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2025年9月28日日曜日

20250928_仙ノ倉谷東ゼン

 20250928_仙ノ倉谷東ゼン

メンバー:L落合(2)、井上(1)

天気:晴れ
0855 
土樽駅

1055 入渓

1300大滝

1720稜線

1920平標山登山口バス停

 

始発で土樽駅845分着。井上がトイレに行くというのでしばらく待つ。長いなコイツと思ったら土樽駅のトイレにトイレットペーパーがなく、変態ムーブをかましていたらしい。で、ボチボチ歩き始める。割と暑いので沢への期待が高まる。冬は1日かかった仙ノ倉の林道も1時間で越える。井上にそれを伝えたら井上はお先真っ暗な気持ちになったらしい、雪は真っ白だけど。群馬大山荘から入渓点まではドロドロ道を進む。

入渓点

虫は少ないけど倒木は多い


30分進むといよいよナメが現れる


最初の滝

2つ目の滝。快適に登れる

西ゼンのスラブは綺麗
東ゼン。奥に大滝が見えて期待が膨らむ

これは中ゼン。とても登れそうにない

15m滝。手前右側のバンドから登っている人が多いが悪いので水流の近くから登った。

いよいよ大滝。ロープを出して1段目は右壁のバンドを左上→水流右寄りを直上。2段目は左壁から巻き気味に登った。

20m滝。濡れると寒いので右から巻き気味に登った。上部が急な草付きになっておりフェルトだと滑りまくった。

この滝を越えると沢も細くなってきて、最後の2股は右に入った。しばらくは沢地形を拾っていったが、稜線までの最後の10分くらいは沢地形がなくなり笹藪を漕いだ。稜線に出てからはスタスタ進み、平標山の少し先でヘッドランプをつけて元橋駐車場の登山口へ下山した。

2025年9月8日月曜日

20250908-19_夏合宿縦走(南ア 鳳凰三山ー大無間山)

20250908-19_夏合宿縦走(南ア)

メンバー:L落合(2)、井上(1)

この記録を見たら、違和感しかないんじゃないでしょうか、、、

夏合宿なのに2人。最初は全員いたんです。用事があるだの何だので日に日に参加者が減っていき、最終的に間抜け2人が取り残された。間抜けだから取り残されたのでしょうか。まぁ間抜け2人だと間抜けなことしか起こらないんですよね。こいつらバカだなぁとか思わずに、大目に見てください。

 

9/8 (落合)
天気:晴れ

1040 夜叉神峠
1525 
南御室小屋

本来は深夜に夜叉神峠を出発して初日に早川尾根小屋まで行く予定だったが、色々あって10時半頃に夜叉神峠登山口のバス停に着いた。約6時間のロスタイム。というわけで、初日にして予備日を使い、この日は南御室小屋まで、翌日に早川尾根小屋に入ることになった。 

ほとんどの登山者は広河原までバスに乗っていくため、夜叉神峠で降りたのは我々の他にもう1人だけだった。その方は我々のザックのでかさに驚き、背負ってみたいと言ってきたので、さぁ持ってみなされとばかりにザックを差し出したら、背負えなかった。補助をして背負わせてあげたが、よろけて倒れてしまった。そんなのを見るとなんだか誇らしくもなる。

そして、薄々気がついてはいたのだが(頑張って気がついていない振りもしていたのだが)、、、体調が悪い。熱を測ったら行けなくなると分かっていたので、熱は測らないでおいた。登り始めると同時に猛烈な頭痛と吐き気が襲う。前夜に、まだ軽いまだ軽いとばかりに大量のご馳走をザックに詰め込んだことを後悔しながら歩いた。こんな感じなので道中のことはよく覚えていない(寝ながら歩いていたかも)が、ずっとなだらかな登りだった気がする。したがって、深夜出発していたところで早川尾根小屋までたどり着けていなかったに違いない。

テント場に着いて夕食を作り始めたところで井上が「あっ、やばい」と言うので、「こいつ、大事な物を忘れてきたな」と思ったが、クラスの女子の名前を3人ばかり忘れてしまっただけだった(1週間後くらいに頑張って思い出すことに成功した。凄い!)。何をどうしたらそんなものを忘れるのか理解に苦しむ。しかし、この出来事は数日後に発覚する井上の忘れ物の前兆だったのかもしれない。私はというと、ただの熱中症だと信じて、起きたら治っていることを期待しおやすみなさい。初日からこの有り様で先が思いやられる。

 

9/9 

記録:井上
天気:晴れ
0515 
南御室小屋
1130 
早川尾根小屋

この日は、朝南御室小屋を出発し、鳳凰三山を経て、早月尾根小屋に宿泊しました。行程としては、そこまで長くありませんでしたが、長期縦走の2日目ということもあり、重荷に押しつぶされそうになりながら歩きました(35弱くらいあったかも)。鳳凰三山は過去にも訪れたことがあったので、懐かしいと思いながらホノボノ歩いたという記憶です。また、赤抜沢の頭と地蔵が岳の間の気にぶらさがり行った懸垂では、2人とも山に入りすぎて故の筋肉の衰えをひしひしと感じ、悲哀に明け暮れました。早川尾根小屋に着いてからは、テント場に誰も居なかったので(午後五時まで人の通過すらない)個人マットを広げ二人で昼寝をしました。山での昼寝は気持ち良く、いつまでも寝ていたいなぁと思いましたが、そうもいかない悲しい現実。結局この日は、遅くまで人が来なかったので解放小屋に泊まりました。個人的には快適な寝床で最高だったのですが、落合は耳元のカリカリ音に悩まされ、まともに寝られなかったそうです(可哀想)。翌朝、寝る向きを反対にすれば良かったのではと言ったところ、確かにと返されました。山では頭が働かないのでしょうがないですね。

オベリスクにはクラックがあったが、ロープがないと登れない

 

9/10 (落合)
天気:晴れのち雨
0300 
早川尾根小屋
0455 
アサヨ峰
0630 
仙水峠 0700
0820 
甲斐駒ヶ岳
1030 
仙水峠
1140 
長衛小屋
解放小屋を使わせていただいていたので撤収が早い。そしてそして、頭痛も吐き気も治っている嬉しい。真っ暗な中アサヨ峰まで登り、アサヨ峰頂上でちょうど明るくなってきた。というより、そうなるように出発した。日が昇ると暑いので。しかし、展望は1ミリもなく、風が強く吹いているだけだったのでさっさと仙水峠に向かって歩き始めた。アサヨ峰までの登りも、アサヨ峰から仙水峠までも、基本的には歩きやすいが、所々岩場があったり、木にザックが引っ掛かって面倒くさかったりする。仙水峠まで大きく下ってそこに荷物をデポし、甲斐駒ヶ岳に向かった。仙水峠でうたうたしながらデポ準備をしていたら大分時間がかかったので、今後も同様のシチュエーションがある可能性があることから、早く準備を終わらせる策を考えながら甲斐駒ヶ岳まで歩いた。仙水峠から甲斐駒ヶ岳までは荷物が軽いおかげで飛んだ。井上は、私にぶっちぎられて山頂で仏様になっていたので頑張ってね。甲斐駒ヶ岳山頂からは南の景色がきれい。あまりに綺麗なのでしばらく昼寝する。ただ、以降赤石岳まで景色を見ることはなかった。行きは尾根ルートを通ったが、帰りはトラバースルートで駒津峰まで行った。トラバースルートの方が総じて歩きやすい。仙水峠でデポ品を回収して長衛小屋まで緩やかな道をだらだらと下った。

 

9/11 

記録:井上
天気:雨
0210 
長衛小屋
0605 
仙丈ヶ岳
0830 
高望池

この日は北沢長衛小屋を出発して、仙丈ヶ岳を経由し、仙塩尾根を進んで高望池に泊まりました。まだまだ荷物は思い上に、天気も悪く、行動時間にしては大変な1日でした。仙丈ヶ岳近くでは、1番雨風が強く、心が軽く折れそうでしたが、高校時代に食らった大雨の数々を思い出せば、こんな雨も「やれやれ、またか」の気持ちで耐え抜けました。尾根を進み、樹林帯に入ると、大分温かくなり安心しました。少し進むと、高望池が見え始めてきました。普段から疲れると、テントや小屋の幻影が見え始めることに定評の私ですが、今回は確かにテントが池のほとり(池は枯れている)にテントが張ってあるのが見えました。思いがけない場所にビバーク場所を見つけた私たちは、両又小屋まで下りたくなかったため、ここに泊まることにしました。明日の行動時間はさして増えないにも関わらず、今日の行動時間を大幅にカットできた喜びでノリノリのグータッチをかましました。

 

9/12 (落合)
天気:雨
0200 
高望池
0310 
野呂川乗越
0600 
三峰岳
0800 
北岳
1000 
三峰岳
1100 
熊の平小屋

この日も三峰岳直下の岩場あたりで明るくなるように出発時間を設定した。岩場までは前日同様樹林帯である。小1時間岩場を登って三峰岳に到着した。ここに荷物をデポして北岳往復に向かう。本来は丸1日使って、熊の平小屋から北岳、間ノ岳、農鳥岳に行く予定だったが、計画に追いつくために三峰岳から北岳ピストンに変更した。雨で景色のない中歩くのは虚無であった。三峰岳に戻ってきて熊の平に向けて歩き始めて10分くらいしたところで遠くで雷が鳴り出したので樹林帯に入るまでは走って下った。熊の平小屋に着いたら山梨大学の山岳部がいて、近江さん、縄さん、尾高さんの3人が2年半前に行った厳冬期南ア主稜線縦走時に山小屋ノートに書いた文章を見たと言われ、びっくりした。厳冬期南ア主稜線縦走ね!楽しそう!!!

そして、ここからが本日のハイライト$$$

井上:「なんでカレーメシのパックが奇数個しかないの???」

はいはい来た来た来た、一応自分の中で想定の範疇ではあったが、まさかまさか本当にやってくれるとは。井上が朝食を3.5日分持ってこなかったんですね。阿呆な井上は絶望していたが、想定していたミスが起きたわけなので、私は針に糸を通した気分になって嬉しかった。というわけで、ここからキリキリ舞いの朝食が始まったのでした。

 

9/13

記録:井上
天気:雨
0415 
熊ノ平小屋
0845 
塩見岳
1145 
三伏峠

この日は熊の平小屋を出発し、塩見岳等を経由して三伏峠小屋に泊まりました。この日も、例に漏れず雨が降るとても寒い日でした。あまりにも視界が無かったこともあり、行動中の記憶がほとんどないのは大変申し訳ないです。この日も重荷を背負いながら、行程を終わらせ、三伏峠小屋に着いた私たちは、小屋から往復30分の場所にある水場に水を汲む担当を決めるためジャンケンをしました。結果負けたのは私でした、、、。水を渋々汲んできたあとは、その日一日でお腹を冷やしすぎたのか、お腹を完全に壊しました。長いこと休んだ後にトイレに行ったところ治りましたが、防寒着を着る判断を早めにしておけば避けられた苦しみなので、今後に活かしたいと思います。

 

9/14 (落合)
天気:雨
0530 
三伏峠
0620 
烏帽子岳
0715 
小河内岳避難小屋 0805
1010 
高山裏避難小屋

この日は荒川小屋までの予定だったが、雨風が強いことが予想され、荒川岳の稜線に出ることが躊躇われたため、高山裏避難小屋までとした。烏帽子岳までは樹林帯&稜線が東西方向なので西の強い風が来ても問題なかった。烏帽子岳で稜線が南北方向に変わるため、西風をもろに受ける。晴れてたらどんなに景色が、、、とか考えていたらあっという間に小河内岳に着いた。寒いので避難小屋に入る。避難小屋には3日前から悪天で閉じ込められていたという家族がいたので水を差し入れたらお湯を作ってくれた。そんなこんなで体も心もポカポカになったら外に出たくなくなったが、色々押し殺して無理やり出発する。小河内岳には今日中に荒川岳を越えるのだと言う人がいた。私はどうしてもそんな気分になれない。小河内岳からは一気に下って樹林帯に入った後、いくつかピョコピョコして2時間くらいで高山裏避難小屋に到着した。高山裏避難小屋は今シーズンの営業を終了していたので避難小屋を使わせていただいた。この日は我々のほかに鳥倉から赤石岳ピストンのパーティーと沢登りのパーティー総勢8人がいた。

9/15

記録:井上
天気:雨のち晴れ
0505 
高山裏避難小屋
0740 
荒川中岳
0820 
荒川小屋
1030 
赤石岳
1230 
百間洞山の家

この日は高山裏避難小屋を出発し、荒川岳、赤石岳を経由して、百間洞に泊まりました。朝は、霧に包まれ風にも吹かれましたが、前日程の風の強さではなく危なげなく岩稜地帯を通り抜けることができました。この位の日にちになってくると、荷物もかなり軽くなっており、荒川岳も赤石岳もかなりの標高ではありましたがさほど苦労せずに行程を終えることができました。特に、赤石岳の手前で5日ぶりの晴れ間が見えたときには、ただの晴れ間に2人して感動し、そのありがたさや美しさを噛み締めました。百間洞では、クマがいると注意を受けたその夜、落合がテントの外にそれっぽい足音を聞いたらしいです。入ってこなくて良かった。




 

9/16 (落合)
天気:晴れ
0540 
百間洞山の家
0755 
兎岳
0930 
聖岳 1000
1130 
聖平小屋

百間洞周辺でクマの目撃が相次いでいるというので明るくなってから出発した。樹林帯を登っていって森林限界を越えたあたりで稜線に出る。中丸盛山で最初の休憩をしたあと、一気に兎岳まで行く。ここら辺が今縦走で最も良い景色だった。というより、ずっと雨だったので綺麗と呼べる景色をほとんど見ていない。聖岳は最初急斜面を登ったあと、ダラダラと登って到着。山頂にはこの日に聖岳で100名山を制覇したという方がいたので一緒に喜んだ。その方には聖平小屋にてジュースの差し入れを頂いた。聖岳からはザレ場を下ったあと、樹林帯を歩いて1時間くらいで聖平小屋に着いた。まじで先に進みたかったが、光岳小屋の予約のこともあるから進めなかった。というわけでこの日も昼寝。気持ちはいいが、縦走中全く疲れを感じることがないのでなんだかなぁという感じ。

最近山の景色に感動することなんてもうないだろうと思っていたが、久しぶりに綺麗な景色を見ると嬉しい。


9/17

記録:井上
天気:雨
0410 
聖平小屋
0600 
上河内岳
0720 
茶臼岳
1100 
光岳小屋

この日は聖平小屋を出発し、茶臼岳等を経由し、光小屋まで行きました。ここ2日間程は晴れていたものの、この日はしっかり霧がかかってしまいました。そのため、光小屋までのいくつかの山頂に着いても展望は無く、あまり山登り日和とは言えない感じでした。霧の中、軽くなった荷物を背負い、私達は光小屋までスタスタ歩きました。光小屋に着いたあとは、深南部の天気を調べるため、私は1時間程の電波探しの旅に出ました。わざわざ、光岳や光石まで登ったにも関わらず、テント場の近くの薮を少し入った所が1番電波が入るというのは結構悲しかったです。無事、それからの天気を把握した私達は美味しくご飯を食べ、来たるべき深南部に備えぐっすり寝ました。

 

9/18 (落合)
天気:曇り
0500 
光岳小屋
0540 
百俣沢の頭
0750 
信濃俣
1145 
大根沢山
1435 
三方嶺
1500 
三隅岳

今日から深南部。それまでの、午前中は登山道歩き、午後は昼寝という生活を考えたらここからが登山という感じなのでやる気が出る。前日に光岳小屋から大無間山までの尾根を眺めたが、意外と近くない?という印象。1日で大根沢山までしか行けていない記録が多いので、さぁ我々はどこまで行けるかと幾度となく考える。日の出と同時に出発したが、ガスっていたのと鬱蒼とした樹林帯だったことでしばらくは暗くて前がよく見えなかったが、踏み跡がしっかりしていたので問題なかった。百又沢の頭からの下りは尾根が広くなってよく分からなくなったので、とりあえず正しい方角に向かってテキトーに下り、尾根が狭くなった辺りで尾根に乗った。そこから信濃俣まで尾根は狭いので迷いようがない。信濃俣のコルまで来ると、信濃俣がマッターホルンのように聳えている。マッターホルン見たことないけど。テキトーに信濃俣を登ってから進路を南に変え、10分ほどで椹沢の頭に着く。ここの下りも尾根が広くなっていたがあっさり抜けて、小ピークをいくつが越えたらいよいよ大根沢山の登りに差し掛かる。この登りの途中にビニールに入ったザックやマットといった登山道具一式が落とされていた。誰かがデポしたものかとも思ったが、誰にも会わなかったし、人の気配もなかったのでなんだか不思議。遭難者じゃないといいんだけど。テキトーに尾根地形を拾いながら登って、大根沢山山頂に着いたらまだ午前中。というわけで、三方嶺を目指す。大根沢山から1時間くらい下ったところのコルから東側の沢に降りて水を確保し、三方嶺の登りに差し掛かる。いくつか小ピークがあったが、ほぼ巻いた。ただし、枝攻撃をまともに受けたくないなら安直に巻かないほうがいい。三方嶺に2時半。まだ行けるので、三隅池手前の2102m
ピークを目指す。2102mピークに3時。まだ行けると思ったが、この場所が笹でフカフカでベットみたいだったこと、大無間山に登りだすと山頂まで幕営適地がない可能性が高いこと、大無間山山頂にこの日の強風を防げる快適な幕営地があるか分からなかったことからここでストップすることにした。テントを張って直ぐに、自分の中で恒例になっている深南部マシュマロ焼き大会を開催したが直ぐに飽きたので残りのマシュマロを全部井上にあげた。


これのおかげで2102ピークに名前があることを知った



9/19

記録:井上
天気:曇り
0540 
三隅岳
0625 
大無間山

0750 小無間山
1140 
田代

この日は、大無限山手前のピークを出発し、田代で下山しました。この日は、朝出発してすぐに大無限山の登りがはじまりましたが、前日の登りに比べると比較的緩やかで楽に登れました。そこからも大変な登りは現れず、小無限避難小屋まで早いペースで進み、帰りのバスの時間にも余裕が出てきました。計画段階では小無限避難小屋に泊まる予定ではありましたが、帰りのバスに乗れることがほぼ確実だったので、私達はそのまま進みました。一応避難小屋を覗いて見ましたが、中身は広く、中々綺麗でした。このまま順調に田代まで行けると良かったのですが、最後の最後1本尾根をはずしてしまい、そのまま登山道ではない場所から下山してしまいました。コンパスで確認したところ、尾根の方向が微妙にズレていたようです。これからは、微妙なズレにも気づけるくらいコンパスに慣れていきたいです。

いよいよ最後の大ピーク


こんなところから林道に出てきてしまった

鳥居を潜って合宿終わりは新しいパターン



2025年8月18日月曜日

20250818-29_北ア縦走


 20250818-29_北ア縦走

メンバー:L落合(2記録)、井上(1)は三俣山荘から新穂高温泉に下山

8/7-8/18に行われた夏合宿(剣沢定着)から継続して親不知まで縦走してきました(井上は8/22に三俣山荘から新穂高温泉へ下山)。以下ざっくらぱんな行動概要と詳細な記録になります。


行動概要

8/7-17(day1-11) 剣岳定着

8/18(day12) 剣沢ー五色ヶ原

8/19(day13) 五色ヶ原ー薬師峠(熊騒動によりその後太郎平小屋前に移動)

8/20(day14) 赤木沢遡行

8/21(day15) 太郎平小屋ー三俣山荘

8/22(day16) 三俣山荘ー烏帽子小屋

8/23(day17) 烏帽子小屋ー船窪小屋

8/24(day18) 船窪小屋ー冷池山荘

8/25(day19) 冷池山荘ー五竜山荘

8/26(day20) 五竜山荘ー白馬岳頂上宿舎

8/27(day21) 停滞

8/28(day22) 白馬岳頂上宿舎ー栂海山荘

8/29(day23) 栂海山荘ー親不知



詳細記録

8/18 さらさら越え憧れますね

天気:晴れのち曇り
1015    室堂 

1400 五色ヶ原

室堂を堪能してから出発しようと思っていたが、面倒くさくなったので登攀具類を郵送で送り返して間もなく出発した。登攀具類を送り返したら少しは軽くなると思っていたが、合宿中の雷鳥沢に下がった日に室堂に残置した大量の食糧を入れたら逆に重くなった。晴れた立山の壮大な景色に囲まれながら石畳を進む。神様はこれ以上にないほどのスタートを用意してくれた。歩いていてとても暑いが、山々の綺麗さに癒される。しばらくは目にすることのない殿堂剣岳、女神大汝山、鈴木がいるであろう雄山に見送られて室堂平を後にする。浄土山の登りは後半になるにつれて巨岩が多くなる。浄土山はボーイスカウトと思われるたくさんの小中学生で賑わっていた。浄土山から先は鬼岳を東面から巻いた後獅子岳からザラ峠に降る。ザラ峠への下りで佐々成政のことを思い出して興奮した。室堂に佐々成政ゆかりの酒と書かれた旗が立っていたが、佐々成政って名前だけ聞いたことがあるけど誰だったっけなぁと合宿中ずっと考えていたのだが、そういえば安土桃山時代にザラ峠から厳冬期北アルプスに入り、黒部川を渡って針ノ木峠から北アルプスを越えたと言われている人だった。我々もやらなきゃですね😖😖😖😖。それをザラ峠のあたりで思い出したことに我ながらロマンを感じる。で、ザラ峠からは少し登って直ぐに五色ヶ原に着いた。ザラ峠から五色ヶ原の笹薮は豪雪によって屈強になってますよ。刈ってくださった方々、ありがとうございます。


8/19 熊さん何頭いるの?

天気:晴れのち曇り

0415 五色ヶ原

0625 越中沢岳

0835 スゴ乗越小屋

1200 薬師岳

1350 薬師峠

1800 太郎平小屋に移動

この日は長いので4時に出発しようとしたが、朝食を食べると決まってトイレに行きたくなるので出発が遅れる。以降毎日そんな感じ。4時に出発してチンタラ歩いても14時には目的地に着けるのだから縦走って素晴らしい。昨年は曇っていて全く見ることのできなかった薬師岳への登りを見ながらチンタラ進む。越中沢岳からの下りが急で悪い。雪景色を想像しながら歩くが、越中沢岳の下りはオートルートの難所になりそうだ。スゴ乗越への下りに差し掛かるところで、反対側から来た登山者にこの先はものすごく悪いよと言われ、2人して萎縮したが、越中沢岳の下りの方が悪く、拍子抜けだった。スゴ乗越小屋にはいい感じの旗があり、ネパールみたいだった。ネパールに行ったことはないけど。薬師岳までのんびり登る。北薬師岳から薬師岳までが思っていたより長く、井上もキツそうだったが、頑張ってついてきてくれた。景色が良すぎるので薬師岳で30分くらいゴロゴロしてから薬師峠に向かって下り始めた。途中で雷鳴が聞こえたりした。薬師峠に着いても天気は良いままで、合宿前半の雨を耐え凌いだ日々が懐かしい。井上は確率が収束した気分になったらしい(最終的に晴れに収束したってこと?)。長い山行で頭が終わっているので2人して時々意味わからないことを言うようになっていた。
本日の核心はここからである。薬師峠にテントを張って昼寝をしていたら、15時くらいになって熊が出たと騒がしくなる。最初は単純に熊がいただけだと思って昼寝を継続していたが、話を聞くと熊が登山者のテントを襲い、食糧を食べてしまったそうだ。山岳警備隊の方々がテント場に来てくださり、熊対峙をするが、熊は居なくならない。テント場がずっと騒がしいので、電波をとって昼寝をするために太郎平小屋にお散歩に行こうとしたら熊が登山道を通せんぼしていたために行けなかった。一体何頭いるんだ。仕方なく騒がしいテント場に帰ったら井上が「俺たちのしなきゃいけないことはbear」と言うが、私はbearの意味が分からず、井上疲れてるねぇと思ったが、馬鹿なのは私で、bearって耐えるって意味なんだよってことを井上に教えてもらった。教養って大事! テント場の方や警備隊の方が薬師峠にテント泊予定の人を太郎平小屋か薬師岳山荘で宿泊できるように取り計らってくれたが、金のない我々は薬師峠テント泊以外に選択肢がなかった。周囲のテントがどんどん撤収していき残り5張りくらいになったところで、太郎平小屋の前にテントを張れるように取り計らってくださり、薬師峠にテントを張っていた人の大半は太郎平小屋の前にテントを移した。

薬師岳でかい

 

 

8/20 赤木沢は風呂

天気:晴れのち雨

0415 太郎平小屋

0545 薬師沢小屋から入渓

0710 赤木沢出会い

0940 中俣乗越より黒部五郎岳側2510m付近登山道合流

1200 太郎平小屋

近くに人の食べ物の味を知ってしまった熊がいるので薬師沢小屋まで喋りながら歩く。今思うと、そんな熊相手には音なんか出しても意味がない。落合が何か言うと井上がそこから連想される曲を流し始めるのでありがたいが、どれも落合の知らない曲なので井上の独壇場になってしまう。私の歌う曲は井上も知っているので、畜生1人で歌えない。途中、ダサい会話をしていたら急に前から登山者4人が現れて、熊に遭うより焦ったりした。薬師沢小屋に着いたらハーネスを履いた大集団がいたのでチェッと思ったが、沢登りの人たちではなかった。赤木沢出会いまでは黒部川本流を遡っていく。途中、何回か淵や滝が出てきて左岸から高巻きしたりした。どこかの高巻き中に井上が足首を痛めてしまい、かなり歩きづらそうだったので応急処置した。1時間くらい歩いてナイアガラの滝が見えたら赤木沢に入る。いくつも滝がでてきたが、どれもとても綺麗で、赤木沢大滝以外は容易に登れるので楽しい。今までに経験したことのない綺麗な沢なので景色を堪能しながらのんびり進む。赤木沢大滝は左岸から巻いた。いつかこういう滝を登れるようになりたい。その後にでてくる二又で究極の選択をミスってしまい、最後はハイマツの藪漕ぎをして稜線に出た。二又、その手前で地図を見て現在地確認をするべきだったが、実際は藪漕ぎ中にずっと地図とにらめっこしていた(ガスっていたので)。おかげで中俣乗越に出たかったが、遠く離れたところに出てしまった。よくこんな感じで非合理的なことしちゃうんですよね。その後はのんびりと穏やかな稜線を2時間くらい進んで太郎平小屋に帰った。赤木沢遡行は体を洗えるし、景色が素晴らしいので縦走中の疲れを癒やす良い休養になった。

ナイアガラの滝

こんなに綺麗な沢は初めてなので2人とも上機嫌

なんとか山椒魚

もう丹沢の沢には行けね〜(1年井上)

大滝は登れない



 

8/21 今年の北アはセミとバッタが多い

天気:曇りのち晴れ

0515 太郎平小屋

0910 雲の平小屋

1140 三俣山荘

この日は薬師沢小屋まで下ってから雲の平に登り返して三俣山荘までである。昨日はスイスイ下った薬師沢小屋までの下りも重荷を背負っているとそうもいかない。雲の平までの約700mの登りはずっと暗い。登りきったあたりで木道が出てきてありがたかった。ただ、濡れた木道は時々スリップするが、ガッシャがクッションになるのでそんなスリップも楽しい。雲の平は景色が良すぎて爽快である。景色のいい場所で井上とヨセミテかビショップに行く約束をした。ヤバいヤバい、今のままじゃクライミング弱すぎる。井上に見えている山の名前を教えながら進む。黒部川原頭に降りたあたりで落合が不意に鼻血を出して辺りに血が散乱し、まずい光景になった。15分くらい川で鼻を洗ってから三俣山荘に向けて登り返した。鼻血を出したことがないという井上は過度に心配してくれた。優しい。

 

 

8/22 スマホを落としただけなのに 必死の藪漕ぎが待ってました

天気:晴れのち曇り

0455 三俣山荘

0550 鷲羽岳

0700 水晶小屋

0915 野口五郎岳

1150 烏帽子小屋

井上はこの日に新穂高温泉に下山した。三俣山荘で井上と別れてからは親不知まで1人でのんびり歩いた。三俣山荘から見える北鎌が素敵。鷲羽岳への登りで硫黄尾根も見えてくる。そして、まず鷲羽岳。昨年の合宿では何も見えなかったので全方位が見渡せてとても嬉しい。水晶小屋で大休止する。こんなに早い時間に烏帽子小屋に着くとは思っていなかったので水晶岳ピストンすればよかった。水晶小屋からは1時間ほど岩稜帯を歩いてから野口五郎岳まで砂礫歩きである。野口五郎岳からは巨岩帯になり、時々フットジャムが決まって足を抜くのが面倒くさかった。烏帽子小屋直前でバランスを崩した際にチャックの空いたポケットからスマホが落ちて藪斜面に消えていった。全力で探して、幸運なことに10分くらいで見つけた。

 

8/23 1回針ノ木沢に降りたほうが稜線を歩くより早いだなんて

天気:晴れ

0500 烏帽子小屋

0720 不動岳

0915 船窪岳第二ピーク

1015 船窪岳

1115 船窪小屋テント場

この日は船窪小屋か、時間と天気を見て針ノ木小屋まで進む予定である。前日は草という草がなかったので雨具の下を履かずに出発したが、この日は最初から登山道に草が張り出してきて、ものの一瞬で靴も靴下も絞れるくらいまで濡らしてしまった。南沢山で同じく親不知まで縦走している方と会う。その方は船窪岳から一度針ノ木沢に下ってから針ノ木小屋に登り返すらしい。そちらの方がコースタイムが短い。その手があったか 不動岳でオコジョの尻尾を見た。先ほどの方曰く、雲の平にもオコジョがいっぱいいるそうだ。不動岳から船窪岳第二ピークまでは数カ所崩落地のトラバースがあるが、基本的には崩落していない稜線の左側を歩く。船窪岳第二ピークから船窪岳まではザレ場のトラバースやナイフリッジなど所々緊張する。この日は暑かったのと、濡れた靴と靴下を乾かすタスクがあったため、かなり早いが船窪小屋テント場までとした。

船窪のあたりは独特な雰囲気

 

8/24 水水しい熊糞を見るとゾッとしますよね

天気:曇りのち雨

0315 船窪小屋テント場

0505 北葛岳

0725 蓮華岳

0905 針ノ木岳

1400 種池山荘 1430

1505 爺ヶ岳

1555 冷池山荘

七倉岳の下りでヘッドライトの電池残量が少なくなりあまり照らせなくなったが、電池を代えるのも億劫なのでそのまま進んだが、道が悪く危なかった。北葛岳まで急登をこなすと眼前に蓮華の大下りが見えてかっこいい。蓮華岳まで行けばこれから通る後立山連峰が見渡せると思ったが、後立方面は曇っていた。針ノ木サーキットはアップダウンこそあるもののどれも小さな上り下りなのでサーキットのようにスイスイ進む。鳴沢岳からの下りで熊が出たとのことで新越山荘まで大人数で進む。熊には会いたくないので鼻歌を歌いながら歩いていたら急に後ろから足音が聞こえてきて熊かとビビったが、県のパトロールの方だった。種池山荘まで1時間くらいその方と話しながら進む。あんなに余裕な表情で「クマさん可愛いよね〜」なんて言われると返す言葉も見つからない。実際、薬師峠で見たクマさんは可愛かったけど。高山植物を色々教えてもらった。ヒマワリみたいなのはウサギギク。鼻血を出した時に鼻に詰めた草はコバイケイソウ。見事なブルーベリーだと思っていたのがサンカヨウ。あと、ユキザサ。すみません、色々教えていただいたのに4つしか覚えられませんでした。結局その方には種池山荘でクリームパンと柿の種をいただき、色々お世話になった。種池山荘で天気を確認したら、この日は17時くらいまでは小雨でもちそうなこと、翌日は昼前から崩れそうだったので、翌日の五竜山荘の予約をしてこの日は冷池山荘まで進むことにした。とはいえ、雷には遭いたくないので爺ヶ岳まで走る。中峰まで30分、重荷を背負っていることを考慮すればまぁいいんじゃないかな。走って疲れたのでしばらく休んで冷池山荘まで下った。



8/25 みんなで後立のテント場予約 料金巻き上げシステムを掻い潜る方法を考えましょう

天気:曇り

0415 冷池山荘

0550 鹿島槍ヶ岳南峰

0635 鹿島槍ヶ岳北峰

0730 キレット小屋

1100 五竜岳

1200 五竜山荘

この日は五竜山荘までコースタイム8時間半の予定だったので、12時くらいに五竜山荘に着けるようにのんびり進む。布引山で日の出を拝んだあと鹿島槍に向けて登る。吊尾根は意外と切れている。せっかくなので北峰に行ってからキレットに向けて下る。北峰から東尾根を眺めようと思って少し東尾根の方向に入っていったら急にハエが集り始めた。野糞スポットなのだろう。八峰キレット越えは、重荷だと足元の悪いクライムダウンはあるが、落ちたら死ぬようなところには鎖があるし、さして悪くはない。キレット小屋から1時間ほど進んだコルで冷池山荘にテント泊していた3人衆(落合と、船窪で会った親不知まで縦走している方と、もう1)のうちの1人に会った。この方は後立を縦走しており、五竜山荘と白馬頂上宿舎でコーラをいただいた。そこから1時間進んだコルで冷池山荘に泊まっていた3人衆のうちの1人の、親不知まで縦走している方と会い、話を聞いたら令和で最初のデナリ日本人登頂者らしい。そこから1時間ほどで五竜岳に着くのだが、途中で150日間かけて映像を撮りながら100名山制覇に挑戦している方に抜かされた。話を聞いたら撮った映像はyoutubeに公開するらしい。タケチャンネルだそうです。五竜岳に来ると人がたくさんいる。時間的に唐松岳まで延ばしたかったが煩わしい後立のテント場予約システム(無予約には倍の値段を課し、無断キャンセルにはキャンセル料4000円を課す。個人情報を巻き上げて逃げられないようにする姑息なシステム)のせいで五竜山荘止まりとなってしまった。テントを張って食糧を見てみたらあと9日分ある。ここからどう刻んでも9日間にはならないのでこの日から1日で2日分の食糧を消費していくことに決定したが、実際にはきっかり2日分ではなく、毎日1.52.2日分くらいを消費していたので縦走の最後の方には何が残っているのかよく分からなくなってしまった。

鹿島槍から北の方向



8/26 朝日まで行きたかった

天気:雨のち晴れ

0315 五竜山荘

0535 唐松岳

0730 不帰キレット

0905 天狗山荘

0955 白馬鑓ヶ岳

1045 杓子岳

1155 白馬頂上宿舎

今日が終わればいよいよこの山行の終わりが見えてくる。3時過ぎに五竜山荘を出発したが、30分くらいしたら雨が降ってきた。風も強くなってきて顔面に雨が当たって痛い。唐松岳に着いたタイミングでちょうど止んだ。天気のおかげで静かな後立を堪能できる。景色がないから堪能できなかったかも。不帰の難所はガスって下が見えなかったので全く怖さを感じなかった。不帰のコルでまたも親不知まで縦走している方と会い、話を聞いたら数年間山小屋に勤めた経験があり、昨今のテント場値上げといった諸悪の根源は槍ヶ岳山荘グループなのだとか色々教えてもらった。天狗の大下りを登って天狗山荘に着いたら水が無料だったのでフル充水して先に進む。白馬鑓ヶ岳まで行くと登山者でごった返していた。白馬鑓ヶ岳からの下りで反対側から大学生のサークルっぽい4人組が登ってきて、みんな辛そうだった。そんなに辛い顔をされるとこっちまで辛くなっちゃうからやめてくれよ。今日もこのまま行くと午前中のうちに白馬岳頂上宿舎に着いてしまいそうだったので杓子岳に寄ってから白馬岳頂上宿舎に行った。時間を考えてこの日中に朝日小屋まで行きたかったが、この日も後立のテント場予約システムにやられて白馬頂上宿舎止まりとなってしまった。


8/27 天気が悪いとやる気が起きませんでした(怠慢)

天気:雨のち晴れ

0330 白馬頂上宿舎

0400 白馬岳

0430 白馬頂上宿舎

終日停滞

天気が悪いとやる気が起こらない。30分くらい二度寝してからとりあえず出発した。白馬岳まで行ったところで、翌2日間が晴れ予報なのにこんな暴風雨の中歩いている意味がわからなくなって呆気なく引き返した。白馬岳頂上宿舎に戻って、暴風雨の中再度テントを張り直すのに30分かかった。この日はとにかく食べて食糧を減らした。



8/28 もう創作料理はやりません 

天気:晴れ

0400 白馬岳頂上宿舎

0430 白馬岳

0630 雪倉岳

0900 朝日岳

1425 栂海山荘

テントから出ると、昨日1日待って本当によかったと思えるくらいの綺麗な星たちが出迎えてくれた。相変わらず風は強いので寒いが、景色が綺麗だとやる気が出るので颯爽と進む。三国境のあたりで日の出を拝んで分岐を朝日岳の方に進む。雪倉岳から下ると、水平動分岐まで湿地帯を通る。そこから急登を越えると朝日岳である。ここでもまだ劔が見守ってくれている。13時までに栂海山荘につければそのまま親不知まで進もうと思っていたが、朝日岳の下りが手ごわかった。何せ暑いので進まず、吹上のコルの少し先で今日中の下山を諦めた。なのでそこからはチンタラ進む。いい景色なのだが、ずっと変わらないので飽きてくる。従って、この日の晩御飯を考えながら進むことにした。黒岩平で5リットルの水を確保してから2時間くらい歩いて栂海山荘に着いた。この日は結局残った食材でチャーハンを作ることにした。油は棒ラーメンの油、卵は卵スープの素、肉は大豆ミート、野菜がないのでほうれん草ポタージュの素からほうれん草だけを抜いた。結果は、チャーハンを食べているはずなのに棒ラーメンの味がしたり卵スープの味がしたり散々だった。あと、ザックの奥から2週間くらい前に剣沢で東海大学山岳部さんにいただいたプロテインの粉が出てきたのでフルグラと一緒に美味しくいただきました。

水平道分岐。森林限界に飽きていたのでこういう景色になってきて嬉しい。



朝日岳を越すといよいよ海が近い

8/29 下山して最初にやったのは進振りの結果確認でした。結果は聞かないでください。

天気:曇りのち晴れ

0445 栂海山荘

0600 菊石山

0725 白鳥山

0845 坂田峠

0950 二本松峠

1055 親不知海岸

日が昇る前の涼しい時間にできるだけ進みたかったが、前日栂海山荘の手前でマムシを2匹見たので明るくなってから出発することにした。夏合宿入山時にはずっしりと肩に食い込んでいたガッシャも、ここ三日間くらいの食トレの甲斐もあってか今や空気しか入ってないんじゃないかと思えるくらいになってしまった。出発して20分くらいで太陽が昇る。今日もよろしくお願いしますというお願いも今日で最後だ。なんだか嬉しいような寂しいような感慨に浸る。しばらくは展望のない樹林帯を黙々と進むが、白鳥小屋の展望台に登ると眼下に日本海が広がっていた。日本海を目にするのは昨日の朝日岳以来だ。確実に近づいている。やはり、ゴールが見えると気合が入る。暑さなんてものともせずに二本松峠まではいいペースでひたすら下ったが、そこから登山道にクモの巣が張り出すようになり厄介だった。大体はへその高さなのだが、稀に顔面パンチを食らう。それでもひたすら下って、入道山を越えてからは再び日本海がよく見えるようになった。逸る気持ちを抑えられず、走って下る。国道に出てから更に下って、最後の長い階段を降りている時には開放感があった。嗚呼幸せ。

 

あとちょっと。1番興奮している。


今夏は2週間くらいの縦走を2本行うことができました。今思っていることとしては、「つまらない」縦走になってしまったということ。来夏は「面白い」縦走をしたい。どういうことかというと、北ア縦走・南ア縦走といったパッケージ化された山行ではなく、2ヶ月の夏休みをフル活用して、場所はどこでもいいから沢を泳いだり藪を漕いだり岩に張り付いたりしながら山々を縦横無尽に繋げる縦走をしたい。というわけで歩荷がんばります








2025年8月7日木曜日

2025 夏合宿 剱岳定着

2025 夏合宿 剱岳定着

 8/7 入山
メンバー:河本(L)、落合、井上(記録)、今野
天気:終日雨
1140 室堂
1510 御前小屋
1600 剱沢
 前日の夜、私達はバスタ新宿に集合し、そこから富山駅に向かった。本記事を書いている私(井上)以外の3人全員がバスタ新宿の集合に遅れてきたので、場所を間違えたのかと10分くらい不安だったのはここだけの話(後輩を不安にさせないでほしい)。富山駅から室堂までスムーズに進んだ後は、少し準備して室堂を出発した。出発時、去年の記録にあったのと同じように、河本にここから2週間は家に帰れないが、その覚悟はできているかと聞かれたが、私は躊躇せずにはいと答えた。この合宿16日間を終えた今、振り返ってみると、中高時代と違い、私がこの合宿中1度もホームシックを感じなかったのは、精神的に自立してきたのかなぁとも思う。室堂から雷鳥沢までは近いと聞いていたのだが、意外と長いなあとか考えながらノホノホ歩きました。雷鳥沢から剣御前小屋までは、500mの雷鳥坂が控えていましたが,歩荷訓練を超えてきた私にとってはそこまで苦に感じなかった(歩荷訓練しか勝たん)。歩荷が不足していた今野は、結構苦しそうだったので、来年からの新入生は歩荷を怠らないようにしよう。剣御前小屋から剣沢までは下りなので楽々終わらせた。初めての剣沢は、思ったよりも広くて快適だった(テント場って下手したら家のソファよりも快適な気がする)。


 8/8 雪上訓練
メンバー:河本(L)、落合、井上(記録)、今野
天気:晴れ
0715 出発
1130 真砂沢
1400 雪上訓練
1600 剱沢
 この日は、雪渓の偵察と雪上訓練をした。朝ちょっと遅めに出発した後、剣沢から1時間ほど行ったところで雪渓におりた。初めての雪渓で私は、いつ下に落ちるかとビクビクしていたが、ガンガン進んでいく先輩の背中から離れてしまわないよう、必死でついていった。剣沢と真砂沢の間の雪渓はところどころ大きな穴があったと記憶している。真砂沢までの間によった長次郎谷は、この時点ではあまり崩れておらず、5、6のコルの大分手前にあるクレバスまで偵察した。クレバスはそこまで深くなってはいなかったが、クレバスを降りてそこから右岸に取りつくのは難しそうという結論を出して偵察を終えた。真砂沢から剣沢までの帰りは、行きの道を引き返した。途中で行った雪上訓練は、五月の合宿の復習になり有意義だったと思う。


 8/9 源次郎尾根主稜
メンバー:河本(記録、L)、落合、井上
天気:晴れ
4:30剱沢
5:15取り付き
10:00剱岳
12:30剱沢
 8/7入山で8/13下山予定だったが悪天により11日下山になった私にとって、この山行はこの夏合宿唯一の剱岳の登攀になった。お盆も近いここ一週間では数少ない一日中行動に適した日なで混雑が予想され、実際に他大学の山岳部なども含め人が多かった。何回も行ったことのあるコースなので取り付きやルートなどは特に迷わず、かなり順調に進んでいき岩場の前に並ぶ行列につまってしまう。先頭を歩いていた落合がショートカットと称して道からそれた薄い踏み跡に進入する。踏み跡は藪の中に消えてしまうが、藪の急斜面を登るとルート上部に出られそうなので、そこを登ると行列の途中に割り込んでしまう。やさしい登山者に先を譲って頂き、ボトルネックとなっていたロープを出す岩場を落合リードで越えると、その先はⅡに下りまで詰まる場所はない。順調に進みⅡ峰につき、行列に並ぶことなく懸垂下降した。多分Ⅱ峰に付いたのは多分この日で一番だと思う。ガレ場の多い道を経て剱岳に到着する。晴れた剱岳の景色を楽しみながら下山した。うまく混雑を回避して速いペースで山行を終えることができて良かったと思う。


 8/10, 11, 12
メンバー:河本(L、11日に帰京)、落合、井上(記録)、今野
天気:大雨
 この合宿における唯一の最悪な記憶である、大雨停滞について書いていきたいと思う。この記録を書くことすら、私としてはやめてしまいたいレベルなのだが、来年からの新入生への教訓として書き残しておこうと思う。また、他人の不幸は蜜の味だと聞くので(私はそんなことを考えたことなど一度もないが)、読者様にも楽しんでいただき、私たちの苦悩の歴史を供養していただけると助かる。

 8/10
 この日は、大雨停滞の初日だったが、この日から叩きのめされたことをここにしるしておく。まず、私達が寝泊まりをしていたV4テントは、漏水がひどく、あまり保温機能も感じられない代物だったので、十分な睡眠をとることはかなわず、僕達は朝から衰弱していた。そして、私達は、テントのフライが徐々に破けていっていることに気付いた。フライが破けているのをそのままにするわけにもいかないので、落合と私で破けた箇所を縫い付け、ガムテープで補修した(見た目は悪いけど、意外と耐えるかも?)。

 8/11
 この日もこの日とて大雨が降っており、何もやることがなかったので朝遅い時間に起きた。テントの落合、今野が起きた後、私は朝ごはんを一緒に食べるために、一人アライテントで寝ている河本を起こしに外に出た。そこで私は信じられない光景をみることになった。なんと前日まで10張はあったテントが私達のテント以外すべて無くなっているではないか。確かに、天気予報を見て3日間連続の雨を確認したにも関わらず、近くの室堂から下山しないようなもの好きはそうそういないのだ。朝ごはんを食べながら、自分たちの孤立した状況を共有した私達は、雨が弱まったタイミングで雨風が多少なりとも弱いと考えられる雷鳥沢にテントを張り替えることを決定した。テントを撤収したあとは、4人で雷鳥沢に出発したが今野のスピードがとても遅かったので、井上落合と今野河本で別れて剣御前小屋に行った。剣御前小屋に時間差でついた後は4人そろって雷鳥坂を下りた。雷鳥沢に着いたあとは、用事があった河本が一人早めに室堂帰り、私達はテントを張ってその日の行動を終えた(トランプで大富豪をやったが、楽しさよりも寒さと辛さが勝った)。

 8/12
 地獄の雨の3日間の最終日、この日はすることが何もなく暇をもてあましていた私達は、剣沢停滞の後に行く予定だった縦走の食糧を室堂のロッカーに入れるために朝から室堂に行った。室堂に荷物を預けた後は特に早めにテントに戻る理由も無かったので室堂で着ているものを乾かしながらグダグダした。この後に待っている悲劇のことなど知らないままに、、。室堂が閉まる時間にもなりそこを出た私達は、朝よりも大分弱くなってくれた雨の中、雷鳥沢に向けてズンズン歩き始めました。雷鳥沢も近くなり、その様子が遠目で見える様になると、私達は異変に気付いた。私たちのテントが本来あるべき場所に見えないのだ。異変に気付いた私達は、急いでテントがあるはずの場所に向かった。そこで私達はグシャグシャに潰れたテントを見つけた。



テントに入らないことには、どうしようもないので、私達はすぐにテントの修復に取り掛かりった。今野がテントを抑え、以前から何度も裁縫でテントを修復していた落合と井上が今度も裁縫を担当した。冷たい雨に打たれながらも、必死で作業を進めた私達はなんと45分で修復を終わらせ、テントに入ることができた(テントのあまりの壊れっぷりを見て絶望するとともにアドレナリンが出ていた。こういう所が私達が山に向いてる所以だと思う。)。テントに入り夜ご飯を食べた私達は、テントの隙間から入った雨によってずぶぬれになった寝袋に入り凍えながら眠りについた(どちらかというと疲労で意識が飛んだ)。


 8/13 後発組入山
メンバー:縄(OB)、沼田(4)、鈴木(2・記録)
天気:晴れ
11:30 室堂
14:20 剱御前小屋
15:00 剱澤小屋テント場
 本来であれば、沼田・鈴木は9日に入山するはずであったが、10日から12日にかけて剱岳周辺は降雨により活動が十分に行えないことが予想されたため、入山日を遅らせることになった。このため、当初予定していた登攀計画も大幅に縮小せざるを得ず、当初の主要ルートを満遍なく回る計画は、諸先輩方にとってはお馴染みであっても、昨年八ッ峰上半と別山右岩稜しか行っていない私にとっては、大変気合いの入る計画だっただけに、今回の雨は私をひどく落ち込ませるのであった。とはいえ、空いた3日間は自由時間になるのだから、沼田さんは博士論文を詰めていただろうし、私は集中講義で課された課題に取り組むことができた(はずだった)。あっという間に11日夜を迎え、沼田さんの車に載せていただいて出発。途中通った民家のすぐそばの畑でシカが群れていたことには驚いた。この夏合宿で3番目に驚いた出来事だった。扇沢駅では上の無料駐車場は既に満車だったため、一つ下の無料駐車場に駐車した。予約し直したチケットは10時発だったため、それまで寝て待った。昨年の夏合宿で利用したトロリーバスから生まれ変わった電気ケーブルカーを堪能しつつ、室堂へ向かった。昨年の経験を踏まえ、軽量化に成功した私に比べ、色々持ってきた沼田さんのザックは重かったが、途中、先発隊からSlackで「バナナを早くもって来い」と急かされ、(怒りを推進力に変えて)テント場まで歩いた。バナナのことだが、今年は先発隊とは連絡が取れていたため、先発隊から差し入れしてほしいものを聞き、沼田さんはあて布、カステラ、バナナ、野菜ジュース等等、私は羊羹、サバ缶、サイダー、縄さんもご厚意でシャインマスカットと恒例のシャウエッセンを持参したのである。このうち、バナナを巡り数日後に井上が問題を引き起こすことになるとはこのとき誰も予想していなかった。ちなみにこの日の夜は私が作ってきたペミカン鍋であり、好評だったので良かった。


差し入れのバナナにご満悦


 同日 停滞組
 この日は地獄の雨の3日間を耐え抜き、やっと晴れが訪れた日でした。落合、井上、今野は朝、雷鳥沢を出発し、剣沢にテントを張りなおしました。そのあとは、体力的に余裕があった井上、落合が長次郎谷の偵察に行き、今野は干してある物品やテントを見るために留守番をした。長治郎谷に出発した私達は雪渓部分に突き当たった時点でアイゼンを履き始めました。しかし、安定した場所を見つけられなかった私は、アイゼンを履こうとして、片方のアイゼンを雪渓の下に落としてしまった。落としたアイゼンを取ろうとして不注意にも石を崩してしまいアイゼンの回収を不可能にしてしまったことも反省すべき点である。その後、落合に片方のアイゼンを借りて長治郎谷まで着いたとき、私たちは3日間の雨によって雪渓が大分崩れていることを発見しました。ベルクシュルントのそばを注意しながら長次郎谷に侵入したのちは、いくつかのクレバスを超えたあと、雪渓から右岸までの取りつきを確認し、長治郎谷から剣沢に帰りました。剣沢に帰ってから少しすると、後発隊の沼田、鈴木とOBの縄さんが到着しました。雨の中のテントという閉鎖された空間で同じ人間とずっと一緒にいた私は、新しい人に会えただけでとてもうれしかったことを覚えています。また、彼らが持ってきてくれたバナナ、カステラ、マスカット、野菜ジュース、羊羹、鯖缶は涙が出るほど美味しかったです。


 8/14 6峰Aフェース魚津高ルート
メンバー;沼田(4L)、落合(2記録)
天気:曇り
0500 剱沢野営場
0730 Aフェース取り付き 0805
1050 Aフェースの頭
1340 三の窓
 停滞が続き、ここまで1週間ほとんど何もやれなかったがこの日からは晴れが続きそうなので良い気分だ。前日に夕食を食べながら今後の登攀日程を組み、沼田・落合はこの日はAフェースを登ってそのまま三の窓でビバークすることになった。本来はDフェース、南壁A2、八ツ峰縦走なども登り、剣を味わい尽くす計画だったが、まぁ仕方ない。落合は前穂北尾根の簡単なところや赤岳主稜などでのリード経験はあったが、山でクライミングシューズを履いてちゃんとしたところを登るのは初めてだったので高揚していた。ただ、全装を担いでのリードも初めてで、初物が2つ重なり不安でもあった。これに関しては、事前にゲレンデなどで全装を担いでのリードを経験しておくべきであった。
 歩き始めて20分くらいで剣沢雪渓に乗る。長次郎谷手前では右岸が崩落していたが、左岸側は分厚く問題なさそうだったので夏道に乗り移らずに雪渓上の左岸を通過した。前日の偵察同様に長次郎谷出会いの崩落地は左岸に乗り移って通過し、前日と同じ場所から右岸に乗り移る。途中の渡渉点で4L位水を汲み、順調に進む。Aフェース魚津高ルート取り付きは顕著な凹角に残地ハーケンが打ち込まれていたのですぐに分かった。取り付きから下を見ると、熊の岩にテントが張られていた。来年以降、6峰フェースやチンネに行く際には熊の岩ビバークでもいいのかもしれない。奇数ピッチを落合、偶数ピッチを沼田がリードした。


長次郎谷にはものすごくたくさんの人がいてびっくり

 1ピッチ(lV)
ひたすら凹角を登っていく。途中ちょっとハングしていたりした。浮石が多いのがゲレンデと違うなぁとか思いながら登っていたが、沢登りほどの浮石の多さではない。トポの1ピッチ目より伸ばした。中間支点にはロープを岩に擦らせない意味合いもあると教わる。
 2ピッチ(lll)
ここも凹角を登っていく。1ピッチ目と同じような感じ。
 3ピッチ(ll)
簡単なリッジを登るが、浮石が多いのでロープはあったほうがいいと思った。1.2ピッチをトポより伸ばしていたため、一瞬で終わった。

 Aフェースを登攀した後、そのまま八ツ峰上半を縦走しようとしたが、Aフェースの頭から先が悪い(A.Bのコルには懸垂下降で降りられそうだったが、その先どうなっているかよく見えなかった)ので一度5,6のコルに下降してから八ツ峰上半に入った。Dフェースの頭、Eフェースの頭からの下りで懸垂下降し、7峰は巻いた。そのままクレオパトラニードルと三の窓の頭の間のコルを通過するとチンネの目の前に出るはずだが、曇っていて見えなかった。左稜線を登っていると思われる声は聞こえた。チンネと三の窓の頭の間のコルから懸垂下降2ピッチで池ノ谷ガリーに降り立った。クレオパトラニードルとか聞いたことはあったが、位置関係を理解していなかったのでこの辺りの概念を把握できてよかった。池ノ谷ガリーは足元から全ての石が崩れ落ちていき不快だったが、日に日に池ノ谷ガリーの下降が早くなった気がする。まだ昼間だというのに三の窓にはテントが3張りもあり、みんな翌日は左稜線に行くのだとか。我々は狭いスペースにツェルトを張らせてもらった。今年も雪渓から垂れる水を確保でき、水問題は解決された。





Aフェース取り付き



 同日 剱岳北方稜線
メンバー:縄(OB・L)、鈴木(2)、井上(1)、今野(1・記録)
天気:晴れのち曇り
0505 出発
0700 真砂沢
0835 二股
1100 池ノ平小屋
1335 小窓
1630 三ノ窓
 今年は残雪が多く剣沢雪渓のうち大部分を歩行できた。しかし真砂沢から二股の間で自分のサングラスを落としてしまいわざわざ真砂沢まで戻る羽目になってしまった。結局真砂沢で見つけることができた。パーティーの皆さん、本当にありがとうございました。池の平小屋までは大変暑く、地蜂に刺されてしまったので辛い区間となった。日光のかき氷屋の前で刺されて以来8年ぶりのことであるが、やはり痛いものである。旧坑道の後半は強烈なガレ場で落石を起こさないかヒヤヒヤした。小窓から三の窓までの道で自分がバテてしまい相当な時間を要してしまった。険しい道も容易に遂行できる体力を身につけたいものである。西日が差してきた頃、三ノ窓に到着。三ノ窓の少し前に位置する発射台のそばから見える池ノ谷ガリーはとんでもなく怖い。三ノ窓での夜は晴れていて星空が綺麗であった。感動ものであるのでぜひ一度は行ってみて欲しい。


三ノ窓からの景色



 8/15 剱岳北方稜線
天気:晴れ
0440 三ノ窓
0740 剱岳本峰
1040 剣沢
 出発後すぐに池の谷ガリーを登る。昨日怖がっていた割には意外と登ることができた。しかしその後の岩場は高度感がありロープ無しにしては難易度が高くかなり怖かった。その後は両脇崖の稜線歩きを慎重に行い無事剱岳に到着。停滞もあったため自分としては何と合宿9日目での本峰初登頂である。全員で記念写真を撮った後は別山尾根を下り剣沢に帰還した。


本峰でパシャリ!



 同日 チンネ 左稜線
メンバー:沼田(4L、記録)、落合(2)
天気:晴れ、1300頃から雨、時々曇り
先行パーティー1あり
0550 登り始め
0915 核心部
1130 TO(渋滞待ち参考)
1300 三ノ窓 泊
 今年の雪渓は昨年よりも大分残っており、水の確保も全く問題なし。念のため担いで登ったが、その必要はなくもっと食料を充実させればよかったと後悔。三ノ窓では東北大学山岳部OBG隊とお会いした。なんと福田さんの弟さんがいて、予てより一度お会いしたいと思っていたため、突然の邂逅に少々感動した。


朝日を浴びる

チンネ左稜線 登り始め

 2, 4 p目あたりの偶数ピッチと、最後の方のピッチをリードしたと思う。あまり記憶していない。広いフェースのピッチでは、先行隊のビレイヤーから提案があり、ビレイヤーが登り始める前に登らせていただいた。ロープに干渉しないよう中間支点を選んだため、少しランナウトする箇所もあったが、傾斜はきつくなくホールド・スタンスも豊富なのでなんてことはない。登り始めから数時間もするとガスが出始め、視界が10 mもないほどだった。途中、遠くで聞こえていたヘリコプターの音が近づき、「すぐ目の前にヘリが現れるのでは」と思うほどにうるさかった。結局、ヘリの姿は見えなかったが、後に知った話だと北方稜線の遭難者を捜索する富山県警のヘリだったらしい。なお、遭難の当事者とは前日池ノ谷ガリーと三ノ窓で会話しており、後日、剱沢野営場で縄さんや後輩らが情報聴取に応じていた。

 我々が懸垂下降するころには、後続の東北大隊も登り終えていた。懸垂下降はルンゼに直接下る方向ではなく、一旦コルに降りるルートを選んだほうがよい。先行して下降した落合から「ロープがスタックして回収ができない」と合図があり、僕の番で下降ルートを変えた。

 チンネ左稜線は2024年夏合宿で近江・尾高ペアが登ったときに、TOまで8時間?ほどかかったという話を聞いていたためかなり警戒して挑んだが、実際はそんなに時間はかからなかった。脆い箇所はなく快適な岩だった。景色は霧により全くなかったが、高度感もありいい眺めなんだろうな。 


僕は昨年やったので@チンネの頭



 8/16 チンネ中央チムニー
メンバー:沼田(4L)、落合(2記録)
天気:霧
0450 三の窓
0540 チンネ中央チムニー登攀開始
0830 チンネ中央チムニーTO
0955 三の窓 1010
1205 剣岳
1355 剣沢野営場
 三の窓から中央チムニーがよく見えていたため、取り付きで迷うことはないでしょと思っていたが、この日はガスっていたので盛大に迷う。ジャンダルムの左のルンゼっぽいところを少し登った後、左のルンゼに入り、1度中央チムニーを登っている沼田さんの記憶も頼りに取り付きに到着した。()内名前はリード。

中央チムニー 登り始め


 1ピッチ(lll+落合)
凹角とフェースを行ったり来たりしながら登る。しっかり濡れていたので細かいスタンスに立つと不意に滑りそうだった。
 2ピッチ(lll+落合)
凹角を抜けて緩傾斜に出る。中間支点をとった際にロープが盛大にキンクしてしまった。
 3ピッチ(沼田)
ほぼ歩きでaバンドの取り付きまで。
 4ピッチ(lll+落合)
aバンド
 5ピッチ(lll+落合)
bクラック
 6ピッチ(落合)
前のピッチでチンネの頭まで行ってしまおうか迷ったが、ロープの流れが悪くなりそうだったので途中で切った。結果的に前のピッチで頭まで行ってしまったほうがよかった。

 チンネの頭で沼田さんに成長したなと言われて嬉しかったが、テント場で人間力がないと言われて悲しかった。せめて生活力って言って。チンネの頭から懸垂下降で池ノ谷ガリーに降り立ち、そこに荷物をデポして三の窓の荷物を回収しに行き、北方稜線、別山尾根経由で剣沢まで戻った。




 同日 [源次郎尾根班]
メンバー:縄(OB)、鈴木(2・記録)、今野(1)
天気:晴れ
4:20 剱澤小屋テント場
5:50 平蔵谷出合
6:20 取付き
9:40 剱岳本峰
12:00 剱澤小屋テント場
 井上は靴擦れがひどいようで、合宿後に縦走も控えており、何より数日前に源次郎尾根に行っていたため、今回はお留守番ということにになった。

 さて、源次郎尾根は比較的人気であることから、混雑を予想し、夜明け前の午前4時出発を予定していた。しかし、準備がもたついて結局予定時間をやや過ぎての出発となった。前2日間の様子も見て、縄さんとは少し厳しめに1年生を指導していこうと話し合っていたのだが、もう少しテキパキと行動してほしい。

 私のヘッドライトはルーメン値が低いのか、電池残量が少ないのか、今野のヘッドライトに比べて暗く、雪渓に乗り移るまでの下りに若干不安を感じながらも先頭を歩いた。

 平蔵谷出合に到着し、取付きを探すが苦戦する。井上から「思っているより真砂沢側」などの情報を仕入れてはいたが、一度取り付いてみたところはガレガレですぐに諦めた。過去の記録ではピンクテープの誘導があったとの記述も見かけたが、テープは見当たらなかった。結局3,40分程度探し回り、ようやく発見した(写真は撮ったと思っていたがありませんでした。すみません)。少し登って振り返ると、後続パーティーがアイゼンを脱ぎ始めているところだった。その後は順調に進み、先行隊が唯一ロープを出したという箇所も、鈴木リードで難なく通過する。下級生がいる場合はロープを出したほうが良いだろうが、特に難易度が高いわけではなく、左側から登るほうが簡単といわれていたが、右側から登っても特別難しさは感じなかった。これ以降は、第2岩峰の懸垂地点までロープを出すことなく、途中、今回の夏合宿でもはや恒例となった今野の靴紐解けましたに時間を費やされることが何度かあったが、サクサク通過していく。ほかのパーティは、途中で先述した後続が30分ほど遅れて登っている様子が伺えたが、第2岩峰に到着するまでどのパーティともすれ違うことはなかった。先頭かと思っていたが、懸垂地点に到着し、下を覗くと1パーティがいたので違った。懸垂してから本峰までの登りは今野も頑張りを見せ、ほぼ予定通りに到着。昨日より晴れていて景色も綺麗だったので、一応写真も撮って下山した。最後は少し急がせて正午ピッタリにテント場へ戻った。


第2岩峰から懸垂下降


 8/17 6峰Cフェース剣稜会ルート班
メンバー:沼田(4)、鈴木(2・記録)
天気:晴れ
4:00 剱澤小屋テント場
5:00 長次郎谷出合
5:30
6:30 6峰Cフェース取付き
9:30 6峰の頭
13:50 剱澤小屋テント場
 縄さんは今日下山する予定だったが、今野が膝の痛みを訴え、Cフェースには登らないということになり、縄さんは自家用車で来ていたため、縄さんのご好意もあって今野は一緒に1日早く下山することになった。

 Cフェース組は取付きまで十字のクラックを飛び越えたりガレ場での落石があったりしながらも比較的順調に進む。途中、休憩していた2人パーティーを抜いたが、どうやらCフェースを予定していたらしく、我々もCフェースであることを伝えると、Aフェースに切り替えてくれたらしい。大変ありがたい。

クラックを覗き込む

 取付き基部に到着し、どこから登るか落合と検討するが、それっぽい場所は見当たらなかったので、とりあえず地面が平坦で準備しやすいところから登ることにした。落合・井上パーティーが先行し、沼田・鈴木パーティーが後に続く。沼田さんがフォローだったので、安心してリードすることができた。1ピッチ目はトポではスラブを左上とあったが、我々はスラブを右上した後、ルンゼっぽいところを左上した。落合班が残置で終了点を作っていたが、落合が2p目を終えるまで時間がかかりそうだったので、近くのハイマツ帯で支点を作った。しかし、この支点が色々まずく、後から登ってきた沼田さんにダメ出しをされるのであった。2p目の終了点は落合班から自分たちの左側に残置があると教えられ、いわれた通り落合班より左側の崖に近い広いテラスを終了点とした。3p目は記憶が曖昧だが、最初のナイフリッジを通った後でピッチを切った。トポでは最初フェースを右上とあったが、2p目終了点すぐ上の岩場を直上し、左のリッジ沿いに登った。落合班は3p目でRCCルートの合流したようだった。4p目もナイフリッジがあり、リッジが終わってすぐの古い残置ハーケンを使いつつ終了点を作った。5p目は4p目終了点からすぐ先の広いところに信頼できる残置支点があったので、そこを終了点としたが、もう少し上にいったCフェースの頭にも残置支点があるようで、沼田さんをそのまま頭へ行かせた後、鈴木は確保なしで頭まで登った。途中で抜いた落合班の到着を待ちつつ休憩し、Ⅴ・Ⅵのコルへの懸垂地点を探した。事前情報では、25 mと50 mの懸垂を一回ずつでコルへ下りることができとのことだった。頭からは色んな踏み跡や懸垂地点が錯綜していたが、昨年もCフェースに登った沼田さんがピッタリ懸垂地点を見つけ、事前情報通りの懸垂で下りることができた。どちらのポイントもハイマツで支点が作成されていた。懸垂を終えた後は、下りのガレ場も慎重に進みながら幕営地まで戻った。


剣稜会ルートから見た落合



落合、井上班(記録:井上)
 1ピッチ目は、比較的簡単なスラブを登り、ピッチを切った。後発の鈴木が後から登ってきたが、終了点が狭く、ロープが邪魔になっていたので大変そうだった。2ピッチ目は、1ピッチ目ほどは簡単ではなかったが、スラブかつホールドも悪くなかったので気持ちよく登れたと思う。3ピッチ目は、もともと剣稜会ルートで登攀する予定ではあったのだが、2ピッチ目の終了点がかなり右にあったこともあり、剣稜会ルートよりも右側にあるJECCルートの方向に舵を切った。4ピッチ目は、さすがに登ってきたこともあり高度感が出てきたが、越沢バットレスでパンプをしかけていたことを思い出すと大して恐怖感は感じなかった。4ピッチ、5ピッチ目は、JECCの方向ではあるものの、藪の方に入るなどし、完全にJECCルートを登れた訳では無いので、もし次回登攀することがあれば、忠実にJECCルートを登ってみたい。


 8/18 下山(記録:井上)
天気:晴れ
5:50 剱澤小屋テント場
6:30 剱御前小屋
8:10 室堂
 長かった剣定着もついに終わりを迎え、私たちは室堂に出発した。下りは、早々と終わり室堂に着いた。そこから、沼田は帰途に着き、鈴木は家族と合流、井上と落合は縦走に出発した。私は、後に縦走があったとはいえ、定着をやりきったことに一定の達成感を覚えた。