このブログを検索

2022年3月12日土曜日

20220312,13_上越国境越えスキー

 20220312,13_上越国境越えスキー

 

メンバー:L(OB)、土田(3)、降矢(2)

 

3/12

9:30 土合駅出発

15:30 白毛門山頂

17:30 笠ヶ岳

 

天気:晴れ

 

 

 この山行のルートは朝日岳からゴボウ沢を滑走し、七ツ小屋山へ登り返し、蓬峠から蓬沢を滑走して上越国境を越えるルートである。私は今シーズン初めてのスキー山行であった。日程の都合上前夜泊ができず、始発で土合駅に乗り込む。谷川周辺でスキーをするとき恒例の、スキーを手に持って土合駅の階段を上がる苦行を無心でこなし、準備をしていたらいつの間にか9時半になっていた。土合駅から白毛門登山口に向かい板を担いで白毛門を目指して登り始める。この日は気温が高く、雪が緩んでしまっていたのでトレースを踏んでも腰ぐらいまで踏み抜いてしまうことが多く、ストレスを溜めながら進む。それに加え、スキー板と宿泊装備が肩にのしかかりスピードが全然上がらず、白毛門山頂に到着するのになんと6時間もかかってしまった。


白毛門までが遠い


 

 当初の予定では1日目は朝日岳周辺で幕営するはずであったが白毛門山頂時点で朝日岳まで1日目に向かうのは困難であることがなんとなく予想された。しかしせっかくスキー板を担いできたので山頂から笠ヶ岳への登りが始まるまでの少しの下りはスキーで滑ることにした。バックカントリースキーが久しぶりすぎて急でもない斜面で転んでしまったりもしたが、登り返し地点まで楽しく滑る。笠ヶ岳への登り返しは、最初はそれほど急ではないものの最後あたりは急であったので担いだ方が楽そうではあった。途中休憩を挟まずに歩き続けたのでだんだんエネルギーが失われ、失速した。笠ヶ岳山頂に到着したのが17時半ですっかり夕焼けの時間であった。山頂から少し降りたところに避難小屋があり、その周辺でテントを貼っている人がいた。その人に話を聞いたところ避難小屋に泊まろうとしたが中でネズミが暴れまわっていたのでテントを張ったということであった。中を確認したがネズミの姿は確認できず、この日は風も強く、テントを張るのも手間であったので避難小屋に宿泊することにした。避難小屋自体は3人で宿泊する分には広く、ドアの立て付けが微妙なところ以外は快適であった。就寝直前にネズミを発見したがそこまで大きいものではなく、床下に逃げてしまったのでどうすることもできずそのまま寝た。

 

3/13

 

5:30 出発

7:15 朝日岳

9:00 登り返し地点

11:50 七ツ小屋山

13:30 蓬峠周辺

15:25 土樽駅

 

天気:曇り

 

 

1日目の歩行速度からして早めに出発した方が良さそうということで5時半出発。ここも板を担いで無心で登る。避難小屋から見えた近くのピークが朝日岳だと勘違いしていて、そのピークに到着したら本当のピークが結構先に見えて、気分が沈みつつも文句を言ってもどうしようもないので歩き続ける。山頂に到着したのが7時過ぎで、やや風が強いものの板を履いていよいよゴボウ沢の滑走に移る。上部はガタガタの氷でとてもターンができるような状態ではなかったので横滑りで滑走できそうな斜面へ移動する。ある程度移動すると程よい斜面が広がり、快適に滑走できる。



ゴボウ沢上部


 

しばらく滑走して一本目の送電線を超えた直後でシールを装着して登り返しを始める。斜面の緩そうなところを登ったつもりであったが随分清水峠の方向に行き過ぎてしまい、急斜面のトラバースを強いられ、結局少し降って斜面の緩そうなところから再び登る。我々は七ツ小屋山方向に直接登るルート取りをしたが、このルートでは稜線直下でかなり斜度が急な場所を登る羽目になるので山頂から少し離れ稜線に合流するのが最適のように感じた。山頂直下の急登は板を担いで登ることにした。



登り返しでのトラバース


 

七ツ小屋山から蓬峠までの稜線は下り基調ではあるが所々登りがある。頑張ってスケーティングで登るようにしたが時間がかかりそうなところは板を脱いで歩いた。


七ツ小屋山から蓬峠方面


 

蓬峠周辺のピークから滑走を始める。最初は尾根沿いを滑るが、いい感じで雪が緩んでいて非常に滑りやすく感じた。しかし湿雪ということもあり雪がロール状に固まったものが沢に堆積していて沢に合流するあたりはなかなか滑りにくかった。そこを抜けると沢沿いにひたすら緩い斜面を滑り続ける。しばらくすると登山道に合流するがそこからは多少の登りがある箇所が続き、そうスムーズにはいかない。さらに進むと土樽PA付近に出るがそこからの林道も思ったより長く除雪点に到着した頃には電車の時刻がかなり迫っていた。頑張って駅に向かったが電車に間に合わず1時間半ほど電車を待つことになった。ちなみに駅の下り線ホームに直結するようなトレースがあり、そこを辿ればもう少し時間短縮ができた可能性があった。

 

泊まりのスキー山行は(ほぼ)初めてあったが、担ぎの時間が長くなかなか辛い場面が多かったが得られたものも多かったように感じる。今後も様々な場所の斜面を滑走してみたい。

2022年2月23日水曜日

20220223-26_八ヶ岳登攀

 20220223-26_八ヶ岳登攀

メンバー:新垣(4)、土田(3)、降矢(2)


20220223八ヶ岳

 

2/23入山(記録:降矢)

天気:晴れ

1030美濃戸口発

1400行者小屋

本来2/20に小久保(今回はいない)、土田、降矢は入山する計画だった。というか、途中まで行って悪天のせいで引き返してきた。そんなわけで複雑な心境での入山であった。今回は天候に恵まれ、汗をかきながら歩くこととなった。行者小屋の水場は埋まっていて水が手に入らなかった。今回の合宿の夕飯は全てぺミカンだったのだが、この日は重たく感じた。

 

2/24阿弥陀岳北稜(記録:降矢)

天気:晴れ

0615行者小屋

0730阿弥陀北稜

0940阿弥陀岳山頂

1100行者小屋

私にとっては初めての冬期登攀であった。1ピッチ目は土田リード。土田さんはすいすい登っていく。私はフォローであったが、恐怖のせいかあまりスピードが出なかった。バイルで登るというよりは、手袋越しでも持てるホールドを探して無理矢理登る、といった感じになってしまった。2ピッチ目は降矢リード。手袋をつけての支点構築にかなり苦戦した。また、途中でバイルを持ち替えようとして口にくわえた際に舌が金属部分に触れてしまい張り付いた。慌ててべりッと剥がしたが2~3日違和感が残った。

ロープの長さが微妙だったので中途半端なところでピッチを切ってしまった。その後安定したところで休憩していると下から人が登ってきた。我々が登った岩稜の東から登ってきたらしい。そこから歩いて登って山頂についた。


阿弥陀岳山頂



下山も気が抜けなかった。雪崩のリスクが低そうなことから文三郎道まで行かず帰ることができた。

行者小屋に着いてから時間があったのでアイスクライミングをしようということになった。赤岳鉱泉を通りジョウゴ沢へ。以前新垣さんが登ったという滝は雪に埋もれていたのでさらに上に行った。見事な滝であったが我々の技術では登れなさそうだし、トップロープをかけるような支点も見当たらない。スクリューを差し込んでみたりバイルを打ち込んでみたりして帰った。赤岳鉱泉のアイスキャンデーを利用するにはシングルロープが必要とのことだが持っておらず私のアイスクライミング初体験は延期となった。



赤岳主稜

6:15   行者小屋出発

7:30   赤岳主稜取り付き

12:00  登攀終了

14:00  行者小屋帰幕

 

土田と降矢がリードを行なった。降矢は前日の阿弥陀北陵に続き人生2回目の冬期登攀のリードであった。このルートの特徴としては陽が当たらないこと、難しくはないがルートが長いことが挙げられる。風もあまり強くないためゆっくり登れば良いと考えていたが、取り付きの時点で例年とルートの様子が異なっていることに気がついた。今年は例年よりも雪が多く1ピッチ目のチムニーが雪で埋まってしまっていた。1ピッチ目はチムニーをバックアンドフットで突破すれば簡単に通過できるが今回はチョックストーンを登るか大きなピナクルを左から巻く必要があった。リードの土田の判断で後者のルートを選択したがかなり難しく感じた。リードだとロープがピナクルに巻き付くためロープがかなり重くなったそうだ。その後は順調に高度を上げていくも、上部の岩壁のリードに降矢がかなりてこずっていた。経験の浅い冬期登攀でかつリードという条件はかなり緊張したシーンだったと思うが無事に突破してくれた。土田は全体を通して高速登攀だった。稜線上に出ると風が強かったため、赤岳山頂で写真を撮り少し休憩したのちすぐに下山した。帰りは地蔵尾根を経由し1時間30分ほどで行者小屋に着いた。ペミカンで鍋を作り、日本酒と共にいただき眠りに着いた。


登山道から外れる場所






20220226_中山尾根

 

天候:晴れ

 

 

6:00 行者小屋出発

8:00 登攀開始

11:50 登攀終了

13:00 行者小屋到着

13:50 下山開始

15:40 美濃戸口

 

 

最終日は中山尾根に向かう。行者小屋から中山乗越まで歩き、中山乗越から2日前に確認した尾根を上がるトレースを辿るが数十メートル進んだところでトレースが消滅。ここ数日は降雪がなかったので誰も行っていないことになる。ここ2、3日は相当天気が良かったので不思議なことである。とりあえずラッセルで前進する。もともと踏み跡があったと考えられる場所を踏めばそこまで沈まないが、踏み外すと一気に腰ぐらいまで沈んでしまう。交代しながらラッセルを進め、途中までは順調であったが森林限界に近づき、斜度が急になる箇所は相当沈み込み、なかなか苦しかった。下部岩壁直下の細いリッジ直前でロープを出して登攀の準備を行う。準備の途中で後続のパーティがやってきた。細いリッジは雪庇を踏み抜かないように、かつ沈み込まないようなルートをたどり、下部岩壁の取り付きに到着。そのまますぐに登攀を開始する。

 

 1p(+)は土田リードで登る。綺麗なボルトがたくさん打ってあるが、やはりボルトを辿ると難しく、結局1つ目のボルトにクリップした後、下までクライムダウンして右側から凹角を登った。凹角の後は、下部岩壁の頂上下を左側に回り込み、左面のスラブのようなところをのぼり、雪稜に出る。この辺りでロープがいっぱいになってしまったので灌木で支点を構築し、ピッチを切る。

 

 23p目は雪稜歩きのピッチ。ロープを結び変えて新垣さんが先頭で途中までコンテで進むが、まさかのここでもラッセルであり、大変そうであった。雪稜途中で先頭を交代して上部岩壁の取り付きに到着する。

 

 4p(+)はせっかくの機会というここで私がリードさせてもらった。上部岩壁の取り付きから右側の凹状をのぼり、最後にハングを乗越がある。最初の方はボルトのやや右側をのぼり、ハングの手前に至る。ハングの直前にボルトが2つあり、ここでピッチを切るということもできそうである。ハング部分はハーケンがいっぱい打ってあり、さらに凹角で体を岩に挟みながら登れるので、それなりの安心感があった。足を安定させながら登ればそれほど腕力を使用しなくても登れた。ハングの直後に支点がありそこでピッチを切った。


4P目


 

 5p目は岩混じりの雪稜。リードを新垣さんに交代する。この辺りから風が強くなり、コールがなかなか聞こえないようである。トランシーバーは混線していて使い物にならなかった。このピッチは特に確保しなくても良さそうな場所であった。

 

 6p()はフェースを登るピッチ。そのまま新垣さんにリードしてもらう。岩を数十メートル登るとピナクルの基部に出る。このまま右側にトラバースすると一般道に合流して登攀は終了。ロープをたたみ、稜線を少し歩いて地蔵尾根から行者小屋に下降。

 

 

2022年2月10日木曜日

20220210_冬合宿(崩沢尾根~蝶ヶ岳)

 2022/2/10~2/13 冬合宿(崩沢尾根〜蝶ヶ岳)

 

メンバー:小久保(4)、土田(3)、降矢(2)、孫(1)

 

2/10

 

天気:雪

 

4:30 林道ゲート

8:30 林道途中の駐車場

9:00 尾根取り付き

16:00 1550m付近で幕営

 

 

 崩沢尾根は蝶ヶ岳から大滝山の稜線上から三股まで伸びる尾根で、かつては登山道があったそうだ。長塀尾根ほど一般的ではないが綺麗な形をした尾根であったので今年度の冬合宿の行き先とした。当初はこの尾根から蝶ヶ岳まで上がり、常念岳まで縦走して東尾根を下るという計画をしていたが直前で参加できるメンバーがかなり減ってしまったので尾根往復の計画に変更することになった。

 

 29日に終電で豊科駅に向かう。豊科駅でステーションビバーク(というよりただの野宿)をする。4時にタクシーを予約していたが3時半くらいに来てくれたのであわてて準備を済ませて烏川林道ゲートまで移動。林道は「ほりでーゆ〜四季の郷」近くのゲートが冬季閉鎖されていてそこから10km弱歩くことになる。林道は大平原までは踏み跡豊富で、最も危惧していた林道ラッセルは免れた。大平原を超えたあたりから踏み跡が急に消滅し、膝下くらいのラッセルとなる。三股手前の第二駐車場で林道を外れて、増水注意の看板の横の鉄パイプでできた手すり沿いに作業道らしきところを高低差2030mくらい下ると沢にかかった吊り橋が現れる。思ったより立派な吊り橋で底板こそ外されていたが枠を歩けば全くもって簡単に沢を安全に渡ることができた。



第二駐車場に入る




第二駐車場の看板の右側の道を下る


 

駐車場から橋までの道






 

 沢を渡って少しだけ作業道を歩いて尾根の凸になった部分に移動して、そこでワカンを装着していよいよ尾根の登りに突入する。尾根下部は急傾斜で、積雪量も1mあるかないかぐらいであったので、踏み抜きや雪から出てきた薮で足を滑らせてしまい先頭のラッセルに加えて後続もなかなか大変であった。特に尾根末端の傾斜は急であり、1時間で70~80m程度しか登れなかった。1年生が雪道を歩き慣れていないということもありラッセルの速度に追いついてこないので3人でとにかくラッセルを回すことにする。流石に登るスピードが遅すぎるので休憩は交代でとり常に誰かがラッセルしている状態にする。また斜度が急で荷物を背負ってラッセルすることが困難な箇所は空身でラッセルすることにした。空身ラッセルの欠点は2番目も実質的にラッセルをしなければならないところである。当初は1日目で2000m付近のところで幕営する予定であったが、そこまで行くのは到底不可能であることはすでにわかりきっていたので1550m付近の少し平らなところをこの日の目標にしてとにかく進む。結局そこに到着したのは16時を過ぎた頃であった。しかし1550m付近は結構平らでテントが張れる場所に苦労することはなかった。

 

 雪が降りしきる中急いでテントを設営する。テントに入った後、水作りを始めたわけだがここで深刻な問題が浮上する。孫の行動食がほとんど尽きかけてしまっていたのである。本人曰く「行動食を買いに行く時間がなく、家にあったものをかき集めた。」ということであったが、前日豊科駅付近のコンビニにいった時に買えばよかった話であり、つまりはどれくらいの行動食が必要であるのかがわかっていなかったということになる。私自身かつて行動食がつきかけたことがありその反省から行動食は必ずカロリーを計算して持っていくようにしていた。カロリーを計算して持っていくということを1年生に伝えていなかったことは我々の失態である。そんなことを言っても仕方ないので水を作りながらどうすればいいのかを考える。他のメンバーの行動食も他人に融通できるほどあるわけでもない。そうなると予備食のα米を使って行動食を作るという手法しかなくなるが、どうやらカロリー的に一日分の行動食を作るには1回分の食事の量(120g×4人分)が必要であり、予備日をどれほど使うか見通せない中で予備食をほぼ全て使ってしまうのはどうかという話になった。撤退が頭をよぎる中、思いがけないことがおこった。なんと予備食を余分に持ってきていることが判明したのである。食料計画では予備日3日分の予備食のうち、α米120gは夜食分で朝食の予備食は棒ラーメンということになっていたが、棒ラーメンに加えα米を朝食分も持ってきており余剰が120g×4人×3日分発生することになった。これで一応問題は解決ということになった。無駄な食料を担いだ先輩には申し訳なかったが結果的に我々を救う結果となった。

 

 

 

2/11

 

天気:晴れのち雪

 

6:30 出発

11:35 2003m地点

15:30 2260m付近で幕営

 

 2日目は3日目に登頂するためにとにかく高度をあげる日であった。6時に出発する予定であったが朝に行動食と紅茶を作ったので出発時間が遅れた。天気は前日の雪と打って変わって晴れであった。体感では昨日よりかは雪がしまっていて登りやすく感じたが、急斜面や踏み抜きがちょくちょく出てきて苦労は続いた。1700mを超えたあたりで少しひらけた場所があり常念岳の美しい姿を拝むことができたがしばらくして徐々に上部からガスに覆われいつの間にか自分たちがいる場所もガスに覆われてしまっていた。1800mあたりから急登を超えると1900m付近の平らな場所が出てくる。これを少し登ると2003m地点に達する。ここからは緩やかな登りでラッセルも楽になる。尾根上を無心で歩き続け15:30頃に2260mあたりに平らな場所があったのでそこで幕営することにした。



急登のラッセル


 

ちらっと見える常念




 

2/12

 

天気:薄曇り

 

6:20 出発

9:10 稜線合流

11:00 蝶ヶ岳山頂

14:00 幕営地撤収

18:30 大平原

 

 この日は山頂に向かう予定の日である。6:20分に出発。尾根上は木々が密集しており尾根幅が小さい箇所は少し歩きにくい。また尾根上は木が密集しているせいで踏み抜きが多く、少し脇の斜面を歩いた方が楽であった。また雪庇はほとんどなかった。3時間弱歩くと登山道のある稜線に合流する。稜線といってもただの樹林帯なので全く展望がない上にどこが登山道であるのかがなかなかわかりにくい。尾根と稜線の合流点はピークになっておりそこから蝶ヶ岳方向へはコルに向けて100m弱下ることになる。コルからは山頂に向けてひたすら登る。山頂から100mくらいになると木々の背丈も低くなってきて展望も開けてくるが槍穂高連峰は長塀尾根によって見えない。山頂直下になると雪もだんだん硬くなってくるがアイゼンを履かなければならないほど硬いわけではなく、ワカンのまま歩行する。そして11時に山頂到着。天気は快晴とはならなかったが展望は素晴らしく、東は安曇野の街並み、西は槍穂高連峰がはっきりと見えた。写真を撮っていると長塀尾根方向から3人パーティが上がってきたので写真を撮ってもらう。本山行で唯一、他パーティを見た瞬間であった。頂上は驚くほど風がなく、去年の9月に来た時の爆風とは打って変わって穏やかな山頂でのひとときを楽しむことができた。




尾根上から朝日


目指す山頂が見える


山頂まであと少し


山頂!




 

 この日は翌日天気が下り坂であることが予想されていたのでテントを撤収してできるだけ下山したいと考えていたので、さっさと下山を開始する。稜線と尾根の合流点のピークはトラバースすれば巻けそうであったので巻くことにしたがトラバースが踏み抜き地獄で先頭の私はかなり消耗してしまったが後続の3人の消耗はあまりなさそうであった。13時過ぎに幕営地に到着。テントを撤収して14時に出発。1時間程度かけて2003m地点に到着。そこからさらに1時間程度の下りで1日目に幕営した1550m地点に到着する。このペースだとあと1時間で尾根取り付きまで降りれそうだという話になりこの日に尾根取り付きまで下山することにする。1550m地点から40分程度で尾根取り付きに到着。7時間かけて登った場所が40分で下れるとはなんとも虚しいものである。尾根末端で遂にワカンともお別れ。橋を渡った後の林道までの登り返しが地味に鬱陶しいが気合いで登る。第二駐車場に到着したが、林道を2~3km降りればトイレと屋根のある休憩所のある地点(大平原という場所)があったことを思い出してそこまで行っちゃおうということになった。結局林道を降りることになったが、さすがに1年生のペースが落ちてきたので空身で歩いてもらって荷物は後で回収することにした。大平原に到着した時には18時を回っていた。屋根のある休憩所のようなところにテントを無事張ることができ、気温も高かったので野外炊事をしようかと思ったがだんだん寒くなってきたので、結局テントの中で炊事を行なった。その日は着ている服を入念に乾かしたので就寝時刻は22:30を過ぎていた。




日没直前


 

 

2/13

 

天気:曇り

 

8:50 出発

10:40 烏川林道ゲート

 

 この日の起床時刻は7時。外は既に明るく、だらだらと朝食の準備を行う。その後のんびりテントの撤収を行い出発。無心で林道を歩いて全行程は終了。林道ゲートのすぐ近くには、ほりでーゆ〜四季の郷という立派な温泉施設があり、そこで入浴と食事をとりタクシーで豊科駅に向かった。




先輩は最後まで元気でした


 

 崩沢尾根はアプローチの林道10kmは面倒であるが、渡渉が安全に行える、尾根上にナイフリッジ等の危険箇所が一切ない、要所要所にテント設営が可能な平らな場所がある、尾根全てが樹林帯であるので風をもろに受けることが少ない(樹林帯であることの欠点としては展望が一切ない)、という点を考えると冬季蝶ヶ岳のルートとしての潜在価値はかなりあるのではないかと感じた。

2022年1月15日土曜日

20220115-0116_雪洞山行(仙ノ倉北尾根)

 20220115-0116_雪洞山行(仙ノ倉北尾根)

メンバー:L土田(3)、降矢(2、記録)

1/15

08:30土樽

09:20ラッセル開始(林道)

14:00幕営地、雪洞造り開始

1/16

06:00幕営地発

09:20尾根取り付き

10:50下山開始

12:30幕営地

14:30土樽

 

3連休を活かして雪洞およびラッセルの経験を積もうということで計画された。当初はあと3人ほど参加するはずであったがなぜか2人だけになってしまった。人数が減ったことに加えて前日あたりに大雪が降るということで厳しいラッセルが予想されたため、登頂はあきらめ半ばトレーニングのつもりで行った。

実際、行程の大半が林道かつ往路はラッセルという心身ともに鍛えられる山行であった。

 

1/15曇り

新幹線で越後湯沢まで行き、乗り換えて土樽で降りた。新幹線の快適さを知ってしまった。

土樽の駅舎を出るとかなり雪が積もっていた。道を間違えたりしながら除雪された道を歩いていく。分かれ道になったところまで来ると我々の行く道には雪が高く積もっている。本当にここを行くのか、と逡巡した。土田さんが迂回できるか見てくるというので、私はその道を偵察した。結局ここを行こうとなって、ワカンをつけて出発する。腰くらいまで埋まる。

車道から入ってすぐ。腰まで埋まった。
実はちゃんとしたラッセルは初めてで結構テンションが上がっていた私は、最初こそ勢い良く進んでいた(気がする)が、すぐに現実を知った。つらい。そして進まない。すぐに嫌になった。1人がラッセル、もう1人が休んでから追いつき少し経ったら交代というのを繰り返しながら進んだ。もう雪洞ここでよくないですか?いやまだ進もう、みたいなやり取りを何回かした。私はまぁ萎えてしまっていた。ごめんなさい。結局14時くらいに雪洞を掘り始めた。プローブで十分に雪があることを確かめ、作業を始めた。結構掘ったところで木が出てきて場所の変更も検討したが結局そのままいった。二時間くらいで完成した。私がもういいのでは?と思ってからも土田さんは面倒くさがらずに天井の出っ張りを無くしたり床を均したり細部まできちんと仕上げようとしており、こういうところが先輩との差なのだろうな、という気持ちになった。実際細部で手を抜くと残念なことになる。中で火を焚いたりすると酸欠になるのではなかろうかと思ったが大丈夫だった。ろうそくをつけたらいい雰囲気の空間になって楽しかった。案外暖かかったが、寝ているときマットがずれて背中が冷たかったり顔に水を感じたりで熟睡とは言えなかった。朝起きると天井が結構低くなっていた。天井の尖った部分から水滴が落ちた形跡もあった。寝ているとき顔に落ちてきていたのはこれ。ザック等もびしょびしょになっていて悲しくなった。細部の仕上げは重要である。

1/16晴れ

必要のない荷物を置いて出発した。昨日よりは少し雪が締まって若干歩きやすくなったと自分に言い聞かせて歩く。昨日と同じようにして歩を進めていく。3時間半くらいしてようやく尾根にとりついた。急斜面では本当に進めなくて驚いた。雪が肩くらいまで来ることがあり泳いでいるような感じであった。こうなったらスコップを使って進むこともあると教わった。

スコップでのラッセル

ラッセルの後に歩いても足元が崩れて歩きづらかった。1.5時間ほどで200m弱標高を上げて、何となく展望が開けたあたりで引き返すことにした。


この日は天気が良く景色も良かった。下りはあっという間で、あんなに苦労したのになぁ、という気分になった。急な下りではトレースのないところを埋まりながら下るほうが膝-friendlyで楽な場合もあるとのこと。気温が上がったせいか樹に積もっていた雪が落ちてきて鬱陶しかった。林道の後半はしんどかった。スキーのトレースを見かけたりもしたので、今度はこのあたりにスキーをしに来るのも良いなと思った。

2022年1月3日月曜日

20220103_城山

20220103_城山


メンバー:福田(4)、土田(3)、降矢(3)

 

 この日は、延期した阿弥陀南陵のはずであったが天候不良で再び延期。代替として城山へ。ワイルドゴアボージはすでに多くの人で賑わっていた。とりあえずチューブロックに向かい、空いていたオンリーイエスタデイ(5.10d)に取り付く。このルートは下部がわかりにくく、間違えると完全に詰んでしまう。下部でテンションをかけてしまったがトップアウト。その後、フェイト(5.12a)に取り付く。福田さんがなんとOS!。このルートはとても写真映えするルートであった。私も取り付いてみたが傾斜が強く腕力が完全に終わってしまった。その後さっきの場所に戻り、オンリーイエスタデイに再挑戦してRP。福田さんはその横の生と死の分岐点(5.12b)に取り付き、3回くらいのトライでRPしていた。一方降矢はワイルドゴアボージの少し下の城山物語(5.9)に取り付いていた。このルートは下からは全然見えないが上部は長いスラブらしく、時間をかけながらもしっかりOS。私は最後にストーンフリー(5.10c)にトライしOSに成功した。城山は南壁には何度が訪れたことはあったが上部の岩壁は初めてであった。非常にこの季節に向いた場所であることはよくわかった。


フェイトはロケーションがいい



 

生と死の分岐点

2021年12月30日木曜日

20211230_河又

 20211230_河又

メンバー:土田(3)、降矢(2)

 

 年内にどうしてもドラゴンストリートを終わらせたくて、降矢を巻き込んでこの日は河又に向かった。最初に恒例のいきのいいやつでアップ。降矢はこの日3連登らしくアップですでに前腕の疲労が見えていた。アップの後、まずはヌンチャクをかけながらムーブを思い出す。ついでに降矢が登る大五郎にもヌンチャクをかける。その後RPを目指して何度かトライするが「梅干しホールド」を掴んだ次の手で落ちるということを何回か繰り返す。結構時間も押してきて若干焦ったが、なんとか堪えて核心後のガバまで到達しそのままRPできた。一方降矢は大五郎をずっとやっていたが上部のムーブがなかなか解決しないようであった。無事年内に目標達成できたことはよかった。私の勝手に付き合ってくれた降矢君には感謝申し上げたい。(2人でクライミングに行くと写真が撮れない)




2021年12月24日金曜日

20211224_河又

 20211224_河又

メンバー:畑中(OB)、福田(4)、土田(3)

 

 再び河又。この日は特に寒くアップで取り付いたいきのいいやつは手を温めながら登った。アップののち、畑中さんは一期一会、福田さんはマンモス・ケイブ(5.13c)に取り付いていた。マンモス・ケイブは洞窟のルーフに飛びつくスタートでリードクライミングとは思えないようなボルダーチックなムーブを繰り出しながら登っていた。私は前回に続きドラゴンストリートを触った。最初の方は核心前で落ちたが、この日の最後のトライで核心を超えてガバを取るところで力つき落下。無念。この日は皆、各ルートのムーブを探って終了し、特に成果はなかった。


マンモスケイブの出だし



マンモスケイブ(続き)


2021年12月18日土曜日

20211218_河又

 20211218_河又

メンバー:畑中(OB)、福田(4)、土田(3)、降矢(2)

 

 阿弥陀南陵に行こうとしていたが天候不良で河又に。まずはいきのいいやつでアップ。その後、畑中さんはドラゴンストリート(5.11d)をトライ。ゴール直前で何回が落ちていたがしっかりとRP。私も触ってみたが大五郎と別れた後のムーブが辛くて全然進めなかった。福田さんはモスグレイハンド(5.11d)RPしたのち、ドランゴンストリートを登りFL。すごい。降矢は大五郎を触っていたが上部でだいぶ苦しんでいる様子であった。



ドラゴンストリート



大五郎



2021年12月11日土曜日

20211211_初冬合宿(谷川岳)

メンバー:L新垣[4]、福田[4]、岡本[3]、土田[3]、松坂[3]、降矢[2]、孫[1, 記録]
日程:2021年12月11日(土)・12日(日)

12月11日(土)

天気:晴れ・無風・適温~やや暑い
9:30   土合駅発
10:00   谷川岳登山口
14:30   ラクダの背(幕営地)
15:30   雪崩探索訓練開始
16:30   訓練終了

12月12日(日)

天気:晴れ・無風・適温~やや寒い
4:00   起床
5:50   幕営地発
7:30   谷川岳トマの耳
8:50   幕営地着
9:50   撤収、下山開始
12:15   谷川岳登山口
12:35   土合駅着

12月11日(土)

各メンバーそれぞれが始発で土合駅まで集合する流れであった。松坂・降矢・孫は部室にて前夜泊し、早朝に渋谷駅まで歩いて始発列車に乗ることにした。早朝の暗がりの所為もあってか、ここで某所にある柵を乗り越える過程で孫が左手の平の数か所に切り傷を付けてしまった。出血もあったが時間的制約のためとりあえずペーパーで覆って応急処置とし、後に絆創膏を貼っておくことにした。痛みは激しくなかったが、山とは全く関係のない所で怪我をしてしまったことに屈辱感を覚えたと記憶している。

電車に乗っていくうちに各々の拠点から出発したメンバーがだんだん合流し、土合駅に着くころには全員が揃っていた。登山靴に履き替えるなど準備を整えた後、登山口に向けて歩き出した。登山口までは折り返しの多い上り坂の車道を行くのだがその途中にロープウェイセンターがあり、そこからクラシック音楽が流れ続けていたことが非常によく印象に残っている。低温を過度に警戒していたためダウンコートの上から雨具を着用していたが、天気が良くかつ下界ということもあって登山口に着くころには汗だくになってしまっていた。冬山では防寒も重要だが暑くなりすぎると汗をかいてしまいそれが原因で逆に冷えてしまうため注意が必要である。目安として、止まっている時肌寒い程度、動いている時汗をかかず適温に感じる程度の着用が良いと教えてもらった。

前日までの好天続きから、それなりの標高まで雪があまり積もっておらず、残雪期と同様に進むことができた。ある程度雪が積もっているところでラッセルの練習をした。前述の状況もあってかなり踏み抜きが多く発生したが、なんとなく感触をつかむことができたと思っている。

「ラクダの背」と呼ばれる標高約1500mの地点にアタックキャンプを設営。1年生は初の雪山であったので、シャベルによる整地、雪集めなどを教わった。4人用・6人用の2つのテントを持って行ったが、2人・5人で別れて入ることになった。

設営完了後、3年生以下の5人で雪崩捜索をシミュレーションして訓練することになった。遭難者に見立てたSENDモードのビーコンと容器を適当な場所に埋め、散らばった装備やビーコンを頼りに場所を特定し掘り上げるという訓練である。最初は降矢がメインとなって捜索し、見事に場所を特定することができた。次に孫が捜索したが、ファインサーチの精度が悪く、1mほど離れた地点と間違えてしまった。もしもの時には人命にかかわるミスなので、注意してビーコン探索を行いたいと思う。

訓練を終了する頃には空が薄暗くなっていたためキャンプに戻り炊事を開始した。メニューが何だったかは失念してしまったが、新垣がプロテインシェイカーにお酒を入れて持ってきたようで、皆で分けて飲んでいたことを覚えている。雪山のテント設営は完璧にするのは難しいもののようで、5人で入ったテントでは端の方にかなり傾いていたため、寝返りを打つたびに少しずつ下の方へずり落ちてしまった。

12月12日(日)

起床して朝食を済ませた後、まだ暗いうちに山頂を目指して行動を開始した。初めてのビーコンチェックだったが自分のものの調子が悪く、少しタイムロスになってしまったが安全のため背に腹は代えられない。前日と同様に好天続きのため、雪がある程度固まっておりワカンは使わずアイゼンを履いて登った。稜線上は激しい高低差もなく順調に進むことができた。周囲に樹林などがない状態で見る日の出・朝焼けは非常に綺麗で印象に残っている。

2時間弱をかけて谷川岳トマの耳を登頂。近い距離に2つのピークが見られる谷川岳のような山のことを、シルエットが動物の両耳のように見えることから「双耳峰」と呼ぶらしい。自身の体力的に少しきつく感じていたため、もう一つの「耳」であるオキの耳の登頂は断念、そのままキャンプに向かって下山を開始した。

アタックキャンプから登山口までは少し遅れながらも特に滞りなく降りることができた。この時点で12:34土合発の電車の時間が近づいていたので、2・3年生のメンバーは車道を駆け下りて行ったが、自分はかなり消耗してしまったため歩くのがやっとで4年生メンバーについて来てもらう形となってしまった。駅に着いた頃には電車は既に発車から10分以上経ってしまっており、日々の鍛錬の不足を実感した。

次の電車が来るまで2時間以上もあるため、暇つぶしとして駅の階段脇の石垣を使ってボルダリングをしていた。初めは各自で自由に登ったり、福田が使用可能なホールドを指定して課題を作りそれに挑戦したりしていた。降矢は「今日1日中これをやってすべての電車を逃しもう1泊しても良い」と冗談を言うなどもしていた。やはり凹凸のある壁面を見たら登ってみたくなる性分の人々ということだろうか…。

15時台の電車に乗って帰路についた。肌寒い麓とは対照的に車内はかなり暖かかったため、山行での消耗も相まって気持ちよく眠ることができたと記憶している。

2021年12月4日土曜日

20211204_河又

 メンバー:畑中(OB)、福田(4)、岡本(3)、土田(3)、降矢(2)

 

 どこか冬山に行こうとしたが絶望的に雪が少なそうなので河又に。私にとって初めての河又、というか初めての石灰岩。アップでいきのいいやつ(5.10a)を触る。先輩にヌンチャクをかけてもらい2番目くらいに登る。石灰岩は足が滑るという情報にビビり散らしながら慎重に登っていくが、ゴール直前の一手がよくわからない以外は全部手がいいのであっさり登れてしまった。畑中さんはデザートソング(5.12a)をやっており、核心のムーブを忘れたと言っていたがすぐに思い出したそうでこの日中にRPしていた。私はいきのいいやつを登った後、大五郎(5.11a)という人気ルートを登ることにした。途中のテラスで存分にレストをして、奇跡的に上部でレスト可能なガバを発見したおかげで、マスターでOSすることができた。外岩で11台を触るのが初めてであったがまさかの結果となった(室内ばっかりやっていて外岩に全然行っていなかった)。岡本はクライミング自体久しぶりということでいきのいいやつをTRで頑張っていた。降矢は大将(5.10c)にトライしていた。最初のトラバースに苦労しているようであったがその日中に無事RP。私は大五郎の後、イヤーイヤー(5.11a)をやったがハングで撃沈。その後泣かないで愛ちゃん(5.10d)を触ったが登るラインを間違えて最後無理やりトラバースしてしまった。一方福田さんはずっと一期一会(5.12d)をやっていた。デザートソングと別れた後のフェースが下からだと何もホールドが見えなくてこんなところを登るのかと思ったが、絶妙なムーブで登っていた。上部の核心と思われるところで何度が落ちていて、バスの時間的に最後のトライとなったところで見事なクライミングでRP。おめでとうございます。いいものを見させていただきました。全体的に実りの多い1日であった。




デザートソングの核心


一期一会


大将