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2025年7月12日土曜日

20250712_越沢バットレス

  20250712_越沢バットレス

メンバー:沼田(L・4)、落合(2)、鈴木(2・記録)、井上(1・記録)、今野(1)

1日目:晴れ一時小雨
8:30 鳩ノ巣駅
8:40 越沢バットレス
19:00 鳩ノ巣駅

落合・鈴木班(記録:鈴木)

昨日の三つ峠から継続し、他3名と鳩ノ巣駅で合流して岩場へ向かった。沼田さん以外は初めての越沢だったが、岩場までの道のりは結構危ない箇所もあった。

昨日同様、落合・鈴木ペアで登ることにする。夏合宿ではつるべ式で登攀することも予定しているため、越沢では基本的につるべで登ることにした。まず、第2スラブルートを登ることにする。1p目は鈴木がリード。なかなか良いホールドがなく苦戦したが、無事に終了点の木の近くまで到着。2p目は落合がリード。しかし、ルート取りに苦戦し、一度違う難しいルートを登ろうとしてしまう。時間がかかるも無事に正規ルートを登る。最後の3p目はスラブだったが、鈴木は高度感のあるスラブに萎縮し、落合にリードを譲った。このとき、1本目を終えた沼田さんが既に第2スラブルート2p目の終了点についており、我々は時間がかかりすぎていることを痛感した。3p目もルート取りにやや時間がかかるも無事トップアウト。一段下にあった懸垂下降支点を使い、2pで下に降りた。

その後、休憩を挟み、最初に沼田班が登った右ルート右の滑り台を登る。1p目は鈴木がリード、見た目以上に難しかったが、ホールドはしっかりあるので問題なかった。2p目は落合がリード。トポでは3pで沼田さんからは2pでトップアウトできるといわれていたが、途中で落合がピッチを切ったので3p目も落合がリードで登った。最後の滑り台は第2スラブほど怖くはない。2pの懸垂下降で戻る。ロープを畳んでいるときに同じところから懸垂下降していたパーティが確保器を落としていた。その後、私も少し探したが、見つけられなかった。

荷物を置いた地点に戻り、沼田班が登っている様子を遠く眺める。難しいルートだったようでかなり待つことになり、「もう一本登れたかもね」と話しつつ3人の帰りを待った。

天狗の翼



沼田・井上・今野班(記録:井上)

朝は、鳩ノ巣駅で待ち合わせをした。沼田と井上は、電車内で合流したのだが、鳩ノ巣駅についてもボタンを押さないとドアが開かないことに気付かず、見事に乗り過ごした。すぐに気づいたので良かったが、遠出の山行でこれがおこらないようにしたい。当日は、右の滑り台、第2スラブ、第1スラブの3ルートを登りました。ここから各ルートについて書いていきたいと思うのですが、合宿前に書いて用意してあった文章をすべて無くしてしまったので、内容が薄くなっていたら申し訳ないです。まず、1本目の右の滑り台は、リード沼田、ビレイ井上で登りました。結構簡単なルートではありましたが、ビレイの練習になりましたし、沼田さんが突っ込んでいったハング部分はスリルを感じて楽しかったです。本題の滑り台部分は、とっかかりの少ないスラブになっていて、初心者はここで詰んでしまうだろうなと思いました。次に、2本目の第2スラブも、リード沼田、ビレイ井上で登りました。ルート自体は難しくなかったのですが、掛け声無しのビレイワークがとても難しく、コミュニケーションエラーをしまくったので、この後下で沼田と声無しビレイワークのおさらいをしました。これからも、声無しビレイの動きを上達させるべく精進したいと思います。最後に3本目の、第1スラブルートですが、このルートが一番過酷でした。リード沼田、ビレイ今野で登りました。3ルート目で、腕が披露しているにも関わらず、かなりツルツルした箇所でレイバックのムーブが求められ、手汗が噴き出しました。沼田はエイドを使って登ったらしいのですが、私はエイドのやり方が分からず、レイバック部分を直登することをあきらめ右にトラバースしました。結局その後の詰めの部分で、私もエイドをしたのですが、危うく指が折れてしまうような場所に指を突っ込んでしまったのでこれからは気を付けたいです。このルートでビレイをしていた今野は、終了点の回収を忘れて後日回収する羽目になったので、これからは気を付けてほしいです。

2025年7月11日金曜日

250711_三つ峠

 20250711_三つ峠

メンバー:落合(L・2)、鈴木(2・記録)

天気:曇り一時小雨
8:00 駐車場
9:00 三つ峠ゲレンデ到着 池口岳登山口
17:00 三つ峠山頂
17:50 駐車場 

深夜、免許を取得したばかりの落合が運転する車で三つ峠へ向かった。

到着した頃には雨がポツポツと降っており、予報では雨は止む見通しであったため、出発時間を8時に変更し、それまで仮眠をとることにした。

起きた頃には雨を止んでおり、1時間ほど登って岩場に到着した。まずは一般ルートから登り、ルートをつないで天狗の踊り場まで登ることにする。リードは全て落合が行った。最終的には一般ルート中央→No.10.5クラック→No.15クラック→No.14クラック→No.18クラックと登ったのだが、No.10.5クラックが一番難しかったと思う。今の我々にはクラックとして利用できないようなクラックで、リードはA0で突破していた。


生憎の天気

その後、休憩を挟んで中央カンテを登ることにする。リードは全て鈴木が行った。休憩中は外国人2名がそばを通って行き、挨拶を交わした。平日だったこともあり、この2人以外とはすれ違わなかったのだが、2人とも笑顔で挨拶してくれた。そのようなちょっぴり嬉しいこともあった休憩を終え、中央カンテに取り付こうとするが、一度登ってみたところは、2ピッチ目がⅣ+を明らかに超える難しさで、これは違うということになり、一度懸垂下降して戻った。さて正しい取付きはどこかと探しているうちに、先ほどの外国人2名が戻ってきて、爽やかな笑顔で来た道を帰っていった。「三つ峠に来るなんて日本通だよね」なんてことを落合と話しているうちにようやくそれっぽい取り付きを見つけた。1p目はいかにもⅢという感じの登りだったので、これは中央カンテに間違いないと確信し、順調に登っていった。懸垂下降を終えた頃にはもう1本登ることができる時間ではあったが、どこに登るか話し合っているうちに雨が降りはじめ、やる気も削がれていったので、結局山頂にだけ登って下山した。明日は越沢バットレスのため鳩ノ巣駅方面へ車を向かわせ、この日は終了。


三つ峠山頂から。こんな天気でもうっすらと富士山が見えました。


2025年7月6日日曜日

20250704-06_リンチョウ沢

 20250704-06_リンチョウ沢

メンバー:尾高(OB・L)沼田(4)、落合(2)、鈴木(2・記録)

1日目:晴れ一時小雨
7:40 駐車場所
8:20 池口岳登山口
12:40 池口岳北峰
13:15 池口岳南峰
16:00 千頭山
17:50 柴沢小屋

2日目:晴れ
3:00 起床
7:00 ダルマ沢出合
8:00 第1ゴルジュ
10:00 ヒスイの滝(ヒカゲ沢大滝)
11:00 第2ゴルジュ
(15:30出稜線)
16:10 光岳
17:00 幕営地

3日目:晴れ
3:30 起床
5:40 加加森山
6:50 池口岳-加加森山JCT
10:00 池口岳登山口
10:30 駐車場所

本州で唯一の原生自然環境保全地域に指定されている大井川源流部。その奥に秘められたリンチョウ沢の存在を、私は部室の書棚にあった日本登山体系(1982)の一頁で初めて知った。「瀬と苔と岩が調和した美しい沢」という文言に惹かれ、部会で仲間を募ったところ、以前からその存在を知っていた先輩・同期の3人が手を挙げてくれた。こうして計画は動き出したのだが、社会人より圧倒的に自由時間がある大学生にとっても、時間は常に課題となる。各自の授業や試験に追われ、確保できた日程はわずか3日間。調べた限りの記録は、柴沢小屋からの遡行記録だとどれも3泊4日以上。実施は困難かと思われたが、ダルマ沢を下降する場合や左岸林道、易老渡から入山する場合など複数の行動パターンを検討し、最終的には2泊3日の行程を立てた。また、原生自然環境保全地域内に立ち入る以上、あらかじめ各種法令を調べつつ、活動による自然への影響を最大限考慮した計画の作成に努めた。

1日目
高まる期待を胸に池口岳登山口へ車で向かうが、山行に試練はつきものである。まず、ガソリンの補給を怠ったことで、午前7時のガソリンスタンド開店を待たざるを得なくなった。本来は午前4時入山の予定。既に3時間の遅れである。そして、さらに追い打ちをかけるように、補給を終えて登山口へ向かっている途中で対向車に呼び止められた。聞けば先の道で土砂崩れが起き、普通車では通行困難だという。崩壊箇所の手前に駐車スペースがあるとの助言に従い、そこから歩くことになった。ちなみに土砂崩れは、確かに普通車が通行するのは難しかったかもしれないが、思っていたより小規模なものだった。結局、予定より4時間遅れての入山となった。


土砂崩れ。これでも被害はあります。

池口岳南峰までの登山道は明瞭で、歩みは順調。しかし、南峰から千頭山方面へ向かう2212ピークでは、下りる尾根を1本間違えたり、どこまで下りるかの判断が難しかったりして手こずってしまった。目印にアルミ鍋があるとのことだったが、巻き始めるのが早すぎたのか、見つけられなかった。それでも日没前に柴沢小屋に到着。小屋への吊り橋は今にも崩れそうで、きっと吊り橋効果はてきめんだろう。吊り橋を無事に渡り切って安心したのも束の間、落合がヒルに噛まれている。ヒル対策グッズを持ってきていないというので鈴木の虫除けスプレーで撃退したが、ヒルに怯えながら就寝することになった。


入山が遅れても倒木シーソーは見逃しません。

千頭山、果たして再び来る機会があるのか。

2日目
この日からいよいよ原生自然環境保全地域に入ることになる。1日で遡行する必要があるが、懸念はゴルジュと源頭部である。緊張を抱えつつ、夜明け前に出発した。我々以外に人の気配はなく、澄んだ空気に豊かに流れる沢。思わず「これがリンチョウ沢か!」と叫びたくなるほどの衝動が込み上げてくる。手つかずの自然が広がるこの場所は、まさに秘境といえるだろう。


ドキドキワクワク

リンチョウ滝手前の滝は、左岸からフリーで登れるのだが、鈴木が滝を登って左側のスラブ状の岩にへ移る際、落口近くの石に足を置いたところ、水流に足をすくわれドボン。下にいた沼田さんと尾高さんに笑われてしまった。しかし、明日は我が身、明日を待つことなく続いて登った沼田さんも同様にドボンしていた。その後のリンチョウ滝も左岸からフリーで突破し、ダルマ沢出合まで良いペースで進む。第1ゴルジュ入口には一本の倒木がかかっており、それも利用しつつ右壁から登った。続く5m滝は、様々なアプローチを検討するも、過去の記録にあったとおり、沼田さんが左壁にアブミを設置して登る。安全地帯に移る最後のところが微妙で、勇気を振り絞って飛び移った(その後、沼田さんがエイドを設置し、後続はこれを利用。)。5m滝を登ってすぐ先の6m滝は、尾高さんが左岸から突破。滝の上は先ほど水流に足をすくわれたところに似ていたが、なるべくそのまま右壁をへつり、ことなきを得る。そんなこんなで最初の入口から2時間弱かかってしまったが、第1ゴルジュを巻かずに突破できた達成感は大きかった。


リンチョウ滝

ダルマ沢出合


第1ゴルジュ入口


沼田さんがアブミを設置して突破!!とカッコよかったのですが、
ここで携帯電話を落としたようです… 発見された方はご連絡を。


次は尾高さんが左岸から

第1ゴルジュを抜けるとしばらく静かな沢歩きが続く。時折鹿の鳴き声が響き、我々に「早く出ていけ」といっているようにも感じられる。歓迎されていると思うのは傲慢だろうか。あれこれ考えながらもしばらく歩き、第2ゴルジュ手前の分岐を右進してヒスイの滝(ヒカゲ沢大滝)へ。ヒスイの滝という名称自体は、日本登山体系に記述がなく、100m級の滝としか書かれていない。インターネット上の記録を渉猟しているうちに知ったのだが、何でも幻の滝ともいわれる名瀑のようだ。前衛滝左岸の草付き部を登り、いざ、お目にかかると、1条から3条に分かれる水流が地を打つ姿が圧巻で、しばらく見惚れるばかりであった。


迫力満点

荷物をデポした分岐に戻り、進んだ懸案の第2ゴルジュは、記録では右岸を巻くことになっていた。しかし、第1ゴルジュを登り、時間的にもまだ余裕があったので一度挑戦してみることになった。最初の滝は難なく通過できたが、次の5m滝が難しく、右岸の斜面は土が脆くて落ちたり、左岸の岩場も苦戦したため、結局最初に通過した滝をクライムダウンし、記録どおり右岸から巻くことになった。巻道は時間もかからず、すぐに沢に復帰できた。


第2ゴルジュ

第2ゴルジュを終えてからは徐々に水量も減っていき、やがてガレ場となる。第三の廊下は、日本登山体系にも記述があったが、あまり記憶には残っていないので、問題なく通過できるだろう。適当なところで水を確保し、いよいよ源頭部へ。計画では、2100m付近の分岐を右に進み、岩崖脇から2500m付近の稜線へ出る予定だったが、少し登ってみると急な登りでやや危ないように思えたため、そのまま直進して2350m付近の稜線に出ることになった。順調だったのは最初のみで、樹林帯に入ってからは、ロープを出すほどではないが落ちたら終わりのヒヤヒヤする箇所が続いたが、無事に登山道に復帰することができた。復帰したところから光岳山頂をピストン。しっかり光石にも寄っていった。まだ日没まで時間があったため、計画どおり加加森山周辺で幕営するつもりだったが、既に疲労で足も重かったため、少し進んだところで幕営することになった(手元で調べ得る限りでは、南アルプス国立公園の区域外である。)。


変なところに出たときの絶望感。でも景色は良かった。


光岳山頂

3日目
疲れも取れ、あっという間に加加森山への分岐に到着した。せっかくなので山頂へ寄って下山する。JCTからは1日目と同じ道。行きでは誰一人出会わなかったが、この日は5人の登山者とすれ違う。他の登山者と出会ったことで、一気に人間社会に引き戻されるような、何というか複雑な安心感を感じた。2日前の土砂崩れは既に復旧作業が済んでおり、往路で目を付けていた崖から流れおちる水で喉を潤し、駐車場所に戻った。その後、鈴木の初ヒル被害が発覚するといった災難もあったが、温泉はほっ湯アップル、ご飯は三河家というところに寄った。そして、免許取り立ての落合による運転という最後の核心試練?を無事に乗り越え、帰京した。


光岳山頂にあった看板。
池口岳北峰にあったものは環境省設置でした。