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2014年6月28日土曜日

2014.06.28 一ノ倉沢烏帽子沢奥壁南稜登攀

記録:白石薫平

2014年6月28日
谷川岳ロープウェイ土合口駅5:35 -- 5:55マチガ沢出合 -- 6:15一ノ倉沢出合6:30 -- 7:05テールリッジ末端 -- 7:55南稜テラス8:30 -- 10:40馬の背リッジ下(懸垂下降開始地点)11:00 -- 12:00南稜テラス12:10 -- 13:25テールリッジ末端 -- 14:20一ノ倉沢出合14:35 -- 15:30谷川岳ロープウェイ土合口駅

一ノ倉沢は日本を代表する岩場であり、いつかは登りたいと思っていた。昨年の同様の時期には、当時の2年生が衝立岩中央稜へ行っており、私もこの時期に行こうと考えた。リーダーは飯泉さんに、5月初旬の新人歓迎山行のVSAでお願いした。その後、山の会総会やメールでやり取りをし、山行の計画を形作った。谷川岳で岩登りをする場合は群馬県の条例で計画書を早めに出さなければならないが、我々は10日前に必要情報を満たした計画書を送り、4日ほどして認印が押されたものが返送されてきた。

27日21時30分、駒場に集合し、飯泉さんの車で水上に向かった。天候は心配だったが、大きく崩れることはないだろうから、とりあえず行こうという合意があった。関越を飛ばして水上ICに日付が変わる直前に到着した。そして谷川岳ロープウェイの駐車場に車を止め、建物内通路の一番奥で寝た。

翌日は4時30分に起床した。各自朝飯を食べ、装備を持って出発した。登山指導センターで計画書を出し、歩き始めた。一ノ倉沢出合までの間に、2頭のカモシカと20匹以上の猿の群れを見た。赤ちゃん猿もたくさんいた。

一ノ倉沢出合に到着したら、ヘルメットとハーネスを着けた。一ノ倉沢に入るとすぐに雪渓に乗ったが、滝が出来ていためすぐに右岸の山道に乗った。しばらくはこの道を歩き、10分ほどして再び雪渓に乗った。初めはゆるい登りであり、硬い雪でも労せず登れたが、テールリッジ末端付近になると傾斜が出て滑りやすく難儀した。しかし登りではアイゼンを着けなかった。テールリッジ末端でアイゼンとピッケルをデポした。テールリッジは恐ろしいと聞いていたが、私も例に漏れず恐怖を感じた。7時20分頃、テールリッジ下部の露岩帯に到着した。ここにはフィックスロープが張ってあるが、澤田と私は初めての通過であるから、ロープを出した。リードの飯泉さんを私が確保した。この露岩帯の上の樹林帯を抜けると、衝立岩が間近に迫って見えた。中央稜の取り付きを通り過ぎ、南稜テラスに向かって烏帽子沢のトラバースに入った。変形チムニーの取り付きを過ぎた辺りで、先頭を歩いていた澤田が足を滑らせた。すぐには止まらず、2mほど下のスプーンカップ状の所で止まった。烏帽子沢はロープも出せず、勢い良く滑り出したら本当に止まらないので、肝を冷やした。そこから慎重に南稜テラスを目指した。



テールリッジを登る澤田

南稜テラスで飯を食べた。衝立岩中央稜には3パーティーが取り付いているのが見えた。中央カンテや変形チムニーには人影が見えなかったが、岩をよく観察できた。この時点では雨は降っていなかった。先行パーティーは見えなかったが、後で1パーティーとすれ違った。我々が登り始めてから、後ろから1パーティーが登ってきた。

1ピッチ目はリードの飯泉さんを澤田が確保した。初めはカンテを登り、その後右にトラバースしてチムニーを登った。登り始めは難易度は高くないはずだが、とても緊張した。チムニーは出だしが難しく、ザックを岩に押し当てながら腕力で強引に登った。

2ピッチ目もリードの飯泉さんを澤田が確保した。ホールドがたくさんあるフェイスを登り、草付の下に出た。しっかりとした支点があった。ここで先行の4人パーティーとすれ違った。1人が上部で滑り落ちて、足を折ったという。

3ピッチ目もリードの飯泉さんを澤田が確保した。初めは草付で、何ということもないが、最後に一段だけ岩を上がった。澤田は草付の道を見失って藪を漕いだ。3ピッチ目を登っているとき雷のような音が聞こえたが、一度しか鳴らず、前兆の音も聞こえなかったので岩が崩れた音ではないかというのが澤田の意見である。

4ピッチ目はリードの飯泉さんを私が確保した。6ルンゼ側に回りこみ、フェイス登りとなった。初めは落ち着いて登れたが、終了点近くになると岩がヌルヌルで、とても怖かった。雲に包まれ、視界が良くなかった。滝沢第3スラブの全容を見てみたいと思っていたので、私はとても落胆した。



6ルンゼは霧の中

5ピッチ目はリードの飯泉さんを澤田が確保した。ヌルヌルの岩が続いていたため、6ルンゼ側から馬の背リッジに上がるところで飯泉さんは懸垂下降を開始した。飯泉さんの言葉を借りると「滑ってブッ飛びそうで恐ろしかった」ためだ。先行パーティーが足を折ったという情報も判断に影響したと、後で聞いた。この懸垂下降では草付の上まで下りた。

懸垂下降2ピッチ目は草付の下まで下りた。その次のピッチで登り1ピッチ目のチムニーの上まで下り、また次のピッチで南稜テラスに帰った。この時点で小雨が降っていた。

靴を履き替え、下山を再開した。濡れた烏帽子沢の下りはこの山行の核心と言っても良いほど恐ろしく、登りで澤田が滑り落ちた所はとくに慎重に歩いた。テールリッジに戻ってからは雨は止んだが、岩が滑りやすいのは相変わらずで、私は天候を恨んだ。ここではロープも出せず、とても恐ろしかった。テールリッジ下部の露岩帯ではロープを出し、50mの懸垂下降をした。懸垂下降のなんと楽なことか!テールリッジ末端の雪渓に降り立つところはクライムダウンで、細かいスタンスを拾うのに苦労した。

雪渓に乗る前はアイゼンを履くか迷ったが、雪が硬かったため履くことにした。飯泉さんはアプローチシューズで下りていた。ここから下はもう安心だ。雪渓の後は山道を5分ほど歩き、河原に下りて一ノ倉沢出合に着いた。3人で握手を交わして無事を実感した。トイレを済ませ、車道を歩いてロープウェイの駅まで戻った。途中、谷川岳山岳資料館に立ち寄り、渡辺兵力先輩のピッケルや小川登喜男先輩の展示を見た。初めての一ノ倉沢の登攀を終え、大OBの偉大な足跡に触れ、満ち足りた気分になったのは澤田も同じはずだ。

駅のベンチで下山報告を済ませ、鈴森の湯に立ち寄った。その後、飯泉さんに晩飯をご馳走になってしまい、大変恐縮した。関越を通って駒場に戻ったのは22時頃だった。

今回の山行は夏山合宿の前に本チャンの感覚を思い出す良い経験になった。2年になったのだから夏山の八ツ峰など軽く行けるだろうという驕りがあったが、本チャンにはやはり怖さがあった。同じ難易度の岩でもゲレンデより難しく感じるのである。澤田と話した結果、この原因は取り付きまでに精神的・体力的に疲労していること、本チャンの経験不足、天候判断の問題、心構えの問題などが挙げられると考えた。そして、澤田や私の目標は、ゲレンデやジムでフリークライミングやボルダリングをやることにあるのではなく、天候やルートなどの不確定性が強く、総合力が求められるアルパインにある関係上、本チャンルートに行く機会を増やすべきだという結論に至った。その手段として、ゲレンデやジムでフリーやボルダリングの経験を積む必要もある。そうすればリードも出来るようになり、今回の様な、飯泉さんにおんぶに抱っこという山行にもならないはずだ。

また今回、一ノ倉沢は東京からのアプローチが良い岩場だということを認識した。その利点を活かすべく今回の登り残しを絡めて、再び訪れたいと思う。

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