このブログを検索

2025年11月25日火曜日

20251121-25_飯豊主稜線縦走

 20251121-25_飯豊主稜線縦走

メンバー:L沼田(4,写真)、落合(2)、井上(1)

世間は駒場祭、我々は飯豊に行ってきました。ラッセルと、藪と、それらのハイブリットで思うように進めなかったりはしましたが、雪上訓練や冬山シーズンに向けての良い準備になったと思います。いい下見ができたので、今度は厳冬期に飯豊とじっくり向き合いたいです。


コースタイム
11/21
0900 
東俣林道ゲート
1040 
尾根取り付き
1240 
カモス峰
1500 幕営地(千本峰手前 標高1050 m付近)

11/22
0715 
幕営地発
1310 
朳差岳
1315 
朳刺小屋 1345
1730 
頼母木小屋

11/23
0600 
頼母木小屋
0635 
頼母木山
0740 
地神山
0920 
門内岳
1030 
北俣岳
1205 
烏帽子岳
1505 
御西避難小屋

11/24
0545 
御西小屋
0710 
飯豊山
0925 
切合小屋
1205 
三国避難小屋

11/25
0540 
三国避難小屋
0555 
松ノ木尾根分岐
0855 1150 m 
松ノ木尾根屈曲点
1115 
タカツコ沢出会い
1400 
いいでのゆ


11/21
天気:雨
記録:落合

直近1週間で2度の冬型が決まり、酸ヶ湯温泉では1日に1 m以上積もったというニュースも聞いていたので、積雪量に関して期待をもって臨んだ。11月に入ったくらいの時点では標高800 mくらいから積雪が出てくるだろうという想定だったが、予想に反して尾根取り付き(標高350 m)から積雪があった。ちなみに、尾根取り付きまでの2時間くらいの林道歩きに3回軽めの渡渉があり、沼田さんはそこで靴を濡らした。取り付きから少し登り、標高450 mで井上に現在位置確認させたら750 mと返ってきておぉぉ?と思ったりしたが、井上の読図は今山行の終わりの方にはよくなっていったはず。その後、標高750 mでワカンを履いた。以降はずっと膝下程度のズボり。途中、テンに追われた白ウサギが兎の形相で駆け下って行った。テンは我々に慄いて引き返し、白ウサギは助かった。カモス峰手前辺りから眠気を訴える井上のペースが上がらなくなったので井上の食糧やらを上級生で持ったが、それでもペースが上がらない。低体温症を疑ったので、食べさせてから先頭を歩かせてポカポカにさせる手を打ったりしたが、少しの間は元気になっても直ぐに元に戻ってしまう。次第に日没までに朳差小屋に着けないことが確実になってきたため、標高1050 mの細尾根を整地してテントを張った。この日は、標高の低い所ではずっと雨だったので全身びしょ濡れだったが、防水袋に入れた寝袋が使う前から濡れていたことには初日からだいぶ萎えさせられた。

 

11/22

天気:雪のち晴れ

記録:落合

夜の間、雨のような雪が降り続き、全てのものを濡れさせた。テントにも積もっていたので、夜間何回かテントの内側から払い落としたりしたが、朝になって見てみたら雪でテントが変形していた。この日は前日の遅れを取り戻すべく門内小屋を目指したが、湿雪の重雪ラッセルに阻まれて頼母木小屋までしか行けなかった。

この日は最初から膝上~腰下程度のラッセルが続くし、よくズボる。まだ積雪量が多いわけではないので、灌木漕ぎとのハイブリットラッセルを食らう。朳差岳の手前でクラストするまでラッセルが続いた。前朳差岳で気がついたら出発から5時間経っていたが、その間ラッセルに夢中になりすぎて何も口に入れていなかったら、見事にハンガーノックを食らった。朳差小屋でシャリバテに気がついてから色々食べたが、一度シャリバテると中々回復しないので面倒くさくても食べるようにする。

朳差岳からもクラストして快適に歩けると思われたが、太陽で温められた雪が腐っていたりして、こちらも股までズボるような所が続き、思うように進めなかった。この日は自分がシャリバテして、終盤、先頭でのズボり役に回る回数が少なくなってしまい迷惑をかけてしまった。まぁ、2年生にもなって何やっているんだというレベルの話ではあるので猛省である。食べずに無限に行動できるのが1番いいんですけどね。


沼田が先行して小屋を目指していたときに撮影した後続の2人.スマホカメラのズーム機能は滅多に使わなかったが,なかなか侮れない.

日没と小屋着の時間勝負になった.沼田はぎりぎりヘッデンなしで到着した.


11/23 day 3

天気:曇り,晴れ    稜線上は風強い

記録:沼田

 天気は5日間のうちで最もよかったが,相変わらず風が強い.稜線歩きになり一番おいしい日になったと思う.風が強く標高も上がってきたからか,クラストしているところが多くなり,夏道CTくらいで歩けるようになってきた.さくさく進んで計画に追いついた.このペースで歩ければ4日目で下山できるかという期待が高まっていた.落合のペミカン味噌鍋がうまい.

 自分の担当食料はペミカンカレーとパスタだったが,家に余っていた何味かわからない粉末調味料とプチっと鍋 1つを使いたくてカレー粉を持参しなかったが,味が薄くラード味のペミカンになってしまった.おいしくないわけではないが,今一つ物足りない感じ.次回はカレーにしよう.パスタは冬に作ると茹でるときの温度が低くなるせいか,触感がモチモチしなくてイマイチ.袋麺と焼きそばのがおいしく食べられるかも.


稜線がずっと続いていてすばらしい.奥に御西岳避難小屋が見える.

大日岳の裏に沈む太陽


11/24 day 4

天気:曇り,晴れ    稜線上は風強い

記録:沼田

 日の出前に出発したが霧が深くて視界が悪かった.卸西岳を越えてから下手な軌跡になってしまった.12:00までに三国岳に着ければ今日中に下山しようと話していたが,井上のペースが徐々に落ち,他2人のワカンが壊れるというトラブル発生.到着は12:03という具合だったが,片足ワカンだとペースが落ちるのでここで幕営に変更.何が起こるかわからんな.ワカンの紐が切れた(縫い目がの糸がちぎれた)ので,捨て縄で代用して使えるようにした.結局計画通りの5日間か.夕飯の焼きそばがうまい.


暗くて霧で視界は数mしかない…尾根が広いので羅針盤とGPSを頼りに歩くが,何も見ないと真っすぐ歩くのが意外と難しい.

本山行最高峰の飯豊山頂

雪庇はないので怖くはない


11/25 day 5

天気:雪・雨のち曇り

記録:井上

 飯豊主脈縦走は一年生の僕にとっては、とても辛く、そして困難を伴うものだった。そんな縦走もこの日で終わり。あとは下山だけということで、少し安心したような気持ちで泊地を出発した。三国岳の南東尾根は最上部から謎の低木が、凄い密度で生えており、厳冬期では考えられない灌木漕ぎが沢に降りきるまでずっっと続き、僕たちは(特に僕)木に荷物が引っかかって動けなくなったり、木に足を取られて転んだりしまくった。それまでの四日間で、雪に足を取られまくったこともあり、雪に辟易していたが、この日のせいで雪は荷物に引っかからないだけマシだなんて考えるようになってしまった。尾根下りも中盤を過ぎると、アドバイスをもらいながら読図の練習をするということで僕が先頭を任された。バリエーションルート上で読図をするのは初めてであったが、先輩たちに色々教えていただいたことでそこそこ読図が上達した感じがした(先輩に感謝)。僕が見事正解の尾根を引き当て沢に降りた後は、沢を2回ほど渡渉し、登山道に移動した。そこまででも中々に疲れていたが、渡渉中に滑って全身を濡らしてしまったのは、僕の精神を完全にへし折った(泣きっ面に蜂)。渡渉前に、沢に落ちれば、温泉がよりいっそう気持ちよくなるねなどと落合さんと会話していたのが悪かったのだろうか、、、(1級フラグ建築士)。登山道はそこそこに、車道に出た僕たちは、3人それぞれが自分のペースで歩きはじめた。序盤は3人で歩調を揃えていたものの、靴擦れがひどく、体力も残っていなかった僕は、最終的には一番後ろで一人トボトボあるいた。足が死ぬほど痛かった僕は、1000歩をすぎたらキリのいいところで少し休むという自分ルールを打ち立て、頑張って歩いたものの、2回目の休憩が終わった頃には足の痛みが悪化しほとんど歩けなくなった。僕が歩けなくなった場所は、最終目的地であるいいでの湯から歩いて5分くらいの所だったらしく、今考えるとそこまで歩けば良かった。そんな場所でかたつむりの様な歩みで進んでいた僕だったが、そこに早めについていた沼田さんが車で迎えに来てくれた。割とガチ目に絶望していたところに来てくれたこともあり、これからも沼田さんを崇めていきたいなとおもった。今山行の結論としては、靴擦れで足が大変なことになったり、初めての雪山で疲労困憊になったり、極めつけには、帰りの道中や温泉で手の上をマダニに這われるというかなり過酷な山行ではあったが、初めて尽くしで刺激たっぷりで最高の山行であったとさせていただきたい。




下山は南東尾根から.猛烈な藪植生で,厳冬期の積雪が多い時期しかおすすめできない.実際,次写真の沢出合まで5時間くらいかかった.

正解の尾根を引いて沢出合に降りられた




 

2025年11月10日月曜日

20251109-10_日光表連山(&日光国立公園マウンテンランニング大会)

  20251109-10_日光表連山(&日光国立公園マウンテンランニング大会)

メンバー:沼田(4・CL)、鈴木(2・SL・記録)、落合(2)、今野(1)

1日目:曇り時々雨
6:40 霧降高原
12:00 女峰山
14:30 小真名子山
15:50 大真名子山
16:55 志津小屋

2日目:曇りのち晴れ
03:30 志津小屋
05:40 男体山
07:55 中禅寺温泉バス停

昨年同様、今年も日本山岳会学生部を通じて日光国立公園マウンテンランニング大会のお誘いがあり、今年はボランティアのお誘いもあった。そこで、ウルトラコースのランナーとして主将の河本さんが、ボランティアとして鈴木が参加することになった。ウルトラのボランティアは日曜朝に現地解散とのことで、せっかくなら日光の山も登ってみようと思い、今回の日光表連山縦走を計画した。沼田さんと今野、そしてランナーで参加する予定だったのに申込を忘れていた落合の参加が決まった。

1日目
最近、若者の人気が高まっているという霧降高原。ボランティアとしてP3駐車場に誘導したであろう方々とすれ違い、小丸山展望台へ1,445段の階段を登る。登り切る頃には雲行きが怪しくなり、ポツポツと降りはじめる。分岐で丸山に行くかという話になり、最初はやや消極的な雰囲気があったものの、せっかくだしということで丸山へ。ランナーの妨げにならないよう配慮しながら登っていくと、ふと前を行くランナーに見覚えがあることに気づく。

「河本さん!?」

なんと、我々のすぐ前を登っていたのは主将の河本さんだった。前日のスタート前は、時間的に霧降で会うのは厳しいかもという話をしていただけに、まさかの邂逅に感激。そのまま一緒に丸山山頂まで同行し、素早く集合写真を撮って送り出した。丸山に寄って良かった。

スタート前にパシャリ。
邂逅。この後、13時間12分でフィニッシュします。
河本さんふうに言えば、「次は貴方の挑戦をお待ちしています🫵🫵🫵」

縦走メンバーは一時の興奮冷めやらぬまま分岐に戻り、女峰山方面へ。今回は比較的易しい部類の山行だったので、読図もみっちりやろうとあらかじめ目星をつけておいたポイントで今野に読図クイズを出した。結果はご想像のとおり。分かりやすいところだったのですが、読図山行を計画したほうが良いかもしれません。

「ここどこでしょう!」
「………」
〜数分経過〜
「ここっすか?」
「ん、どこ?」
「ここです」
「全然違う😞」
今後の成長に期待です。

続いて、事前に入手した情報を頼りに、一里ヶ曽根独標先の分岐のモアイ像と十一面観音像なるものにも立ち寄った。記録にあったアプローチが微妙だと思われたので、登れそうなモアイ像側の岩から取りつくことにし、沼田さんが先陣を切ったが、登った先は何もない。やはり十一面観音像側の岩を登らないといけなかったようだ。今回は我々のリサーチ不足。時間切れで泣く泣く十一面観音像は断念した。

女峰山の先の馬の背渡りは、意外にあっさりしており、積雪状況次第ではとアイゼンも装備に加えていたが、結局使わなかった。山頂では、赤薙あたりから体調が悪いという今野の荷物を沼田さんと落合が分担し、ペースも調整することにした。十一面観音像にも寄ったことで、この時点で当初の行動計画に遅れが生じており、太郎山はひとまず明日に持ち越しとなった。

確かに馬の背みたいです。

その後はアップダウンの繰り返し。落ち着いていた雨風もしだいに強まり、富士見峠では徳川家の財宝にまつわる小ネタを話しそびれたり、大真名子山では北西70m先にあるという三角点も行きそびれたりとしだいに余裕がなくなっていく。日没までに志津小屋にたどりつけるか気を揉む展開となり、最終的に日没ギリギリで小屋に到着したときは全身びしょびしょだった。幸い、小屋にはほかの利用客がいなかったので、濡れた衣服を干しながらのびのびと使わせていただいた。

食事は各自が持ってくる形としたが、夕食がフルグラ数百グラムと抹茶オレだけという鈴木を見かねた沼田さんが、尾西のご飯を恵んでくださった(決してせびってはおりません)。落合も最初はフルグラとココアだけだったので、やはり同じことを考えるもんなんだなと嬉しかったが、食べ終わったと思ったらカレーメシなんてものを出してきたので寂寥を感じるのであった。

明日18時には本郷に戻ってウォール講習会の準備をしなければならなかったため、太郎山はカットすることを決め、この日は就寝。

2日目
某部員、何度目の靴紐の待ち時間か。3時30分を少々オーバーして小屋を出発。もちろん、小屋は来たときよりも美しく。

男体山については、事前事後の電話で二荒山神社中宮祠に色々と確認した上で、記述を省略。

男体山へは倒木を巻いたり直登を避けたりで踏み跡が様々なところを登る。稜線に出ると風が強く、男体山の山頂に着いたところでさすがに手袋を着用した。山頂では、毎時00分の画像がウェブサイトで公開されるということで、休憩がてら20分ほど時間を潰した。太郎山神社に足を伸ばしたりあれこれ見たりしているとあっという間に6時00分が近づき、急いで準備。59分から01分までカメラ前で待機し、無事、山頂カメラ「大国乃目」に収まった。鈴木以外の恥ずかしがり屋さんはポーズを取らなかったよう。

下山は男体山の開門時間である午前8時目標だったが、途中で何人かの登山者とすれ違う。おかしいなと思って調べ直すと開門は午前6時でした。すみません。
当初は中宮祠方面へ下山し、その後華厳の滝観光も兼ねて中宮寺温泉バス停まで歩く予定だったが、一度林道に出て再び登山道に合流する2合目で、このまま林道を進めば中宮寺温泉バス停に抜けることが分かり、急遽方向転換。中宮祠を通っていないので登拝料も納める機会はなかったわけですが、どうなんでしょう。グレーと言われればグレーなので、今度中宮祠から登る機会にしっかり奉納します。九十九の林道は楽しい藪でショートカットでき、8時5分のバスにギリギリセーフ。華厳の滝は潔く諦めて東武日光駅へ戻った。駅からは沼田さんがバスで自車の回収に向かい、帰京。ウォール講習会も無事に間に合い、河本さんの健闘を讃えた。

今回行けなかった太郎山、そして計画段階のリサーチで新たに知った日光修験三峯五禅道について詳しく調べ、また機会があれば山行に行きたいと思います。




2025年11月5日水曜日

20251105_アイゼン登攀訓練


 20251105_アイゼン登攀訓練

メンバー:落合(2・L)、鈴木(2)、孫(1)、今野(1・記録)

天気:晴れ

0830 広沢寺の岩場
1600 解散

なぜかメンバーの4人が11/5()が空いているということだったので、平日がら空きの広沢寺でアイゼン登攀訓練を実施した。0720あたりに発車する七沢行きのバスに鈴木さんがいなかったのでまさかの寝坊を疑ったが、広沢寺温泉入口のバス停にはしっかりと姿があった。聞けば交通費の節約のため駅から歩いてきたらしい(帰りも駅まで歩いていた)。ちなみに丹沢方面にいくための節約術としては小田急が発売している丹沢・大山フリーきっぷがあるのでこちらをおすすめしたい(実は相鉄線内の駅でも購入できる)。岩場に到着してからしばらくはもっぱらアイゼン・アックスを用いた登攀の練習に励んだ。アイゼンの前爪を岩にかける感覚を得ることができれば思ったよりも簡単に登れる。それよりも難しかったのはやはり手袋をつけながらの登攀であった。ホールドが素手よりはるかに掴みづらくアックス無しでは非常に苦労する。アイゼン登攀の後は、支点構築、マルチピッチのフォローのビレイ、1/3システムへの理解を深めた(これは実践あるのみで、映像記憶をすべし)。最後の約1時間は背負い懸垂の実践をして終了。自身は55㎏程の落合さんを背負って安定して歩くことができず力不足を実感した。


難しい方のルートに挑戦する落合さん


1/3システムの実践。80kg以上ある孫さんでも容易に持ち上げることができた。