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2025年11月25日火曜日

20251121-25_飯豊主稜線縦走

 20251121-25_飯豊主稜線縦走

メンバー:L沼田(4,写真)、落合(2)、井上(1)

世間は駒場祭、我々は飯豊に行ってきました。ラッセルと、藪と、それらのハイブリットで思うように進めなかったりはしましたが、雪上訓練や冬山シーズンに向けての良い準備になったと思います。いい下見ができたので、今度は厳冬期に飯豊とじっくり向き合いたいです。


コースタイム
11/21
0900 
東俣林道ゲート
1040 
尾根取り付き
1240 
カモス峰
1500 幕営地(千本峰手前 標高1050 m付近)

11/22
0715 
幕営地発
1310 
朳差岳
1315 
朳刺小屋 1345
1730 
頼母木小屋

11/23
0600 
頼母木小屋
0635 
頼母木山
0740 
地神山
0920 
門内岳
1030 
北俣岳
1205 
烏帽子岳
1505 
御西避難小屋

11/24
0545 
御西小屋
0710 
飯豊山
0925 
切合小屋
1205 
三国避難小屋

11/25
0540 
三国避難小屋
0555 
松ノ木尾根分岐
0855 1150 m 
松ノ木尾根屈曲点
1115 
タカツコ沢出会い
1400 
いいでのゆ


11/21
天気:雨
記録:落合

直近1週間で2度の冬型が決まり、酸ヶ湯温泉では1日に1 m以上積もったというニュースも聞いていたので、積雪量に関して期待をもって臨んだ。11月に入ったくらいの時点では標高800 mくらいから積雪が出てくるだろうという想定だったが、予想に反して尾根取り付き(標高350 m)から積雪があった。ちなみに、尾根取り付きまでの2時間くらいの林道歩きに3回軽めの渡渉があり、沼田さんはそこで靴を濡らした。取り付きから少し登り、標高450 mで井上に現在位置確認させたら750 mと返ってきておぉぉ?と思ったりしたが、井上の読図は今山行の終わりの方にはよくなっていったはず。その後、標高750 mでワカンを履いた。以降はずっと膝下程度のズボり。途中、テンに追われた白ウサギが兎の形相で駆け下って行った。テンは我々に慄いて引き返し、白ウサギは助かった。カモス峰手前辺りから眠気を訴える井上のペースが上がらなくなったので井上の食糧やらを上級生で持ったが、それでもペースが上がらない。低体温症を疑ったので、食べさせてから先頭を歩かせてポカポカにさせる手を打ったりしたが、少しの間は元気になっても直ぐに元に戻ってしまう。次第に日没までに朳差小屋に着けないことが確実になってきたため、標高1050 mの細尾根を整地してテントを張った。この日は、標高の低い所ではずっと雨だったので全身びしょ濡れだったが、防水袋に入れた寝袋が使う前から濡れていたことには初日からだいぶ萎えさせられた。

 

11/22

天気:雪のち晴れ

記録:落合

夜の間、雨のような雪が降り続き、全てのものを濡れさせた。テントにも積もっていたので、夜間何回かテントの内側から払い落としたりしたが、朝になって見てみたら雪でテントが変形していた。この日は前日の遅れを取り戻すべく門内小屋を目指したが、湿雪の重雪ラッセルに阻まれて頼母木小屋までしか行けなかった。

この日は最初から膝上~腰下程度のラッセルが続くし、よくズボる。まだ積雪量が多いわけではないので、灌木漕ぎとのハイブリットラッセルを食らう。朳差岳の手前でクラストするまでラッセルが続いた。前朳差岳で気がついたら出発から5時間経っていたが、その間ラッセルに夢中になりすぎて何も口に入れていなかったら、見事にハンガーノックを食らった。朳差小屋でシャリバテに気がついてから色々食べたが、一度シャリバテると中々回復しないので面倒くさくても食べるようにする。

朳差岳からもクラストして快適に歩けると思われたが、太陽で温められた雪が腐っていたりして、こちらも股までズボるような所が続き、思うように進めなかった。この日は自分がシャリバテして、終盤、先頭でのズボり役に回る回数が少なくなってしまい迷惑をかけてしまった。まぁ、2年生にもなって何やっているんだというレベルの話ではあるので猛省である。食べずに無限に行動できるのが1番いいんですけどね。


沼田が先行して小屋を目指していたときに撮影した後続の2人.スマホカメラのズーム機能は滅多に使わなかったが,なかなか侮れない.

日没と小屋着の時間勝負になった.沼田はぎりぎりヘッデンなしで到着した.


11/23 day 3

天気:曇り,晴れ    稜線上は風強い

記録:沼田

 天気は5日間のうちで最もよかったが,相変わらず風が強い.稜線歩きになり一番おいしい日になったと思う.風が強く標高も上がってきたからか,クラストしているところが多くなり,夏道CTくらいで歩けるようになってきた.さくさく進んで計画に追いついた.このペースで歩ければ4日目で下山できるかという期待が高まっていた.落合のペミカン味噌鍋がうまい.

 自分の担当食料はペミカンカレーとパスタだったが,家に余っていた何味かわからない粉末調味料とプチっと鍋 1つを使いたくてカレー粉を持参しなかったが,味が薄くラード味のペミカンになってしまった.おいしくないわけではないが,今一つ物足りない感じ.次回はカレーにしよう.パスタは冬に作ると茹でるときの温度が低くなるせいか,触感がモチモチしなくてイマイチ.袋麺と焼きそばのがおいしく食べられるかも.


稜線がずっと続いていてすばらしい.奥に御西岳避難小屋が見える.

大日岳の裏に沈む太陽


11/24 day 4

天気:曇り,晴れ    稜線上は風強い

記録:沼田

 日の出前に出発したが霧が深くて視界が悪かった.卸西岳を越えてから下手な軌跡になってしまった.12:00までに三国岳に着ければ今日中に下山しようと話していたが,井上のペースが徐々に落ち,他2人のワカンが壊れるというトラブル発生.到着は12:03という具合だったが,片足ワカンだとペースが落ちるのでここで幕営に変更.何が起こるかわからんな.ワカンの紐が切れた(縫い目がの糸がちぎれた)ので,捨て縄で代用して使えるようにした.結局計画通りの5日間か.夕飯の焼きそばがうまい.


暗くて霧で視界は数mしかない…尾根が広いので羅針盤とGPSを頼りに歩くが,何も見ないと真っすぐ歩くのが意外と難しい.

本山行最高峰の飯豊山頂

雪庇はないので怖くはない


11/25 day 5

天気:雪・雨のち曇り

記録:井上

 飯豊主脈縦走は一年生の僕にとっては、とても辛く、そして困難を伴うものだった。そんな縦走もこの日で終わり。あとは下山だけということで、少し安心したような気持ちで泊地を出発した。三国岳の南東尾根は最上部から謎の低木が、凄い密度で生えており、厳冬期では考えられない灌木漕ぎが沢に降りきるまでずっっと続き、僕たちは(特に僕)木に荷物が引っかかって動けなくなったり、木に足を取られて転んだりしまくった。それまでの四日間で、雪に足を取られまくったこともあり、雪に辟易していたが、この日のせいで雪は荷物に引っかからないだけマシだなんて考えるようになってしまった。尾根下りも中盤を過ぎると、アドバイスをもらいながら読図の練習をするということで僕が先頭を任された。バリエーションルート上で読図をするのは初めてであったが、先輩たちに色々教えていただいたことでそこそこ読図が上達した感じがした(先輩に感謝)。僕が見事正解の尾根を引き当て沢に降りた後は、沢を2回ほど渡渉し、登山道に移動した。そこまででも中々に疲れていたが、渡渉中に滑って全身を濡らしてしまったのは、僕の精神を完全にへし折った(泣きっ面に蜂)。渡渉前に、沢に落ちれば、温泉がよりいっそう気持ちよくなるねなどと落合さんと会話していたのが悪かったのだろうか、、、(1級フラグ建築士)。登山道はそこそこに、車道に出た僕たちは、3人それぞれが自分のペースで歩きはじめた。序盤は3人で歩調を揃えていたものの、靴擦れがひどく、体力も残っていなかった僕は、最終的には一番後ろで一人トボトボあるいた。足が死ぬほど痛かった僕は、1000歩をすぎたらキリのいいところで少し休むという自分ルールを打ち立て、頑張って歩いたものの、2回目の休憩が終わった頃には足の痛みが悪化しほとんど歩けなくなった。僕が歩けなくなった場所は、最終目的地であるいいでの湯から歩いて5分くらいの所だったらしく、今考えるとそこまで歩けば良かった。そんな場所でかたつむりの様な歩みで進んでいた僕だったが、そこに早めについていた沼田さんが車で迎えに来てくれた。割とガチ目に絶望していたところに来てくれたこともあり、これからも沼田さんを崇めていきたいなとおもった。今山行の結論としては、靴擦れで足が大変なことになったり、初めての雪山で疲労困憊になったり、極めつけには、帰りの道中や温泉で手の上をマダニに這われるというかなり過酷な山行ではあったが、初めて尽くしで刺激たっぷりで最高の山行であったとさせていただきたい。




下山は南東尾根から.猛烈な藪植生で,厳冬期の積雪が多い時期しかおすすめできない.実際,次写真の沢出合まで5時間くらいかかった.

正解の尾根を引いて沢出合に降りられた




 

2025年11月10日月曜日

20251109-10_日光表連山(&日光国立公園マウンテンランニング大会)

  20251109-10_日光表連山(&日光国立公園マウンテンランニング大会)

メンバー:沼田(4・CL)、鈴木(2・SL・記録)、落合(2)、今野(1)

1日目:曇り時々雨
6:40 霧降高原
12:00 女峰山
14:30 小真名子山
15:50 大真名子山
16:55 志津小屋

2日目:曇りのち晴れ
03:30 志津小屋
05:40 男体山
07:55 中禅寺温泉バス停

昨年同様、今年も日本山岳会学生部を通じて日光国立公園マウンテンランニング大会のお誘いがあり、今年はボランティアのお誘いもあった。そこで、ウルトラコースのランナーとして主将の河本さんが、ボランティアとして鈴木が参加することになった。ウルトラのボランティアは日曜朝に現地解散とのことで、せっかくなら日光の山も登ってみようと思い、今回の日光表連山縦走を計画した。沼田さんと今野、そしてランナーで参加する予定だったのに申込を忘れていた落合の参加が決まった。

1日目
最近、若者の人気が高まっているという霧降高原。ボランティアとしてP3駐車場に誘導したであろう方々とすれ違い、小丸山展望台へ1,445段の階段を登る。登り切る頃には雲行きが怪しくなり、ポツポツと降りはじめる。分岐で丸山に行くかという話になり、最初はやや消極的な雰囲気があったものの、せっかくだしということで丸山へ。ランナーの妨げにならないよう配慮しながら登っていくと、ふと前を行くランナーに見覚えがあることに気づく。

「河本さん!?」

なんと、我々のすぐ前を登っていたのは主将の河本さんだった。前日のスタート前は、時間的に霧降で会うのは厳しいかもという話をしていただけに、まさかの邂逅に感激。そのまま一緒に丸山山頂まで同行し、素早く集合写真を撮って送り出した。丸山に寄って良かった。

スタート前にパシャリ。
邂逅。この後、13時間12分でフィニッシュします。
河本さんふうに言えば、「次は貴方の挑戦をお待ちしています🫵🫵🫵」

縦走メンバーは一時の興奮冷めやらぬまま分岐に戻り、女峰山方面へ。今回は比較的易しい部類の山行だったので、読図もみっちりやろうとあらかじめ目星をつけておいたポイントで今野に読図クイズを出した。結果はご想像のとおり。分かりやすいところだったのですが、読図山行を計画したほうが良いかもしれません。

「ここどこでしょう!」
「………」
〜数分経過〜
「ここっすか?」
「ん、どこ?」
「ここです」
「全然違う😞」
今後の成長に期待です。

続いて、事前に入手した情報を頼りに、一里ヶ曽根独標先の分岐のモアイ像と十一面観音像なるものにも立ち寄った。記録にあったアプローチが微妙だと思われたので、登れそうなモアイ像側の岩から取りつくことにし、沼田さんが先陣を切ったが、登った先は何もない。やはり十一面観音像側の岩を登らないといけなかったようだ。今回は我々のリサーチ不足。時間切れで泣く泣く十一面観音像は断念した。

女峰山の先の馬の背渡りは、意外にあっさりしており、積雪状況次第ではとアイゼンも装備に加えていたが、結局使わなかった。山頂では、赤薙あたりから体調が悪いという今野の荷物を沼田さんと落合が分担し、ペースも調整することにした。十一面観音像にも寄ったことで、この時点で当初の行動計画に遅れが生じており、太郎山はひとまず明日に持ち越しとなった。

確かに馬の背みたいです。

その後はアップダウンの繰り返し。落ち着いていた雨風もしだいに強まり、富士見峠では徳川家の財宝にまつわる小ネタを話しそびれたり、大真名子山では北西70m先にあるという三角点も行きそびれたりとしだいに余裕がなくなっていく。日没までに志津小屋にたどりつけるか気を揉む展開となり、最終的に日没ギリギリで小屋に到着したときは全身びしょびしょだった。幸い、小屋にはほかの利用客がいなかったので、濡れた衣服を干しながらのびのびと使わせていただいた。

食事は各自が持ってくる形としたが、夕食がフルグラ数百グラムと抹茶オレだけという鈴木を見かねた沼田さんが、尾西のご飯を恵んでくださった(決してせびってはおりません)。落合も最初はフルグラとココアだけだったので、やはり同じことを考えるもんなんだなと嬉しかったが、食べ終わったと思ったらカレーメシなんてものを出してきたので寂寥を感じるのであった。

明日18時には本郷に戻ってウォール講習会の準備をしなければならなかったため、太郎山はカットすることを決め、この日は就寝。

2日目
某部員、何度目の靴紐の待ち時間か。3時30分を少々オーバーして小屋を出発。もちろん、小屋は来たときよりも美しく。

男体山については、事前事後の電話で二荒山神社中宮祠に色々と確認した上で、記述を省略。

男体山へは倒木を巻いたり直登を避けたりで踏み跡が様々なところを登る。稜線に出ると風が強く、男体山の山頂に着いたところでさすがに手袋を着用した。山頂では、毎時00分の画像がウェブサイトで公開されるということで、休憩がてら20分ほど時間を潰した。太郎山神社に足を伸ばしたりあれこれ見たりしているとあっという間に6時00分が近づき、急いで準備。59分から01分までカメラ前で待機し、無事、山頂カメラ「大国乃目」に収まった。鈴木以外の恥ずかしがり屋さんはポーズを取らなかったよう。

下山は男体山の開門時間である午前8時目標だったが、途中で何人かの登山者とすれ違う。おかしいなと思って調べ直すと開門は午前6時でした。すみません。
当初は中宮祠方面へ下山し、その後華厳の滝観光も兼ねて中宮寺温泉バス停まで歩く予定だったが、一度林道に出て再び登山道に合流する2合目で、このまま林道を進めば中宮寺温泉バス停に抜けることが分かり、急遽方向転換。中宮祠を通っていないので登拝料も納める機会はなかったわけですが、どうなんでしょう。グレーと言われればグレーなので、今度中宮祠から登る機会にしっかり奉納します。九十九の林道は楽しい藪でショートカットでき、8時5分のバスにギリギリセーフ。華厳の滝は潔く諦めて東武日光駅へ戻った。駅からは沼田さんがバスで自車の回収に向かい、帰京。ウォール講習会も無事に間に合い、河本さんの健闘を讃えた。

今回行けなかった太郎山、そして計画段階のリサーチで新たに知った日光修験三峯五禅道について詳しく調べ、また機会があれば山行に行きたいと思います。




2025年11月5日水曜日

20251105_アイゼン登攀訓練


 20251105_アイゼン登攀訓練

メンバー:落合(2・L)、鈴木(2)、孫(1)、今野(1・記録)

天気:晴れ

0830 広沢寺の岩場
1600 解散

なぜかメンバーの4人が11/5()が空いているということだったので、平日がら空きの広沢寺でアイゼン登攀訓練を実施した。0720あたりに発車する七沢行きのバスに鈴木さんがいなかったのでまさかの寝坊を疑ったが、広沢寺温泉入口のバス停にはしっかりと姿があった。聞けば交通費の節約のため駅から歩いてきたらしい(帰りも駅まで歩いていた)。ちなみに丹沢方面にいくための節約術としては小田急が発売している丹沢・大山フリーきっぷがあるのでこちらをおすすめしたい(実は相鉄線内の駅でも購入できる)。岩場に到着してからしばらくはもっぱらアイゼン・アックスを用いた登攀の練習に励んだ。アイゼンの前爪を岩にかける感覚を得ることができれば思ったよりも簡単に登れる。それよりも難しかったのはやはり手袋をつけながらの登攀であった。ホールドが素手よりはるかに掴みづらくアックス無しでは非常に苦労する。アイゼン登攀の後は、支点構築、マルチピッチのフォローのビレイ、1/3システムへの理解を深めた(これは実践あるのみで、映像記憶をすべし)。最後の約1時間は背負い懸垂の実践をして終了。自身は55㎏程の落合さんを背負って安定して歩くことができず力不足を実感した。


難しい方のルートに挑戦する落合さん


1/3システムの実践。80kg以上ある孫さんでも容易に持ち上げることができた。

2025年10月11日土曜日

20251011-12_小川山

  20251011-12_小川山

メンバー:河本(L・3・記録)、孫(1)、今野(1・記録)

10/11

天気:雨のち曇り

0940 廻り目平キャンプ場
1220 金峰山
1430 廻り目平キャンプ場

ようやく秋となりクライミングの季節がやってきたのであの小川山に行ってみることにした。青空クライミング日和になることを願いながらまだ暗い中央道を順調に走り抜け、9時前には木々の色付き始めた金峰山荘に到着した(孫さん運転ありがとうございました)。ところが、なんと到着早々透明な液体がお空から相当量ふってきてしまい、早々に登攀がマトモにできないことを確信した我々は百名山金峰山までハイキングすることにした。雨の中紅葉を存分に堪能できた私は当然上でも素晴らしい景色を拝めることを望んだが、残念ながら頂上はガッスガスのガスであった。さらに下山を始めてしばらくたつと予報よりも早々に雨がやみ、これなら昼寝をしてもっと長くクライミングをすればよかったと後悔したが、そうしても仕方ないのでガマスラブを1ルートだけ登ることにした。まず河本さんがリードでトップロープを張り後続2人がそれを使い登る形だ。ガマスラブでは孫さんがテレビやYoutubeでよくみるアレを頭につけて動画をとりながら登っていた。どうやらGoProよりいいやつらしい。キャンプ場に帰還後はバーベキューをしている楽しそうなパーティーを尻目にTUSACの新レギュラーとなりつつある焼きそばと孫さんが下さった魚肉ソーセージをを食べて就寝した。(今野)




何も見えない


紅葉が美しい

ガマスラブ

10/12

天気:晴れ

今日は晴れの予報なので予定していたマルチピッチのルート野猿返しに行った。廻り目平から遠いので朝5時過ぎに出発したが取り付きに着いたのは7時頃。一ピッチ目はクラックの入った岩の斜面を登る。トポよりも短めにピッチを切ったので何ピッチ目かは忘れてしまったが、核心ピッチではピナクルを左から回り込んで少しトラバースしたところでピッチを切った。そこからはリッジを上がると歩きのピッチになる。全部リードだったので怖かったです。かなりもたもたしてしまったが、長いコースをリードできて嬉しい。フォローの二人ともよく登れていたと思います。その後はガマスラブを一ピッチ登って下山した。楽しい山行でした。(河本)

2025年9月28日日曜日

20250928_仙ノ倉谷東ゼン

 20250928_仙ノ倉谷東ゼン

メンバー:L落合(2)、井上(1)

天気:晴れ
0855 
土樽駅

1055 入渓

1300大滝

1720稜線

1920平標山登山口バス停

 

始発で土樽駅845分着。井上がトイレに行くというのでしばらく待つ。長いなコイツと思ったら土樽駅のトイレにトイレットペーパーがなく、変態ムーブをかましていたらしい。で、ボチボチ歩き始める。割と暑いので沢への期待が高まる。冬は1日かかった仙ノ倉の林道も1時間で越える。井上にそれを伝えたら井上はお先真っ暗な気持ちになったらしい、雪は真っ白だけど。群馬大山荘から入渓点まではドロドロ道を進む。

入渓点

虫は少ないけど倒木は多い


30分進むといよいよナメが現れる


最初の滝

2つ目の滝。快適に登れる

西ゼンのスラブは綺麗
東ゼン。奥に大滝が見えて期待が膨らむ

これは中ゼン。とても登れそうにない

15m滝。手前右側のバンドから登っている人が多いが悪いので水流の近くから登った。

いよいよ大滝。ロープを出して1段目は右壁のバンドを左上→水流右寄りを直上。2段目は左壁から巻き気味に登った。

20m滝。濡れると寒いので右から巻き気味に登った。上部が急な草付きになっておりフェルトだと滑りまくった。

この滝を越えると沢も細くなってきて、最後の2股は右に入った。しばらくは沢地形を拾っていったが、稜線までの最後の10分くらいは沢地形がなくなり笹藪を漕いだ。稜線に出てからはスタスタ進み、平標山の少し先でヘッドランプをつけて元橋駐車場の登山口へ下山した。

2025年9月8日月曜日

20250908-19_夏合宿縦走(南ア 鳳凰三山ー大無間山)

20250908-19_夏合宿縦走(南ア)

メンバー:L落合(2)、井上(1)

この記録を見たら、違和感しかないんじゃないでしょうか、、、

夏合宿なのに2人。最初は全員いたんです。用事があるだの何だので日に日に参加者が減っていき、最終的に間抜け2人が取り残された。間抜けだから取り残されたのでしょうか。まぁ間抜け2人だと間抜けなことしか起こらないんですよね。こいつらバカだなぁとか思わずに、大目に見てください。

 

9/8 (落合)
天気:晴れ

1040 夜叉神峠
1525 
南御室小屋

本来は深夜に夜叉神峠を出発して初日に早川尾根小屋まで行く予定だったが、色々あって10時半頃に夜叉神峠登山口のバス停に着いた。約6時間のロスタイム。というわけで、初日にして予備日を使い、この日は南御室小屋まで、翌日に早川尾根小屋に入ることになった。 

ほとんどの登山者は広河原までバスに乗っていくため、夜叉神峠で降りたのは我々の他にもう1人だけだった。その方は我々のザックのでかさに驚き、背負ってみたいと言ってきたので、さぁ持ってみなされとばかりにザックを差し出したら、背負えなかった。補助をして背負わせてあげたが、よろけて倒れてしまった。そんなのを見るとなんだか誇らしくもなる。

そして、薄々気がついてはいたのだが(頑張って気がついていない振りもしていたのだが)、、、体調が悪い。熱を測ったら行けなくなると分かっていたので、熱は測らないでおいた。登り始めると同時に猛烈な頭痛と吐き気が襲う。前夜に、まだ軽いまだ軽いとばかりに大量のご馳走をザックに詰め込んだことを後悔しながら歩いた。こんな感じなので道中のことはよく覚えていない(寝ながら歩いていたかも)が、ずっとなだらかな登りだった気がする。したがって、深夜出発していたところで早川尾根小屋までたどり着けていなかったに違いない。

テント場に着いて夕食を作り始めたところで井上が「あっ、やばい」と言うので、「こいつ、大事な物を忘れてきたな」と思ったが、クラスの女子の名前を3人ばかり忘れてしまっただけだった(1週間後くらいに頑張って思い出すことに成功した。凄い!)。何をどうしたらそんなものを忘れるのか理解に苦しむ。しかし、この出来事は数日後に発覚する井上の忘れ物の前兆だったのかもしれない。私はというと、ただの熱中症だと信じて、起きたら治っていることを期待しおやすみなさい。初日からこの有り様で先が思いやられる。

 

9/9 

記録:井上
天気:晴れ
0515 
南御室小屋
1130 
早川尾根小屋

この日は、朝南御室小屋を出発し、鳳凰三山を経て、早月尾根小屋に宿泊しました。行程としては、そこまで長くありませんでしたが、長期縦走の2日目ということもあり、重荷に押しつぶされそうになりながら歩きました(35弱くらいあったかも)。鳳凰三山は過去にも訪れたことがあったので、懐かしいと思いながらホノボノ歩いたという記憶です。また、赤抜沢の頭と地蔵が岳の間の気にぶらさがり行った懸垂では、2人とも山に入りすぎて故の筋肉の衰えをひしひしと感じ、悲哀に明け暮れました。早川尾根小屋に着いてからは、テント場に誰も居なかったので(午後五時まで人の通過すらない)個人マットを広げ二人で昼寝をしました。山での昼寝は気持ち良く、いつまでも寝ていたいなぁと思いましたが、そうもいかない悲しい現実。結局この日は、遅くまで人が来なかったので解放小屋に泊まりました。個人的には快適な寝床で最高だったのですが、落合は耳元のカリカリ音に悩まされ、まともに寝られなかったそうです(可哀想)。翌朝、寝る向きを反対にすれば良かったのではと言ったところ、確かにと返されました。山では頭が働かないのでしょうがないですね。

オベリスクにはクラックがあったが、ロープがないと登れない

 

9/10 (落合)
天気:晴れのち雨
0300 
早川尾根小屋
0455 
アサヨ峰
0630 
仙水峠 0700
0820 
甲斐駒ヶ岳
1030 
仙水峠
1140 
長衛小屋
解放小屋を使わせていただいていたので撤収が早い。そしてそして、頭痛も吐き気も治っている嬉しい。真っ暗な中アサヨ峰まで登り、アサヨ峰頂上でちょうど明るくなってきた。というより、そうなるように出発した。日が昇ると暑いので。しかし、展望は1ミリもなく、風が強く吹いているだけだったのでさっさと仙水峠に向かって歩き始めた。アサヨ峰までの登りも、アサヨ峰から仙水峠までも、基本的には歩きやすいが、所々岩場があったり、木にザックが引っ掛かって面倒くさかったりする。仙水峠まで大きく下ってそこに荷物をデポし、甲斐駒ヶ岳に向かった。仙水峠でうたうたしながらデポ準備をしていたら大分時間がかかったので、今後も同様のシチュエーションがある可能性があることから、早く準備を終わらせる策を考えながら甲斐駒ヶ岳まで歩いた。仙水峠から甲斐駒ヶ岳までは荷物が軽いおかげで飛んだ。井上は、私にぶっちぎられて山頂で仏様になっていたので頑張ってね。甲斐駒ヶ岳山頂からは南の景色がきれい。あまりに綺麗なのでしばらく昼寝する。ただ、以降赤石岳まで景色を見ることはなかった。行きは尾根ルートを通ったが、帰りはトラバースルートで駒津峰まで行った。トラバースルートの方が総じて歩きやすい。仙水峠でデポ品を回収して長衛小屋まで緩やかな道をだらだらと下った。

 

9/11 

記録:井上
天気:雨
0210 
長衛小屋
0605 
仙丈ヶ岳
0830 
高望池

この日は北沢長衛小屋を出発して、仙丈ヶ岳を経由し、仙塩尾根を進んで高望池に泊まりました。まだまだ荷物は思い上に、天気も悪く、行動時間にしては大変な1日でした。仙丈ヶ岳近くでは、1番雨風が強く、心が軽く折れそうでしたが、高校時代に食らった大雨の数々を思い出せば、こんな雨も「やれやれ、またか」の気持ちで耐え抜けました。尾根を進み、樹林帯に入ると、大分温かくなり安心しました。少し進むと、高望池が見え始めてきました。普段から疲れると、テントや小屋の幻影が見え始めることに定評の私ですが、今回は確かにテントが池のほとり(池は枯れている)にテントが張ってあるのが見えました。思いがけない場所にビバーク場所を見つけた私たちは、両又小屋まで下りたくなかったため、ここに泊まることにしました。明日の行動時間はさして増えないにも関わらず、今日の行動時間を大幅にカットできた喜びでノリノリのグータッチをかましました。

 

9/12 (落合)
天気:雨
0200 
高望池
0310 
野呂川乗越
0600 
三峰岳
0800 
北岳
1000 
三峰岳
1100 
熊の平小屋

この日も三峰岳直下の岩場あたりで明るくなるように出発時間を設定した。岩場までは前日同様樹林帯である。小1時間岩場を登って三峰岳に到着した。ここに荷物をデポして北岳往復に向かう。本来は丸1日使って、熊の平小屋から北岳、間ノ岳、農鳥岳に行く予定だったが、計画に追いつくために三峰岳から北岳ピストンに変更した。雨で景色のない中歩くのは虚無であった。三峰岳に戻ってきて熊の平に向けて歩き始めて10分くらいしたところで遠くで雷が鳴り出したので樹林帯に入るまでは走って下った。熊の平小屋に着いたら山梨大学の山岳部がいて、近江さん、縄さん、尾高さんの3人が2年半前に行った厳冬期南ア主稜線縦走時に山小屋ノートに書いた文章を見たと言われ、びっくりした。厳冬期南ア主稜線縦走ね!楽しそう!!!

そして、ここからが本日のハイライト$$$

井上:「なんでカレーメシのパックが奇数個しかないの???」

はいはい来た来た来た、一応自分の中で想定の範疇ではあったが、まさかまさか本当にやってくれるとは。井上が朝食を3.5日分持ってこなかったんですね。阿呆な井上は絶望していたが、想定していたミスが起きたわけなので、私は針に糸を通した気分になって嬉しかった。というわけで、ここからキリキリ舞いの朝食が始まったのでした。

 

9/13

記録:井上
天気:雨
0415 
熊ノ平小屋
0845 
塩見岳
1145 
三伏峠

この日は熊の平小屋を出発し、塩見岳等を経由して三伏峠小屋に泊まりました。この日も、例に漏れず雨が降るとても寒い日でした。あまりにも視界が無かったこともあり、行動中の記憶がほとんどないのは大変申し訳ないです。この日も重荷を背負いながら、行程を終わらせ、三伏峠小屋に着いた私たちは、小屋から往復30分の場所にある水場に水を汲む担当を決めるためジャンケンをしました。結果負けたのは私でした、、、。水を渋々汲んできたあとは、その日一日でお腹を冷やしすぎたのか、お腹を完全に壊しました。長いこと休んだ後にトイレに行ったところ治りましたが、防寒着を着る判断を早めにしておけば避けられた苦しみなので、今後に活かしたいと思います。

 

9/14 (落合)
天気:雨
0530 
三伏峠
0620 
烏帽子岳
0715 
小河内岳避難小屋 0805
1010 
高山裏避難小屋

この日は荒川小屋までの予定だったが、雨風が強いことが予想され、荒川岳の稜線に出ることが躊躇われたため、高山裏避難小屋までとした。烏帽子岳までは樹林帯&稜線が東西方向なので西の強い風が来ても問題なかった。烏帽子岳で稜線が南北方向に変わるため、西風をもろに受ける。晴れてたらどんなに景色が、、、とか考えていたらあっという間に小河内岳に着いた。寒いので避難小屋に入る。避難小屋には3日前から悪天で閉じ込められていたという家族がいたので水を差し入れたらお湯を作ってくれた。そんなこんなで体も心もポカポカになったら外に出たくなくなったが、色々押し殺して無理やり出発する。小河内岳には今日中に荒川岳を越えるのだと言う人がいた。私はどうしてもそんな気分になれない。小河内岳からは一気に下って樹林帯に入った後、いくつかピョコピョコして2時間くらいで高山裏避難小屋に到着した。高山裏避難小屋は今シーズンの営業を終了していたので避難小屋を使わせていただいた。この日は我々のほかに鳥倉から赤石岳ピストンのパーティーと沢登りのパーティー総勢8人がいた。

9/15

記録:井上
天気:雨のち晴れ
0505 
高山裏避難小屋
0740 
荒川中岳
0820 
荒川小屋
1030 
赤石岳
1230 
百間洞山の家

この日は高山裏避難小屋を出発し、荒川岳、赤石岳を経由して、百間洞に泊まりました。朝は、霧に包まれ風にも吹かれましたが、前日程の風の強さではなく危なげなく岩稜地帯を通り抜けることができました。この位の日にちになってくると、荷物もかなり軽くなっており、荒川岳も赤石岳もかなりの標高ではありましたがさほど苦労せずに行程を終えることができました。特に、赤石岳の手前で5日ぶりの晴れ間が見えたときには、ただの晴れ間に2人して感動し、そのありがたさや美しさを噛み締めました。百間洞では、クマがいると注意を受けたその夜、落合がテントの外にそれっぽい足音を聞いたらしいです。入ってこなくて良かった。




 

9/16 (落合)
天気:晴れ
0540 
百間洞山の家
0755 
兎岳
0930 
聖岳 1000
1130 
聖平小屋

百間洞周辺でクマの目撃が相次いでいるというので明るくなってから出発した。樹林帯を登っていって森林限界を越えたあたりで稜線に出る。中丸盛山で最初の休憩をしたあと、一気に兎岳まで行く。ここら辺が今縦走で最も良い景色だった。というより、ずっと雨だったので綺麗と呼べる景色をほとんど見ていない。聖岳は最初急斜面を登ったあと、ダラダラと登って到着。山頂にはこの日に聖岳で100名山を制覇したという方がいたので一緒に喜んだ。その方には聖平小屋にてジュースの差し入れを頂いた。聖岳からはザレ場を下ったあと、樹林帯を歩いて1時間くらいで聖平小屋に着いた。まじで先に進みたかったが、光岳小屋の予約のこともあるから進めなかった。というわけでこの日も昼寝。気持ちはいいが、縦走中全く疲れを感じることがないのでなんだかなぁという感じ。

最近山の景色に感動することなんてもうないだろうと思っていたが、久しぶりに綺麗な景色を見ると嬉しい。


9/17

記録:井上
天気:雨
0410 
聖平小屋
0600 
上河内岳
0720 
茶臼岳
1100 
光岳小屋

この日は聖平小屋を出発し、茶臼岳等を経由し、光小屋まで行きました。ここ2日間程は晴れていたものの、この日はしっかり霧がかかってしまいました。そのため、光小屋までのいくつかの山頂に着いても展望は無く、あまり山登り日和とは言えない感じでした。霧の中、軽くなった荷物を背負い、私達は光小屋までスタスタ歩きました。光小屋に着いたあとは、深南部の天気を調べるため、私は1時間程の電波探しの旅に出ました。わざわざ、光岳や光石まで登ったにも関わらず、テント場の近くの薮を少し入った所が1番電波が入るというのは結構悲しかったです。無事、それからの天気を把握した私達は美味しくご飯を食べ、来たるべき深南部に備えぐっすり寝ました。

 

9/18 (落合)
天気:曇り
0500 
光岳小屋
0540 
百俣沢の頭
0750 
信濃俣
1145 
大根沢山
1435 
三方嶺
1500 
三隅岳

今日から深南部。それまでの、午前中は登山道歩き、午後は昼寝という生活を考えたらここからが登山という感じなのでやる気が出る。前日に光岳小屋から大無間山までの尾根を眺めたが、意外と近くない?という印象。1日で大根沢山までしか行けていない記録が多いので、さぁ我々はどこまで行けるかと幾度となく考える。日の出と同時に出発したが、ガスっていたのと鬱蒼とした樹林帯だったことでしばらくは暗くて前がよく見えなかったが、踏み跡がしっかりしていたので問題なかった。百又沢の頭からの下りは尾根が広くなってよく分からなくなったので、とりあえず正しい方角に向かってテキトーに下り、尾根が狭くなった辺りで尾根に乗った。そこから信濃俣まで尾根は狭いので迷いようがない。信濃俣のコルまで来ると、信濃俣がマッターホルンのように聳えている。マッターホルン見たことないけど。テキトーに信濃俣を登ってから進路を南に変え、10分ほどで椹沢の頭に着く。ここの下りも尾根が広くなっていたがあっさり抜けて、小ピークをいくつが越えたらいよいよ大根沢山の登りに差し掛かる。この登りの途中にビニールに入ったザックやマットといった登山道具一式が落とされていた。誰かがデポしたものかとも思ったが、誰にも会わなかったし、人の気配もなかったのでなんだか不思議。遭難者じゃないといいんだけど。テキトーに尾根地形を拾いながら登って、大根沢山山頂に着いたらまだ午前中。というわけで、三方嶺を目指す。大根沢山から1時間くらい下ったところのコルから東側の沢に降りて水を確保し、三方嶺の登りに差し掛かる。いくつか小ピークがあったが、ほぼ巻いた。ただし、枝攻撃をまともに受けたくないなら安直に巻かないほうがいい。三方嶺に2時半。まだ行けるので、三隅池手前の2102m
ピークを目指す。2102mピークに3時。まだ行けると思ったが、この場所が笹でフカフカでベットみたいだったこと、大無間山に登りだすと山頂まで幕営適地がない可能性が高いこと、大無間山山頂にこの日の強風を防げる快適な幕営地があるか分からなかったことからここでストップすることにした。テントを張って直ぐに、自分の中で恒例になっている深南部マシュマロ焼き大会を開催したが直ぐに飽きたので残りのマシュマロを全部井上にあげた。


これのおかげで2102ピークに名前があることを知った



9/19

記録:井上
天気:曇り
0540 
三隅岳
0625 
大無間山

0750 小無間山
1140 
田代

この日は、大無限山手前のピークを出発し、田代で下山しました。この日は、朝出発してすぐに大無限山の登りがはじまりましたが、前日の登りに比べると比較的緩やかで楽に登れました。そこからも大変な登りは現れず、小無限避難小屋まで早いペースで進み、帰りのバスの時間にも余裕が出てきました。計画段階では小無限避難小屋に泊まる予定ではありましたが、帰りのバスに乗れることがほぼ確実だったので、私達はそのまま進みました。一応避難小屋を覗いて見ましたが、中身は広く、中々綺麗でした。このまま順調に田代まで行けると良かったのですが、最後の最後1本尾根をはずしてしまい、そのまま登山道ではない場所から下山してしまいました。コンパスで確認したところ、尾根の方向が微妙にズレていたようです。これからは、微妙なズレにも気づけるくらいコンパスに慣れていきたいです。

いよいよ最後の大ピーク


こんなところから林道に出てきてしまった

鳥居を潜って合宿終わりは新しいパターン



2025年8月26日火曜日

20250826-28_奥西河内

20250826-28_奥西河内 

メンバー:L河本(3)、井上(1)、今野(1)

記録:河本

夏休み中に魚が釣れる沢に行きたいと思い、一年生二人と奥西河内へ行った。奥西河内を選んだのは人が少なく、釣れそうだったから。8時半頃、伝付峠入り口バス停に到着し、内河内川沿いに伝付峠を目指す。はじめは舗装された林道を歩き、リニア中央新幹線建設のためと思われる大きなダンプカーが何台も出入りしているのを見た。広河原からは荒れた山道となるが、東電の管理小屋まではフィックスロープやピンクテープが張られていた。八丁峠を越える道は急で、フィックスロープが切れた崩落地があり、ロープを出したりとかなり時間を食った。そこから先は一応道がのこっていて15時になってやっと伝付峠に到着。疲れていたので今夜は二軒小屋まで下ってビバークしようと考えた。17時頃二軒小屋に到着。二軒小屋のスタッフさんによると熊が建物の壁を破って入り、食糧を漁っていったという事故があったらしく、椹島まで頑張ることに。19時半頃椹島に到着し、倒れるように就寝した。二日目は奥西河内へ釣りに入った。赤石岳の登山道から林道に入り、樺沢くらいから釣り始めた。釣り時間は2時間だったが、河本が3匹、井上と今野はそれぞれ2匹ずつつアマゴを釣り上げることができた。私はルアー、井上今野は餌で釣っていたが、ここは流れが急なので餌の方が釣りやすそう。北沢出会いまで行き、椹島まで引き返した。椹島でガスバーナーで魚を焼いて塩を振って食べたが、とても美味しかった。30cmある大きな魚もあったので火力が足りない感じがしたので又今度はたき火で焼き魚を作りたい。某部員は骨が入っている魚が食べられないらしく、焼く前に骨をほじくってとってから焼いていて、骨格のなくなったふにゃふにゃの魚を何度も串から落していた。三日目は一年生の疲労もあって伝付峠を通らず、白樺荘方面に下山することに。椹島のアクセスの悪さに困り果てながら、6時間程歩いて白樺荘へ下山した。ちなみに私は財布の中の現金がなく、井川郵便局まで40km車道を歩いた。道中の東俣林道も中央新幹線の工事とも思われるダンプカーが大量に行き来していて、まるで南アルプスの山という戦場に大量に戦車を送る行列のように見えた。二軒小屋での熊による事故もあり、南アルプスのこの山域は人間と自然との闘いの最前線であるというような印象を抱きつつ長い林道を歩いていた。来年の夏はもっと余裕を持った日程をとってまた釣りに行きたい。

2025年8月18日月曜日

20250818-29_北ア縦走


 20250818-29_北ア縦走

メンバー:L落合(2記録)、井上(1)は三俣山荘から新穂高温泉に下山

8/7-8/18に行われた夏合宿(剣沢定着)から継続して親不知まで縦走してきました(井上は8/22に三俣山荘から新穂高温泉へ下山)。以下ざっくらぱんな行動概要と詳細な記録になります。


行動概要

8/7-17(day1-11) 剣岳定着

8/18(day12) 剣沢ー五色ヶ原

8/19(day13) 五色ヶ原ー薬師峠(熊騒動によりその後太郎平小屋前に移動)

8/20(day14) 赤木沢遡行

8/21(day15) 太郎平小屋ー三俣山荘

8/22(day16) 三俣山荘ー烏帽子小屋

8/23(day17) 烏帽子小屋ー船窪小屋

8/24(day18) 船窪小屋ー冷池山荘

8/25(day19) 冷池山荘ー五竜山荘

8/26(day20) 五竜山荘ー白馬岳頂上宿舎

8/27(day21) 停滞

8/28(day22) 白馬岳頂上宿舎ー栂海山荘

8/29(day23) 栂海山荘ー親不知



詳細記録

8/18 さらさら越え憧れますね

天気:晴れのち曇り
1015    室堂 

1400 五色ヶ原

室堂を堪能してから出発しようと思っていたが、面倒くさくなったので登攀具類を郵送で送り返して間もなく出発した。登攀具類を送り返したら少しは軽くなると思っていたが、合宿中の雷鳥沢に下がった日に室堂に残置した大量の食糧を入れたら逆に重くなった。晴れた立山の壮大な景色に囲まれながら石畳を進む。神様はこれ以上にないほどのスタートを用意してくれた。歩いていてとても暑いが、山々の綺麗さに癒される。しばらくは目にすることのない殿堂剣岳、女神大汝山、鈴木がいるであろう雄山に見送られて室堂平を後にする。浄土山の登りは後半になるにつれて巨岩が多くなる。浄土山はボーイスカウトと思われるたくさんの小中学生で賑わっていた。浄土山から先は鬼岳を東面から巻いた後獅子岳からザラ峠に降る。ザラ峠への下りで佐々成政のことを思い出して興奮した。室堂に佐々成政ゆかりの酒と書かれた旗が立っていたが、佐々成政って名前だけ聞いたことがあるけど誰だったっけなぁと合宿中ずっと考えていたのだが、そういえば安土桃山時代にザラ峠から厳冬期北アルプスに入り、黒部川を渡って針ノ木峠から北アルプスを越えたと言われている人だった。我々もやらなきゃですね😖😖😖😖。それをザラ峠のあたりで思い出したことに我ながらロマンを感じる。で、ザラ峠からは少し登って直ぐに五色ヶ原に着いた。ザラ峠から五色ヶ原の笹薮は豪雪によって屈強になってますよ。刈ってくださった方々、ありがとうございます。


8/19 熊さん何頭いるの?

天気:晴れのち曇り

0415 五色ヶ原

0625 越中沢岳

0835 スゴ乗越小屋

1200 薬師岳

1350 薬師峠

1800 太郎平小屋に移動

この日は長いので4時に出発しようとしたが、朝食を食べると決まってトイレに行きたくなるので出発が遅れる。以降毎日そんな感じ。4時に出発してチンタラ歩いても14時には目的地に着けるのだから縦走って素晴らしい。昨年は曇っていて全く見ることのできなかった薬師岳への登りを見ながらチンタラ進む。越中沢岳からの下りが急で悪い。雪景色を想像しながら歩くが、越中沢岳の下りはオートルートの難所になりそうだ。スゴ乗越への下りに差し掛かるところで、反対側から来た登山者にこの先はものすごく悪いよと言われ、2人して萎縮したが、越中沢岳の下りの方が悪く、拍子抜けだった。スゴ乗越小屋にはいい感じの旗があり、ネパールみたいだった。ネパールに行ったことはないけど。薬師岳までのんびり登る。北薬師岳から薬師岳までが思っていたより長く、井上もキツそうだったが、頑張ってついてきてくれた。景色が良すぎるので薬師岳で30分くらいゴロゴロしてから薬師峠に向かって下り始めた。途中で雷鳴が聞こえたりした。薬師峠に着いても天気は良いままで、合宿前半の雨を耐え凌いだ日々が懐かしい。井上は確率が収束した気分になったらしい(最終的に晴れに収束したってこと?)。長い山行で頭が終わっているので2人して時々意味わからないことを言うようになっていた。
本日の核心はここからである。薬師峠にテントを張って昼寝をしていたら、15時くらいになって熊が出たと騒がしくなる。最初は単純に熊がいただけだと思って昼寝を継続していたが、話を聞くと熊が登山者のテントを襲い、食糧を食べてしまったそうだ。山岳警備隊の方々がテント場に来てくださり、熊対峙をするが、熊は居なくならない。テント場がずっと騒がしいので、電波をとって昼寝をするために太郎平小屋にお散歩に行こうとしたら熊が登山道を通せんぼしていたために行けなかった。一体何頭いるんだ。仕方なく騒がしいテント場に帰ったら井上が「俺たちのしなきゃいけないことはbear」と言うが、私はbearの意味が分からず、井上疲れてるねぇと思ったが、馬鹿なのは私で、bearって耐えるって意味なんだよってことを井上に教えてもらった。教養って大事! テント場の方や警備隊の方が薬師峠にテント泊予定の人を太郎平小屋か薬師岳山荘で宿泊できるように取り計らってくれたが、金のない我々は薬師峠テント泊以外に選択肢がなかった。周囲のテントがどんどん撤収していき残り5張りくらいになったところで、太郎平小屋の前にテントを張れるように取り計らってくださり、薬師峠にテントを張っていた人の大半は太郎平小屋の前にテントを移した。

薬師岳でかい

 

 

8/20 赤木沢は風呂

天気:晴れのち雨

0415 太郎平小屋

0545 薬師沢小屋から入渓

0710 赤木沢出会い

0940 中俣乗越より黒部五郎岳側2510m付近登山道合流

1200 太郎平小屋

近くに人の食べ物の味を知ってしまった熊がいるので薬師沢小屋まで喋りながら歩く。今思うと、そんな熊相手には音なんか出しても意味がない。落合が何か言うと井上がそこから連想される曲を流し始めるのでありがたいが、どれも落合の知らない曲なので井上の独壇場になってしまう。私の歌う曲は井上も知っているので、畜生1人で歌えない。途中、ダサい会話をしていたら急に前から登山者4人が現れて、熊に遭うより焦ったりした。薬師沢小屋に着いたらハーネスを履いた大集団がいたのでチェッと思ったが、沢登りの人たちではなかった。赤木沢出会いまでは黒部川本流を遡っていく。途中、何回か淵や滝が出てきて左岸から高巻きしたりした。どこかの高巻き中に井上が足首を痛めてしまい、かなり歩きづらそうだったので応急処置した。1時間くらい歩いてナイアガラの滝が見えたら赤木沢に入る。いくつも滝がでてきたが、どれもとても綺麗で、赤木沢大滝以外は容易に登れるので楽しい。今までに経験したことのない綺麗な沢なので景色を堪能しながらのんびり進む。赤木沢大滝は左岸から巻いた。いつかこういう滝を登れるようになりたい。その後にでてくる二又で究極の選択をミスってしまい、最後はハイマツの藪漕ぎをして稜線に出た。二又、その手前で地図を見て現在地確認をするべきだったが、実際は藪漕ぎ中にずっと地図とにらめっこしていた(ガスっていたので)。おかげで中俣乗越に出たかったが、遠く離れたところに出てしまった。よくこんな感じで非合理的なことしちゃうんですよね。その後はのんびりと穏やかな稜線を2時間くらい進んで太郎平小屋に帰った。赤木沢遡行は体を洗えるし、景色が素晴らしいので縦走中の疲れを癒やす良い休養になった。

ナイアガラの滝

こんなに綺麗な沢は初めてなので2人とも上機嫌

なんとか山椒魚

もう丹沢の沢には行けね〜(1年井上)

大滝は登れない



 

8/21 今年の北アはセミとバッタが多い

天気:曇りのち晴れ

0515 太郎平小屋

0910 雲の平小屋

1140 三俣山荘

この日は薬師沢小屋まで下ってから雲の平に登り返して三俣山荘までである。昨日はスイスイ下った薬師沢小屋までの下りも重荷を背負っているとそうもいかない。雲の平までの約700mの登りはずっと暗い。登りきったあたりで木道が出てきてありがたかった。ただ、濡れた木道は時々スリップするが、ガッシャがクッションになるのでそんなスリップも楽しい。雲の平は景色が良すぎて爽快である。景色のいい場所で井上とヨセミテかビショップに行く約束をした。ヤバいヤバい、今のままじゃクライミング弱すぎる。井上に見えている山の名前を教えながら進む。黒部川原頭に降りたあたりで落合が不意に鼻血を出して辺りに血が散乱し、まずい光景になった。15分くらい川で鼻を洗ってから三俣山荘に向けて登り返した。鼻血を出したことがないという井上は過度に心配してくれた。優しい。

 

 

8/22 スマホを落としただけなのに 必死の藪漕ぎが待ってました

天気:晴れのち曇り

0455 三俣山荘

0550 鷲羽岳

0700 水晶小屋

0915 野口五郎岳

1150 烏帽子小屋

井上はこの日に新穂高温泉に下山した。三俣山荘で井上と別れてからは親不知まで1人でのんびり歩いた。三俣山荘から見える北鎌が素敵。鷲羽岳への登りで硫黄尾根も見えてくる。そして、まず鷲羽岳。昨年の合宿では何も見えなかったので全方位が見渡せてとても嬉しい。水晶小屋で大休止する。こんなに早い時間に烏帽子小屋に着くとは思っていなかったので水晶岳ピストンすればよかった。水晶小屋からは1時間ほど岩稜帯を歩いてから野口五郎岳まで砂礫歩きである。野口五郎岳からは巨岩帯になり、時々フットジャムが決まって足を抜くのが面倒くさかった。烏帽子小屋直前でバランスを崩した際にチャックの空いたポケットからスマホが落ちて藪斜面に消えていった。全力で探して、幸運なことに10分くらいで見つけた。

 

8/23 1回針ノ木沢に降りたほうが稜線を歩くより早いだなんて

天気:晴れ

0500 烏帽子小屋

0720 不動岳

0915 船窪岳第二ピーク

1015 船窪岳

1115 船窪小屋テント場

この日は船窪小屋か、時間と天気を見て針ノ木小屋まで進む予定である。前日は草という草がなかったので雨具の下を履かずに出発したが、この日は最初から登山道に草が張り出してきて、ものの一瞬で靴も靴下も絞れるくらいまで濡らしてしまった。南沢山で同じく親不知まで縦走している方と会う。その方は船窪岳から一度針ノ木沢に下ってから針ノ木小屋に登り返すらしい。そちらの方がコースタイムが短い。その手があったか 不動岳でオコジョの尻尾を見た。先ほどの方曰く、雲の平にもオコジョがいっぱいいるそうだ。不動岳から船窪岳第二ピークまでは数カ所崩落地のトラバースがあるが、基本的には崩落していない稜線の左側を歩く。船窪岳第二ピークから船窪岳まではザレ場のトラバースやナイフリッジなど所々緊張する。この日は暑かったのと、濡れた靴と靴下を乾かすタスクがあったため、かなり早いが船窪小屋テント場までとした。

船窪のあたりは独特な雰囲気

 

8/24 水水しい熊糞を見るとゾッとしますよね

天気:曇りのち雨

0315 船窪小屋テント場

0505 北葛岳

0725 蓮華岳

0905 針ノ木岳

1400 種池山荘 1430

1505 爺ヶ岳

1555 冷池山荘

七倉岳の下りでヘッドライトの電池残量が少なくなりあまり照らせなくなったが、電池を代えるのも億劫なのでそのまま進んだが、道が悪く危なかった。北葛岳まで急登をこなすと眼前に蓮華の大下りが見えてかっこいい。蓮華岳まで行けばこれから通る後立山連峰が見渡せると思ったが、後立方面は曇っていた。針ノ木サーキットはアップダウンこそあるもののどれも小さな上り下りなのでサーキットのようにスイスイ進む。鳴沢岳からの下りで熊が出たとのことで新越山荘まで大人数で進む。熊には会いたくないので鼻歌を歌いながら歩いていたら急に後ろから足音が聞こえてきて熊かとビビったが、県のパトロールの方だった。種池山荘まで1時間くらいその方と話しながら進む。あんなに余裕な表情で「クマさん可愛いよね〜」なんて言われると返す言葉も見つからない。実際、薬師峠で見たクマさんは可愛かったけど。高山植物を色々教えてもらった。ヒマワリみたいなのはウサギギク。鼻血を出した時に鼻に詰めた草はコバイケイソウ。見事なブルーベリーだと思っていたのがサンカヨウ。あと、ユキザサ。すみません、色々教えていただいたのに4つしか覚えられませんでした。結局その方には種池山荘でクリームパンと柿の種をいただき、色々お世話になった。種池山荘で天気を確認したら、この日は17時くらいまでは小雨でもちそうなこと、翌日は昼前から崩れそうだったので、翌日の五竜山荘の予約をしてこの日は冷池山荘まで進むことにした。とはいえ、雷には遭いたくないので爺ヶ岳まで走る。中峰まで30分、重荷を背負っていることを考慮すればまぁいいんじゃないかな。走って疲れたのでしばらく休んで冷池山荘まで下った。



8/25 みんなで後立のテント場予約 料金巻き上げシステムを掻い潜る方法を考えましょう

天気:曇り

0415 冷池山荘

0550 鹿島槍ヶ岳南峰

0635 鹿島槍ヶ岳北峰

0730 キレット小屋

1100 五竜岳

1200 五竜山荘

この日は五竜山荘までコースタイム8時間半の予定だったので、12時くらいに五竜山荘に着けるようにのんびり進む。布引山で日の出を拝んだあと鹿島槍に向けて登る。吊尾根は意外と切れている。せっかくなので北峰に行ってからキレットに向けて下る。北峰から東尾根を眺めようと思って少し東尾根の方向に入っていったら急にハエが集り始めた。野糞スポットなのだろう。八峰キレット越えは、重荷だと足元の悪いクライムダウンはあるが、落ちたら死ぬようなところには鎖があるし、さして悪くはない。キレット小屋から1時間ほど進んだコルで冷池山荘にテント泊していた3人衆(落合と、船窪で会った親不知まで縦走している方と、もう1)のうちの1人に会った。この方は後立を縦走しており、五竜山荘と白馬頂上宿舎でコーラをいただいた。そこから1時間進んだコルで冷池山荘に泊まっていた3人衆のうちの1人の、親不知まで縦走している方と会い、話を聞いたら令和で最初のデナリ日本人登頂者らしい。そこから1時間ほどで五竜岳に着くのだが、途中で150日間かけて映像を撮りながら100名山制覇に挑戦している方に抜かされた。話を聞いたら撮った映像はyoutubeに公開するらしい。タケチャンネルだそうです。五竜岳に来ると人がたくさんいる。時間的に唐松岳まで延ばしたかったが煩わしい後立のテント場予約システム(無予約には倍の値段を課し、無断キャンセルにはキャンセル料4000円を課す。個人情報を巻き上げて逃げられないようにする姑息なシステム)のせいで五竜山荘止まりとなってしまった。テントを張って食糧を見てみたらあと9日分ある。ここからどう刻んでも9日間にはならないのでこの日から1日で2日分の食糧を消費していくことに決定したが、実際にはきっかり2日分ではなく、毎日1.52.2日分くらいを消費していたので縦走の最後の方には何が残っているのかよく分からなくなってしまった。

鹿島槍から北の方向



8/26 朝日まで行きたかった

天気:雨のち晴れ

0315 五竜山荘

0535 唐松岳

0730 不帰キレット

0905 天狗山荘

0955 白馬鑓ヶ岳

1045 杓子岳

1155 白馬頂上宿舎

今日が終わればいよいよこの山行の終わりが見えてくる。3時過ぎに五竜山荘を出発したが、30分くらいしたら雨が降ってきた。風も強くなってきて顔面に雨が当たって痛い。唐松岳に着いたタイミングでちょうど止んだ。天気のおかげで静かな後立を堪能できる。景色がないから堪能できなかったかも。不帰の難所はガスって下が見えなかったので全く怖さを感じなかった。不帰のコルでまたも親不知まで縦走している方と会い、話を聞いたら数年間山小屋に勤めた経験があり、昨今のテント場値上げといった諸悪の根源は槍ヶ岳山荘グループなのだとか色々教えてもらった。天狗の大下りを登って天狗山荘に着いたら水が無料だったのでフル充水して先に進む。白馬鑓ヶ岳まで行くと登山者でごった返していた。白馬鑓ヶ岳からの下りで反対側から大学生のサークルっぽい4人組が登ってきて、みんな辛そうだった。そんなに辛い顔をされるとこっちまで辛くなっちゃうからやめてくれよ。今日もこのまま行くと午前中のうちに白馬岳頂上宿舎に着いてしまいそうだったので杓子岳に寄ってから白馬岳頂上宿舎に行った。時間を考えてこの日中に朝日小屋まで行きたかったが、この日も後立のテント場予約システムにやられて白馬頂上宿舎止まりとなってしまった。


8/27 天気が悪いとやる気が起きませんでした(怠慢)

天気:雨のち晴れ

0330 白馬頂上宿舎

0400 白馬岳

0430 白馬頂上宿舎

終日停滞

天気が悪いとやる気が起こらない。30分くらい二度寝してからとりあえず出発した。白馬岳まで行ったところで、翌2日間が晴れ予報なのにこんな暴風雨の中歩いている意味がわからなくなって呆気なく引き返した。白馬岳頂上宿舎に戻って、暴風雨の中再度テントを張り直すのに30分かかった。この日はとにかく食べて食糧を減らした。



8/28 もう創作料理はやりません 

天気:晴れ

0400 白馬岳頂上宿舎

0430 白馬岳

0630 雪倉岳

0900 朝日岳

1425 栂海山荘

テントから出ると、昨日1日待って本当によかったと思えるくらいの綺麗な星たちが出迎えてくれた。相変わらず風は強いので寒いが、景色が綺麗だとやる気が出るので颯爽と進む。三国境のあたりで日の出を拝んで分岐を朝日岳の方に進む。雪倉岳から下ると、水平動分岐まで湿地帯を通る。そこから急登を越えると朝日岳である。ここでもまだ劔が見守ってくれている。13時までに栂海山荘につければそのまま親不知まで進もうと思っていたが、朝日岳の下りが手ごわかった。何せ暑いので進まず、吹上のコルの少し先で今日中の下山を諦めた。なのでそこからはチンタラ進む。いい景色なのだが、ずっと変わらないので飽きてくる。従って、この日の晩御飯を考えながら進むことにした。黒岩平で5リットルの水を確保してから2時間くらい歩いて栂海山荘に着いた。この日は結局残った食材でチャーハンを作ることにした。油は棒ラーメンの油、卵は卵スープの素、肉は大豆ミート、野菜がないのでほうれん草ポタージュの素からほうれん草だけを抜いた。結果は、チャーハンを食べているはずなのに棒ラーメンの味がしたり卵スープの味がしたり散々だった。あと、ザックの奥から2週間くらい前に剣沢で東海大学山岳部さんにいただいたプロテインの粉が出てきたのでフルグラと一緒に美味しくいただきました。

水平道分岐。森林限界に飽きていたのでこういう景色になってきて嬉しい。



朝日岳を越すといよいよ海が近い

8/29 下山して最初にやったのは進振りの結果確認でした。結果は聞かないでください。

天気:曇りのち晴れ

0445 栂海山荘

0600 菊石山

0725 白鳥山

0845 坂田峠

0950 二本松峠

1055 親不知海岸

日が昇る前の涼しい時間にできるだけ進みたかったが、前日栂海山荘の手前でマムシを2匹見たので明るくなってから出発することにした。夏合宿入山時にはずっしりと肩に食い込んでいたガッシャも、ここ三日間くらいの食トレの甲斐もあってか今や空気しか入ってないんじゃないかと思えるくらいになってしまった。出発して20分くらいで太陽が昇る。今日もよろしくお願いしますというお願いも今日で最後だ。なんだか嬉しいような寂しいような感慨に浸る。しばらくは展望のない樹林帯を黙々と進むが、白鳥小屋の展望台に登ると眼下に日本海が広がっていた。日本海を目にするのは昨日の朝日岳以来だ。確実に近づいている。やはり、ゴールが見えると気合が入る。暑さなんてものともせずに二本松峠まではいいペースでひたすら下ったが、そこから登山道にクモの巣が張り出すようになり厄介だった。大体はへその高さなのだが、稀に顔面パンチを食らう。それでもひたすら下って、入道山を越えてからは再び日本海がよく見えるようになった。逸る気持ちを抑えられず、走って下る。国道に出てから更に下って、最後の長い階段を降りている時には開放感があった。嗚呼幸せ。

 

あとちょっと。1番興奮している。


今夏は2週間くらいの縦走を2本行うことができました。今思っていることとしては、「つまらない」縦走になってしまったということ。来夏は「面白い」縦走をしたい。どういうことかというと、北ア縦走・南ア縦走といったパッケージ化された山行ではなく、2ヶ月の夏休みをフル活用して、場所はどこでもいいから沢を泳いだり藪を漕いだり岩に張り付いたりしながら山々を縦横無尽に繋げる縦走をしたい。というわけで歩荷がんばります