物資(乾電池、アミノ酸、紅茶)を受け取り、一緒に夕ご飯を頂く。一緒にといっても、僕らはアルファ米、彼らは鍋だが。少しお肉の油を分けてもらうことに成功する。旨い。やっぱり油は幸せの素ではないだろうか。久しぶりに人と話せて何とも楽しい。単独行はもう終わったんだと実感する。

 

Day9

この日は5時間程度歩けば終わる行程。

朝一で歩いてみると、昨日までに比べて足が明らかに軽い気がする。アミノバイタルのお陰だろうか。スティック一本で随分と変わるものだと驚いた。

烏帽子岳、前小河内岳と順調に進む。この日の天気はこの度始まって以来の快晴。本当に雲一つない天気であり、後半戦のスタートとしては随分幸先良い。塩見が重量感を持って聳え立ち、長大な蝙蝠尾根を伸ばしている。更に雲上に、逆光のせいだろうか?やけに立体感の無い富士山が浮かんでいる。これから登っていく小河内岳は穏やかな山様で、肩に避難小屋を抱き、まるで絵画のよう。小河内岳の山頂は360度の展望。眼前には圧倒的な迫力を持ち、荒川岳が聳える。南に目を移すと、これから歩いていく光岳までの南アルプス主稜線が一望。荒川、赤石、聖、光。。。まだまだ後半戦は長そうだ。西方には伊那盆地を挟んで中央アルプス、北方には塩見岳、その奥に仙丈ヶ岳、間ノ岳などこれまで歩いてきた山々が見える。そして東方には富士山が浮かんでいる。今年の7月富士山で過ごした日々を思い出し、まだ大して時間も立っていないのに少し懐かしくなる。

あまりに居心地が良く、時間も無限にあるので結局1時間半ぐらいのんびりしてしまった。ただ、休憩の際に、ザックの下に敷いてしまったのか、携帯の液晶を割ってしまった。今のところは何とか動いているが、この先大丈夫だろうか。。。中田と合流した後で本当によかった。しかしそんな事も許せるぐらいには気持ちの良い天気だった。晴れていることに加え、もう8月も終わりということで、そんなに暑いということもなく快適。こんな天気の日には何ということのないありふれた樹林までもがとても美しく見える。その合間に時々ある、草原状になっているお花畑なんかはかなり自分の思い描く天国の世界に近い。そして道中に時々ある崩壊地の縁では、谷から冷たい風が吹き上げ、とても涼しい。結局大日影山は良くわからずに通り過ぎてしまった。板屋岳はいくつかの小ピークの後にある。このあたりまで来ると随分と山深くなってきたと感じる。結局11時頃には高山裏避難小屋へ到着。また午後のお昼寝タイムが始まってしまった。しかし、これまでと違うのは話相手がいるということ。適当にテントを張り、ラジオを流し、荒川岳を眺めながらゆったりと過ごす。

水場は正しい場所がかなり遠く、良くわからなかったので、水場と思われる場所までの途中にある沢の水を使った。地図を見る限りでは、沢水で合ってる気もする。

15時頃から軽く雨が降り、雨の上がったタイミングで天気予報を見るため電波を取りに行く。電波は板屋岳の方へ10分程度上がると取れる。明日の天気は大きく崩れることはないという感じだった。炊事の際に、私の食器でお湯を沸かそうとすると中田がいきなり自分の食器でお湯を沸かすと言い始める。

「なんで?」

「だって尾高の食器汚いじゃん」

確かに汚い事は認める。水を入れると変な油やゴミが浮かんでくる。しかし、1週間以上使えばどうせ食器なんて汚くなるに決まっているじゃないか。どうせそのうち気にしなくなるのに、そんな事を言っても意味ないじゃないか。不平を押し切って、私の食器でお湯を沸かす。更に雨が降り始めると、雨の中歩きたくないとか言い始めた。テント内の空気は若干険悪になるが、ラジオを流すことで何とか中和された。ラジオ様様である。

 

Day10

いよいよ日数は二桁へ突入。この日は荒川岳を越える行程。荒川岳手前は悪そうだったので、実はそれなりに緊張していた。中田の目覚めはかなり悪いため、自分の足のテーピング等を先に済ましてから、彼を起こす。起こすのだが、彼は中々起きないのである。別にそんなに急いのでないので良いのだが。

朝一は荒川への登りが本格的に始まる小広場までトラバース道。トラバース道は基本的に快適だったが、実は毎朝のことではあったのだが、ザックが道へ張り出してきた樹木へ引っかかり、朝露でびしょ濡れになった。樹に引っかかる度に体力も消耗するし、難儀していたのだが、中田のザックは全く引っ掛かっている様子は無い。なんで?よく見ると私のザックと彼のそれは随分容積が違う。13倍ぐらい俺のザックの方が大きくないか?それにしてはあまり重さは変わらないのである。不思議だ。彼はパッキング技術の差だというのだが、そうなのだろうか?このことには最後まで悩まされるが、その事は置いておいて、小広場から本格的な登りが始まる。昨日1日の昼寝とアミノバイタルのおかげでほぼ体力は完全に回復していたため、標高差550mの登りも快調にこなす。最初樹林で、のちに谷のゴーロ帯を上がっていく。このゴーロ帯は山と高原地図では破線となっていたが、ジグザグにしっかりとした道がついていて何の問題もない。しばらく上がったのちに稜線と合流。稜線の反対側は切れ落ちた崩壊地となっており、両側が切れ落ちているので高度感がある。中田は随分と怖かったそうだ。慎重に通過すれば特に問題はないだろう。あまり崩壊地の縁に近づきすぎないように注意。そんなこんなで前岳到着。ガスの切れ間から大迫力の崩壊地が見えた。前岳から中岳までは割とすぐ。関西から来たらしいご機嫌なおっちゃん達と写真を撮った後、避難小屋の軒下に荷物をおいて最小限の物だけ持って悪沢岳へ。悪沢岳への登りの途中でペースを巡ってやや険悪なムードになったが、それ以外には問題なく悪沢岳へ。ガスのため展望は0。 記念撮影を済ませたらそそくさと避難小屋へ戻る。ザックを回収し荒川小屋へ下っていく途中でお花畑を横切るが、ほとんどの花の見頃は終わっていた。咲いていたのはマリーゴールド系?の花だけだった。結局11時頃には荒川小屋へ。本格的に時間を持て余してきたが、小屋の予約の関係とか色々あって前に進めないので仕方ない。計画をもっとしっかり練れば良かったと後悔し始めた。全然計画に私が関われていなかった私が言えた義理ではないのだが。

午後になって天候はすっかり晴れてきたので、今日もお昼寝。もはや歩いているよりお昼寝している時間の方が長いのではないのだろうか。そんな罪悪感を別にすれば、バカンスとして最高だった。真っ青な空の元、ラジオを聴きながらお昼寝、小屋で調達したビールで乾杯、しかも電波までもが通じる。こんなことが許されるのだろうか?何だか思い描いていた山行と違う。。。この点は二人とも一致した。

 

Day11

この日は5時間にも満たない行動時間。この旅で一番楽と思われる。

トラバース道を経た後、荒川岳を背にしながら赤石岳まで登る。あっけなく赤石岳の山頂へ。しばらく待つとガスが取れ、聖までの稜線が見える。聖も随分とずっしりとした山容である。ご機嫌な気分で下降して行く。やがて平たい台地状の百間平へ。自衛隊のヘリが何故か繰り返し同じところを飛び回っている。訓練だろうか?百間平で少し時間を潰した後、百間洞山の家へ下降。何と10時前に到着してしまった。最早笑う他ない。またラジオを聴いて時間を潰す。最早ラジオの番組をすっかり覚えてしまった。

もう後2日で光岳、という事実に驚く。

 

Day12

今日は前日までと比べれば漸くまともに歩ける日。意気揚々と出発する。

稜線に出るまでは時々小雨程度で収まっていたが、稜線に出てからは俄然土砂降りになった。また風も強い。平均15m、 強い時には20m弱吹いていたと思われる。雨が頬に当たり痛い。風が強い時には耐風姿勢を取らないと飛ばされそうになるなど、行動可能な限界のラインに近いと感じた一方で、気温は特に低くなく低体温症の危険は低いこと、更に転倒による滑落等も考えづらかったので、この程度の天候ならば行動可能と判断、悪化予報なら百間洞へ撤退、良化予報なら続行という事で、天気予報Check。 予報によれば朝方は兎から聖までの稜線では風が強いが、昼前にかけて収まるとの事。兎岳に避難小屋があることも考慮し、続行決定。実際その後は風雨共に強いものの、歩ける範囲内であり、悪化することは無かった。ただ中田は兎岳の避難小屋で天候の回復を待ちたいとのことで、7時半ごろから11時まで避難小屋で停滞する事とする。避難小屋に到着して早々中田は寝てしまった。私はガスにかなり余裕があったので、火を焚いて、びしょ濡れになった服を乾かす。そんな感じで過ごし、11時頃。天候はそんなに良くなったとも言えないが、全く行動に支障をきたすレベルではないので、出発。黙々と登りをこなし前聖岳へ、ガスっていたので奥聖には行かずに聖平へ下降を開始。この時も西側からかなり強い風が吹いていたが、特に問題にはならず、むしろ単調な道の良いスパイスになった。そうこうして聖平小屋へ。小屋についた途端雨がいきなり強まり、土砂降りになった。中田は半ば放心状態となっていた。雨の弱まった隙を見て何とかテントの設営を済ませ、テントへ潜り込む。虚空を見つめている中田はかなり消耗しているようだ。明日停滞するか、茶臼で降りたいという彼を宥めていたのだが、私も少し外に電波を拾いに行った際に、モバイルバッテリーが若干濡れただけで壊れて、気分が落ち込む。テント内の空気はにわかに険悪なものとなった。もうすぐでブチ切れそうになるのをグッと堪えてラジオの電源を付ける。やはりラジオは全てを解決するのだ。空気が若干和らいだ気がする。長期縦走においては、相手と上手くやって行くのが一番の核心かもしれない。このあたりから、湿った服を着て寝ていたせいでシュラフも若干湿ったのか、それとも脂肪が落ちてきたのか分からないが、寝ていて若干寒かった。

 

Day13

朝中々目覚めない中田を見て、どんだけ寝るんだこいつと思った気がする。

この日は光小屋までの行動だが、どうせ12時ぐらいには着きそうなので、余裕があればその先信濃俣のコルあたりまで足を伸ばすこととする。朝イチで上河内岳へ登るが、本当に何の記憶もない。ただ無心で上がった。またガスだったので山頂はパスして先へ向かう。

穏やかな稜線を歩いていまいちパッとしない感じの茶臼岳へ、その後樹林帯の稜線を歩いていく。このあたりはそこそこ晴れていた。特に特徴のない道を歩き、易老岳へ。ここら辺から雨が降ったり止んだりという感じ。光の登りは涸れ沢を上がっていく。なんか中田が距離を空けてるなと思い、後で聴いてみると私の靴が臭かったらしい。。。まあ予想通り12時頃には光岳小屋に着いたが、小屋に着く少し前あたりから雨足が突然強まり、随分近くで雷も鳴り始めた。これに心を折られてしまい光岳小屋で本日は終わりにすることに。最後の小屋ということで、小屋泊をしてみようという事になったが、貧乏学生には中々厳しい料金だったので泣く泣くテント泊へ。代わりに自分達で温めるタイプのおでんを買った。おでんはめちゃくちゃ美味かったです。大体のものが微妙に濡れているテントの中でまた午後を過ごす。

 

Day14

3時半頃に起床。 しかし雨が降っていたので、情けないことに、中々外に出る気がしない。意思よわよわである。うだうだしているとテントの外から声を掛けられる。何と小屋の方から、小屋での朝食を誘って頂いたのである!長い間アルファ米しか食べていない我々は有り難く朝食を頂くこととする。小屋でいただいた白米はこれまで人生で食べた白米の中で一番美味しかったかもしれない。本当に全てのものが美味しかった。ごちそうさまでした!更におにぎりまで頂いてしまい、何とお礼を申し上げたら良いか。。。

それまで風前の灯だった我々のモチベーションは俄然かつてないほどまでに高まり、いよいよ最終章の深南部へと突入する。

最初下降する尾根を一瞬間違えた以外は割と順調に進んでいく。というか、割としっかりピンクテープと踏み跡が着いており、道はわりかしわかりやすい。百俣沢の頭でも迷いようのないぐらいしっかりとした標識がある。ただ道はそれなりに歩きづらくなってきていて、特に中田は苦戦していたようだった。コルから先、信濃俣への登りは、最初は急登。木の根を掴み這い上がるような場所が何箇所も出てくる。そうした深南部の洗礼を浴びた後、信濃俣の山頂へ。深南部はほとんどそうだが、静かで展望0の山頂である。ブナ沢のコルまでの下りも何だかんだ時間がかかり、薄々本日の目的地であった三方嶺までの到達は無理なんじゃないかという空気が流れ始める。それに、もともと深南部に着たいわけでは無かったという中田は中々辛そうだ。今日中に大根沢山まで着けば何とか明日下山できるだろうか、ただその場合には大無間山はカットせざるを得ないだろう。そんな事を考える。 

この日最大の難関が大根沢山への登りである。標高差は500m近くあり、更に地形図からもかなりの急登であることが窺える。その大根沢山の登りの出だしで、私がルーファイをミスったせいで、変な場所を這い上がることとなってしまい、その際、後ろにいた中田へ落石をぶつけてしまった、今回は特に大事には至らなかったが、頭に当たっていたらと思うとヒヤッとする。厳に気を付けたい。そして最初急登を100mほどこなすと、少し下るが、その際ちょっとした岩場がある。注意すれば特に問題はないが、少し岩が脆いところもある。

大根沢山への登りは縦横無尽に獣道が走っていて、どこを歩けばいいかはよく分からない。とりあえず上を目指して行くとたまに赤テープがあるという具合。そんなこんなで山頂へ辿り着く。山頂は平坦な樹林帯。もう既に時刻は16時ほどであり、水場のあるアザミ沢のコルへと下降しても、幕営適地があるかは不明だったため、この日は大根沢山で幕営。こういった可能性を考えて水を多めに持ってきていたため特に問題は無かった。この山行最後の幕営であり、感慨や若干の名残惜しさも当然あったが、それ以上に早く下に降りて美味い物を食いたかった。

 

Day15

いよいよ最終日。日の出と共に行動し始める。空は珍しく快晴。最終日に素晴らしい天気で送り出してくれる南アルプスに感謝する。三方嶺への下降はテープが沢山あり、迷う心配は少ないだろう。三方嶺へ向けては、 下降した後いくつか小ピークを超えていく。こうした小ピークは巻道のような踏み跡がついていることが多いが、基本的には尾根通しにいったほうが結局歩きやすく楽な場合が多かったように思う。もちろん場合によってはそういった踏み跡を利用した方が楽だった場合もあったが。

三方嶺までは所々急登があるが、特に難しい箇所等は無く踏み跡とテープを追っていけば問題無く辿り着ける。 三方嶺は草原状の山頂でとても気持ち良い。三方嶺は最後の大きな登りであり、終わりが近いことを実感する。大根沢山、信濃俣、その奥に光、更に見果てぬ深南部の深緑の山が広がっている。ここまで大きな怪我も無く進んでこられたことを感謝して山頂を後にする。三方窪方向へ向かう尾根は笹原となっている。

適当に踏み跡を拾って下っていくと三方窪手前へ。本日一の難関であろう、三方窪周辺は鬱蒼とした樹林の、名通り三方を囲まれた窪地となっており、中々複雑である。まず手前で北西方向へ下っていく尾根に乗る。高度計を見ながら1900m付近まで下降。その後尾根から外れて西へ下っていく。すると少し開けた窪地が見えてくる。そこがまさしく三方窪である。今回は幸いにもスムーズに三方窪へと下降できた。なお、途中下降する尾根は赤テープが沢山ついているが、そのまま辿っていくと寸又川まで降りてしまいそうな感じだったので信用しない方が良いかもしれない。また、尾根上は猛烈な藪により通行困難との事。三方窪から先もやや分かりづらい。踏み跡を辿って西側の窪地へ出る。その後も踏み跡を辿っていくと、トラバースが始まる。大体高度を維持しつつ歩いていくと、緩やかな斜面が徐々に急になってくる。斜面が急になってきたあたりで稜線へ上がり、登っていくとやがてコッパ沢の頭である。コッパ沢の頭から下ってすぐの鹿の土俵場は幕営に良さそうな笹原。

突然現れる営林小屋を過ぎてから、しばらくするとお立ち台への下降点。ここで稜線に別れを告げて尾根を下降していく。尾根はこれでもかという程赤テープが付いていて、迷うことはないだろう。正直、これまでの道に慣れていると少し寂しくなってしまうほど。下山マシーンとなり、ひたすら下っていく。しばらく下っていくと、植林地となり本格的に丹沢的な雰囲気となってくる。旅の終わりを実感する。お立ち台は今は寸断されている寸又川左岸林道との交差点であり、トイレなどが整備されている他、深南部の展望が開けている。

お立ち台から先は石垣などいよいよ人の痕跡が濃くなってくる。途中、一度派手に描かれたマーキングに騙され、集落跡?っぽいところへ降りてしまった。また途中、天地吊り橋への分岐があった。一度行ってみたいスポットではある。

千頭ダムはとても立派なダム。堆砂率日本一で有名。随分人の世界へと戻ってきた気がするが、実際にここから最寄りの人家のある寸又峡までは10km以上歩かねばならないのである。帰りの林道もひたすら無心で歩く。休憩のタイミングとか、中田と途中から考えていることが一緒になってきて笑ってしまう。そんなこんなで2時間半程度歩き、寸又峡へ。最後の方は靴擦れで足が痛過ぎた。一度立ち止まったら二度と歩き出せないんじゃないかという感じ。最後寸又峡へ辿り着いた際には、予想していたような感慨とか感動は薄く、やっと終わった、という解放感が優っていた気がする。

寸又峡には久しぶりに来たが、季節の問題か、前来た時よりも随分賑やかな印象で、山奥の秘湯的な雰囲気を勝手に期待していたので若干がっかりだった。後はバスと大井川鉄道に揺られ、その日のうちに帰宅した。

 

今回の山行は一つ自分の夏山での目標となっていたルートであった。そのようなルートを無事やり遂げることができたということは、確かに自分の自信となったが、それと同時に、むしろそれ以上に現状の自分の抱えている弱さと向き合わされた山行だった。弱さというのは体力的な面も無論そうだし、更に精神的なタフさや仲間と上手くやっていくコミュ力の問題もあった。こうした自分の弱さと向き合えたのが、今回の山行の一番の収穫だったのではないかという気さえしている。

とはいえ、長期間山に入るという感覚は他では得られないし、何よりとても楽しい。下山してから数ヶ月が経つ、今でもあの日々は色褪せないどころか一層輝きを増しているように思える。

2022年8月12日金曜日

20220812_剱岳源次郎尾根 主稜

メンバー:岡本(4, L),降矢(3),尾高(2),沼田(1, 記録)

天気:晴れ時々雨,午後は晴れ

04:35 剱沢キャンプ場 出発
05:30 平蔵谷出合 取り付き
08:36 源次郎尾根Ⅰ峰
09:18 源次郎尾根Ⅱ峰
11:21 剱岳 山頂
11:55 カニのヨコバイ
12:03 カニのタテバイ
12:09 平蔵の頭
12:39 前剱
13:23 一服剱
13:39 剣山荘
14:19 剱沢キャンプ場 幕営地


 源次郎尾根 主稜で使用する登攀具は,懸垂下降のためのロープ(60 mあると下まで楽に降りられる)と,Ⅰ峰到着前の岩場で使うスリングやカラビナ数個で充分.危険個所はあるが傾斜は緩かったり,足場がしっかりしているので大丈夫.不安な人はロープで確保したほうがよい.カニのヨコバイ・タテバイのほうが恐怖感がある.


 朝食は素麺.山で素麺を食べるのは初めてだったので新鮮でおいしかった.しかしおいしいのは初めだけ.量があるので後半はしんどかった.最後はしょうゆを継ぎ足して一気に飲み込んだが,ゆで汁に粘性があり醤油が攪拌されておらず,めちゃしょっぱかった.

 予定していた源次郎尾根 主稜は計画通りに完遂でき,無事に山頂も踏めた.全体を通して思っていたよりも植生が多く,Ⅰ峰までは木の根や植生が特に多い.1つ目の岩場はややハングしており,リーチと腕力がないと少し難儀するかもしれない.安定した足場から手の届くところにハーケンが打たれているので,心配な人はセルフ確保をしたほうが良い.後続を巻き込まないためにも.実際,先行者の方が登ろうとしたときに,体が上がらずフォールしてしまった.セルフを取っていなかったら完全に巻き込まれる位置に立っていたので危なかった.

 2つ目の岩場で先行者に追いつく.4人組のパーティーに先を譲っていただき,時短のためとその方々のロープとカラビナ・スリングを使用して私がリードで登った.足を乗せるホールドが小さいので,登山靴が滑らないか心配になった.ロープは出さなくてもよいが左側が切れ落ちているので,落ちると死ねるかもしれない.中間支点のハーケンが2つあるが,1つ目をクリップすればその先はらくらく.2つ目はクリップしなかった.登り切った先の太い木に240スリング巻いて支点構築.時短のため,後続はフリクションノットで登った.


Ⅰ峰の手前 回り込んで登る

このトラバースの先は道がなくなっている

こちらが正解


 8時頃からだったか,Ⅰ峰に到着する前に雨が降り出してどうなることかと思ったが,すぐさま強い雨にならなかったので雨具を着用して先に進んだ.地面や岩がびしょ濡れになるほどは降らなかったので,登山靴のフリクションは充分に効いた.10時くらい,Ⅱ峰から懸垂下降するときには完全に止んだので安心した.懸垂地点には,鎖で作られた頑丈な支点のほかに,リングボルトが3本打たれた支点があり,これらは干渉しない位置取りにあるので,混んでいるときは2か所からの同時下降が可能.しかし,実際に同時下降するかどうかは賛否が分かれる模様.


懸垂下降をしているところ.
下降地点は落石などがあるため,降りたら速やかに離れましょう

60 mロープを1本持ってくる代わりに30 mを2本持ってくるという手もあると,他パーティーの方から教わる.1人当たりの荷物量を軽くできるからいいかもしれない.その方々は,「元々60 mだったロープが,チンネを登った時,懸垂下降の際に落石によって2つに分かれた」と言っておった.なので,「懸垂下降するときには,余って地面に置かれるロープは壁から離れた位置に片付けて置くとよい」とのことでした.


 懸垂下降を終えてⅡ峰から本峰に向かうルートの岩場は,事前に調べて予想していたよりも脆くて,落石させないように気を遣う必要が大いにあった.我々が登っているときも先行者からの落石があり,身が引き締まる思いだった.別山尾根を通過するときも雨は降らなかったが,雲の中だったので鎖が少々濡れていた.ロープで確保されていない分,別山尾根のほうが怖い.鎖にセルフを取れば安心できる.


撮影していただきました.ありがとうございます.
山頂からの景色はない.

カニのヨコバイ

 14時くらいに幕営地に無事に戻る.よもやま話やら昼寝やらをしてゆるゆると過ごす.風が強いので半袖では寒い.メンバー全員が集合してから明日以降の計画について話し合う.翌日以降,計画を遂行するには真砂沢まで下る必要があったが,足首や膝の不調,頭痛があり気分がよくないと訴えるメンバーが3名おり,この状態で真砂沢まで下るのはリスクが大きいと判断.その上,台風による悪天候の予報もあるため,次の日で下山することに決定.7日間の合宿の予定がわずか3日間で終了となった.

 OBの福田さんが持ってきてくれたスイカ(5 kgらしい)を割って,夕食後のデザートとした.山で食べるスイカはうまい.先輩に感謝.


降矢さんの頭によるスイカ割り 成功.


 この日の夜は月がとてもきれい.12日はちょうど満月なので,大量に満月光線が降り注いでいた.ヘッドライトなしで行動できるくらいで,月の明るさを改めて感じた.






20220812_剱岳源次郎Ⅰ峰側壁成城大ルート

 20220812_源次郎Ⅰ峰側壁成城大ルート

 

メンバー:L福田(OB)、土田(4)

天候:曇り時々雨

 

 

4:00 剱沢出発

4:40 源次郎尾根取り付き

6:45 成城大ルート取り付き

7:00 登攀開始

9:55 源次郎Ⅰ峰

12:40 源次郎尾根取り付き

15:00 剱沢

 

 

朝食の素麺が想像以上にキツく(量が多く尚且つ不味い)、気分が上がらない中、剱沢を4時に出発する。お盆期間中とあって多くの人たちが剱沢を出発している。剱沢雪溪を降っている最中に源次郎尾根に向かっている多くのパーティが見え、渋滞を覚悟する。福田さんは去年の記憶が蘇ってくるようだ(2021夏合宿源次郎尾根の記録を参照)。源次郎尾根取り付きでアイゼンとピッケルをデポして尾根を登り始める。取り付きすぐの岩場で先行パーティに追いつき岩場を超えた少し先で先を譲っていただく。また次の岩場でも先を譲っていただいた。この岩場が案外悪く、ちょっと怖いが執念で突破。尾根末端から1時間ほどで縦走路と別れるポイントに到着。小休止をとって踏み跡を辿る。しばらく進むとルンゼが出てきてそこを下る。ほんの少しルンゼを降りると、すぐトラバースする踏み跡があるのでそれを辿る。途中踏み跡が消えかかるが、ハイマツの中をかき分けて進むと草付きに出て、そこをトラバースすると中央バンドに出る。あとはバンドを登っていけばハーケンが打たれているテラスに出て、テラス右側のルンゼが1p目となる。有難いことに私が4p目のリードをさせていただけることになったので奇数ピッチを福田さん、偶数ピッチを私がリードすることにした。


源次郎尾根取り付き


中央バンドまでの藪漕ぎ



中央バンド


 

 

1p目 福田

 

取り付き右側のルンゼを登り、草付きを登る。福田さんは3回目とだけあって、あっという間にビレイ解除のコール。終了点はそこそこ広いテラス。

 

 

2p目 土田

テラスから右に移り、カンテ状のフェースを登る。カンテが2~3枚あってどこを登ればいいのかあまりわからなかったが簡単そうなところから登る。終了点はハイマツテラスと呼ばれる広いテラスだが、あんまり「ハイマツ」という感じはせずただの広いテラス。

 

3p目 福田

 

テラス左側のカンテの左を登る。足でうまくステミングっぽいことをして登ることができ楽。終了点はそれなりに広いテラス。3p目終了時点で登攀開始から1時間経過していた。




テラスに乗り越すところ


 

 

4p目 土田

 

このピッチがこのルートの技術的核心となるピッチである。自分が想像していたよりも斜度はないが、非常に開けた岩場ではあった。ビレイポイントからTUSACの2019年夏合宿で崩落させてしまった箇所の痕跡がはっきりとわかった。3年経った今でも遠くからわかるほどの大きさであったので相当な崩落だったのでしょう。

 

トポ(日本の岩場下巻)ではピッチ終了点からすぐにトラバースする図になっていたが、まず5m弱直上する。そのあとフレークがあるところまでトラバース。トラバースを始めるところまで全くプロテクションが取れないので少し怖い。トラバースを終えるとフレークをつかみながら直上。左のフレークにカムがよく決まるし、足を突っ込むことができるので安心。フレークを抜けた先で再びトラバース。このトラバースがこのピッチの中一番緊張した気がする。トラバースをした後、残置が連打されている箇所があるが次のピッチのロープの流れを考えてもう少し左上して、(半分浮いた)綺麗なボルトのある箇所でピッチを切る。このビレイポイントは他のピッチのビレイポイントと違ってテラスと呼べるほどのものでなく、ものすごい露出感のある場所であった。

 

さて、実はこのピッチの終了点につく直前で雨が降り始めた。福田さんは雨が降る中、慎重に登っていたが、さすが3回目とだけあってすんなり登ってきた。




最初のトラバースを終えたところ


 

 

5p目 福田

 

ビレイポイントから少し左にトラバースしてそこを直上。再度左にトラバースして草付きのルンゼを登り、最後はハイマツを藪漕ぎするピッチ。雨のせいで岩が濡れ始めており、慎重にリードが進む。リードのビレイ中は雨が止んでいたが、私が登り始めるときに再び降り始める。最初の岩の直上は慎重にいけば大丈夫であったが、直上後のトラバースが濡れのせいで非常に怖い。外傾している岩はもれなく滑りそうで相当に気を使ったし、尚且つ足場が崩れやすく、一箇所、足を乗せようとしたら崩壊した場所があった。晴れていれば容易にクライムダウンして行くことができるそうなのだが、濡れているのでそんなことは到底できない。草付きは岩のホールドがなく、草の束を根っこから掴んで登るという「快適」とは言い難いクライミングをしていた。またピチ最後の藪漕ぎも、とにかく滑るのでハイマツを引っ張りながらの奮闘的なクライミングとなった。正直、このピッチがフォローながら一番恐怖感を感じた。ピッチの終了点はハイマツを超えた先のテラス。

 

5p目を終了すればあとは適当にハイマツを藪漕ぎしてちょっとした岩場を越えれば縦走路に復帰することができるので、5p終了時点でロープを片づける。と言っても途中の岩がツルッツルでこれまた奮闘的なクライミングになってしまった。そんなこんなで縦走路に復帰してⅠ峰頂上に行く。この段階で10時であった。Ⅰ峰で休憩を取りながら長次郎谷側を見るとフェースにはクライマーが張り付いている。特にCフェースは盛況であった。


最後はハイマツとの闘い


 

山頂をバックに


フェースがよく見える




Ⅰ峰からは源次郎尾根を上がって山頂に至って下山するパターンと源次郎尾根をそのまま下降するパターンがあるが我々は後者を選択した。しかしながら源次郎尾根の下降は私にとって結構大変であった。まず私自身下降が下手な上、尾根がまあまあ急傾斜であり、気を使わなければならない場面が多かった。それに加え、途中意味不明の分岐がありハズレの方に進んでしまうと大変な下降を強いられる場面があった(こういう場合は面倒くさがらずに分岐まで戻るのが正解なのでしょう)2番目の急な岩場と、尾根末端から見て最初の岩場は懸垂下降で降った。結局私の下降スピードが遅かったせいで2時間30分も下降にかけてしまった。どうでもいい話だが源次郎尾根上に結構落とし物が多く、気付いたものだけで、何かのケース、ヘルメット、時計などがあった。

 

福田さんはこの日中に下山するということなのでここでお別れして先に行ってもらう。私は尾根下降で体力を大方吸われ、剱沢まで登り返すのになんと2時間以上かけてしまった。

2022年8月11日木曜日

20220811_夏合宿入山

20220811_夏合宿入山記録


メンバー:L土田(4)、松坂(4)、岡本(4)、降矢(3)、尾高(2)、小西(2)、沼田(1)、福田(OB)

天候:晴れ

記録:小西


10:30 室堂

11:10 雷鳥沢

13:00 劔御前小舎

14:10 劔沢キャンプ場


2年の小西です。8月も終わりになって、入山の記録を書いています。山行後の記録アップロードの早さには定評のある(?)私ですが、後述の出来事のせいで現実を直視できず、この記録をあげるのには当日から20日以上もかかってしまいました。


ただ、あんまり後回しにしてもしょうがないのでそろそろ書こうかなと思い、重い腰を上げた次第であります。


当初の計画では8/6から12日間にわたって行われる予定だった夏合宿も、諸事情で11日入山に変更となってしまいました。そして10日の段階で台風が発生し、更なる計画の変更も囁かれたのですが、10日の夜行バスをすでにとってしまっているうえ11日の天気は良さそうだし、これ以上日程を変更するとこの後の山行にも支障をきたしてしまうとのことで、結局入山することなりました。


そんなこんなで入山前にさまざまな苦労があり、6日からの5日間は特に何もすることがなく悶々とした日々を過ごしていたものですから、無事に室堂から歩き始められた時は、非常に晴れやかな気持ちでした。とりわけ今年からTUSACに入った私にとって、この夏合宿は非常に楽しみにしていたイベントで、入山ですらワクワクして仕方なかったのです。しかしよくよく考えると(考えなくても?)毎年のように劔に行っている諸先輩方からすれば、重いザックを背負って5-6時間歩くだけの虚無だったのかもしれません笑



この日の行動予定は、室堂から雷鳥沢キャンプ場まで200mほど下り、そこから劔御前まで500mほど登り返し、そこから真砂沢まで雪渓も通りながら1000m下るというものでした。重荷である程度の標高を稼ぐという経験は、7月の3回ほどの歩荷ですでにしていたので、それほど心配はしていませんでした。現に、荷物は日程短縮に伴って食料も減ったおかげで想定していたよりも軽かったので、余裕を持って劔御前小舎まで行くことができました。


後で知ったのですが、昨年はここまで来るのに4時間ほどもかかっていました。その意味でも、いいペースでいけたのではないでしょうか。劔御前で先輩が「何もなさすぎて逆に心配」と言っていたのを覚えていますが、思えばこれがフラグだったのかもしれません。


劔御前からは剱岳がとても綺麗でした(電波が通じたので友人に写真も送りました)。源次郎も八ツ峰もはっきりとわかります。私には到底無理でしたが、先輩はピークの名前まではっきりわかるようでした。あと何回見ればわかるようになるかな…


劔御前から見た剱岳


ところで、先ほど登りに関してはあまり心配していなかったと書きましたが、実は下りに関しては少し心配していました。というのも、今まで歩荷を行った時は(膝を壊さないように)山頂で水を捨ててから下りていたものですから、下りで重荷を背負ったことがなかったのです。だから、下りには気を遣っていました。





私がガレ場で転倒したのは、段々と劔沢キャンプ場のテント群が大きくなり、劔御前を発ってから時間も経過していたのでそろそろ休憩かな、と思っていた矢先でした。その時のことはあまり覚えていませんが、後ろを歩いていた先輩によると、登りの登山者に道を譲ろうとして避けた時につんのめって前からこけたとのことでした。


岩に頭をぶつけて出血したようで、その場で簡単に水で流してもらいました。意識に異常はないか、吐き気がないかなどを確認してもらっているうちに、他の登山者から通報を受けた小屋の方が上がってきてくださいました。小屋も近かったので、とりあえずそこまで行って手当を受けることになりました。自分で荷物を持てなかったので土田さんに持ってもらいました。


劔沢キャンプ場には十全山岳会の救急医の方がいらっしゃって、その方にいろいろ診てもらいました。幸い大怪我ではなかったのですが、翌日に下山した方が良いと言われました。私は正直に言って、1日くらい休めばなんとかなるだろうと思っていました。だから、そのことをお医者さんにそれとなく言ってみました。しかし彼は、「確かに登山は自己責任だけど、部活でそれをやってしまうと、もし何かあったときに君の先輩にも迷惑をかけてしまうよ」といった趣旨で私を戒めました。それを聞いて私は泣く泣く下山を決意しました。その日はひたすら悲しかったです。


私の夏合宿はこれにて終わってしまったのでした。


翌日の下山では、弱音もたくさん吐いてしまいましたし、足の痛みでかなりゆっくりしか歩けず、自分も源次郎に行きたいのに荷物を持ってついてきてくれた松坂さんにはご迷惑をおかけしました。それと同時に、いろいろとフォローしていただき本当に感謝しています。ありがとうございました。


下山日(12日)の朝撮りました


追記:これは後日の話になりますが、9月に夏合宿の代替としてもう一度劔に行けることになりました。忘れ物を取りに行ってきます。