記録:白石薫平
メンバー
伏見修一、白石薫平(CL)
2015年4月20日
晴れ
鳩ノ巣駅8:45--9:30岩場下の東屋10:00--10:20右ルート11:55--12:30岩場下の東屋13:00--13:10第二スラブルート15:00--15:30岩場下の東屋15:40--16:20鳩ノ巣駅
この山行は、マルチピッチの新人訓練の実施場所選考を念頭に、越沢バットレスという有用な岩場の難易度を見極めようという目的意識の下、企画された。比較的本チャンに近い場所であるため、山行審査の段階では心配する声も聞かれたが、コンディションが悪ければ潔く中止するということで承認された。実施にあたっては、久々のマルチピッチの感覚を取り戻すことと、岩場で素早く行動して夏山合宿での本チャンに備えるということも目的に加えられた。
鳩ノ巣駅で関係先に連絡を入れ、ハイカーの姿がちらほらと見える駅前を後にした。途中の林道は2014年11月時点より伸展しており、終点近くには3台ほどの駐車スペースまで出来ていた。岩場下の東屋に到着した時点で2パーティーの先客がいた。最終的に、この日は我々も含めて5パーティーほどの姿が見えた。
まず右ルートを登ることにした。1ピッチ目は正規のルートではなく、右ルート下降点の真下から登り始めた。取付きで先行パーティーを20分ほど待ち、登り始めた。1ピッチ目は白石がリードした。先行パーティーが登っていた天狗の踊り場に直上するルートは、良さそうなボルトが並んでいたので、ここを登った。案外手強く、スリングを掴みながら登った。立木に支点を作って、伏見をビレイした。2ピッチ目は白石がリードした。右の滑り台の直下まで、右上気味に登った。このピッチはルート中で最も簡単だった。3ピッチ目は白石がリードした。このピッチの右の滑り台が右ルートの核心だが、細かいスタンスを拾いながらフリーで登った。右の滑り台のプロテクションは、一つのハンガーボルトを除いて全てピトンである。前回はここで落ちてしまった伏見も、フォローで落ち着いて登った。登った後は、お宮のハングの場所を伏見と確認し、右ルート終了点から懸垂下降した。伏見がトップで降りた。下降後、東屋に戻って昼食とした。
昼食後は第二スラブルートを登ることにした。1ピッチ目は伏見がリードした。濡れた凹角を登り、立木の少し上まで登った。見た目には簡単そうだが、凹角右のスタンスに踏み込めないと手強そうだった。2ピッチ目は伏見がリードした。簡単なクライミングの後、スラブを少々登った。途中には鳥の巣があった。3ピッチ目は白石がリードした。このルートの核心部であるスラブを25mほど登るピッチだ。スラブの細かいスタンスや左壁のカチなどを使いながらフリーで登った。プロテクションは、スラブの真ん中にハンガーボルトが埋め込まれておりそれを使ったが、左壁のリスに打ち込まれた気休めのようなピトンも使った。伏見はスラブ右端のカンテなども使いながら登ったそうだ。4ピッチ目は伏見がリードした。II級程度のクライミングの後、踏み跡を尾根上の登山道まで登った。達成感のあるルートで、登り切った後には握手を交わした。下降は右ルート終了点まで歩き、そこから懸垂下降をした。白石がトップで降りた。
東屋に戻って荷物をまとめ、来た道を駅まで戻った。
越沢バットレスについて所感を述べておこう。右ルートについては、1ピッチ目で天狗の踊り場に回り込むルートを採り、右の滑り台で落ち着いて登れば、手頃なルートである。岩登りが得意な部員ならば、2年生の後半になり、フォローで登った経験を積めば、リードも可能だろう。フォローで登るだけならば、夏山合宿を経験した1年生が行くことも十分に可能だろう。一方、第二スラブルートについては話が違うことが分かった。核心のスラブは、ジムで登れることはもちろんとして、精神的な強さも要求されるピッチであった。ゆえに、1年生や2年生には行きづらいルートだと言えるだろう。この2ルート以外は、書籍(北山真編(2009)『フリークライミング日本100岩場 2 関東 増補改訂版』山と渓谷社)に記載されていたグレードが両者のIV+級より高いので、より難しいと推定する。以上を総合すると、越沢バットレスは上級生の本チャン慣れという目的では最適な岩場であるが、下級生が主体的に行うトレーニングには向かない岩場であると結論付けられるだろう。本チャンの緊張感を味わうという意味では、上級生は下級生を積極的に連れ出すと良いと感じた。
当初の目標は「マルチピッチで安全に素早く行動する」であった。安全面は達成できたが、迅速さはもっと追求できたと感じる。久々のマルチピッチで、支点に到着してからの動作が緩慢だった。また、右ルート1ピッチ目をフリーで越えられなかったことは痛恨事である。クライミング能力自体の向上も重要だが、登りやすそうなルートを見出す「岩を見る目」も養うべきであろう。
東京大学運動会スキー山岳部(TUSAC)の記録です。一年中さまざまなスタイルの登山に取り組んでいます。 TUSACホームページも併せてご覧ください。質問・入部希望なども随時受け付けております。 TUSACのホームページはこちら
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2015年4月18日土曜日
2015年3月28日土曜日
2015.03.28 会津駒ヶ岳スキー山行
2014年度 会津駒ケ岳山スキー記録
記録 黒沢隆浩
記録内では敬称略させていただく
参加者 伏見(2年)、黒沢(1年)、中山(1年)、椿谷(OB)
3月28日
6:30ごろ高田馬場駅に集合後、椿谷車にて出発。旅館すぎのやに到着し入山の準備を終え、12:12出発。林の中をしばらく登ると視界が開け平らな場所に出る。ここで一旦休憩をした(13:04)。その後、夏道の南側の尾根へ急な斜面を登る。この登りで黒沢のペースが上がらず伏見と黒沢のザックを交換する。急な斜面を登り終えたところで休憩を取る(13:56)。黒沢のザックに重量が偏っていたことがわかったため、この時荷物の受け渡しをしてそれぞれのザックの重さを調整し直した。14:42に1350m付近のテント泊予定地に到着。テントを張る。時間に余裕があったため、まだ行っていなかった黒沢のビーコン訓練と弱層テストを行うことにした。3:08に出発、30分登ったところで雪上訓練を行う。雪にビーコンを入れたザックを埋めビーコンとプロープを使い探し出す訓練を行い、その後弱層テストをした。16:22に訓練を終え、16:36にテントに着いた。夕食に鍋を食べ、19:08就寝。
3月29日
5:00に起床。朝食は昨晩の鍋の残り汁を使い惣菜を作った。サブザック、スキーの準備をし、6:22出発。雪が硬めだったためクトーを履いて登る。1600、1800m付近でそれぞれ休憩をとった。2度目の休憩のあとは一気に頂上まで歩いた。雪崩の心配はないと見て途中のピークをトラバースした。登頂は9:20。天気がよく、周りの山々が見渡せた。長めの休憩を挟み、9:56、頂上から南東の斜面へと滑降を始める。木などの障害物も殆どなく雪質も良好で非常に滑りやすかった。10:20、シールを履いて尾根へと登り返す。10:55、駒ノ小屋に付近でシールを外し再び滑降。ここからは夏道で木が多くなる。ところどころ急な下りもあり、木を避けながら進むのに多少苦労した。一度休憩を挟み、テントには12:18着。午後はのんびりと過ごし、18:00就寝。
3月30日
4:30起床。5:48に出発。29日夕方から30日未明にかけて3~5センチ程度の積雪があった。登り始める頃には雪は止んでいた。1800m付近の休憩までは前日とほぼ同様のペースで進み、同じ地点で休憩をとった。積雪もわずかだったため気にならなかった。1900mを越えた辺りからガスが出始める。木もほとんどない地点だったため視界はかなり悪かったが、前日も同じコースを歩いたこととトレースが残っていたことにより迷う心配はなかった。頂上に近づくにつれガスは薄くなっていき、8:38、頂上についた頃には先ほどのガスはすっかり消えて360度の素晴らしい景色が見渡せた。結局テントから頂上までは前日より20分早く着いた。シールとクトーを外し、9:00に滑降開始。うっすらと雪の積もった斜面は前日に劣らず滑り心地がよかった。もう一度同じ斜面を滑ろうということで15分ほど滑降したところで下ってきた斜面を登り返し、再び滑降。シールをまた付け直す手間を省くため、今度は途中から尾根に向かってトラバース気味に滑って上り返しを避けた。前日同様苦労しつつ下る。11:00にテント着。テントを撤収し荷物をまとめ、12:00出発。急な斜面が続くため、中山はわかんで下ることにした。キックターンと横滑りを使いながらきつい斜面を滑り降りる。雪は相当深いらしく、わかんもペースは上がらなかった。1日目の休憩場所を過ぎてからは傾斜も緩くなり快適な下りとなった。12:54すぎのや着。椿谷車で高田馬場に戻り解散となった。途中OBのお宅にお邪魔し夕食をごちそうになった。
2015.03.28-30 杓子岳双子尾根
記録:白石薫平
メンバー
飯泉和史(CL)、白石薫平
2015年3月28日
晴れ
二股7:00--8:40猿倉8:50--11:15小日向のコル11:35--14:00樺平
2015年3月29日
雪
停滞
2015年3月30日
快晴、朝は強風
樺平6:00--6:35奥双子のコル--7:10ジャンクションピーク7:20--8:35杓子岳8:45--9:55樺平10:55--11:55小日向のコル12:05--13:55二股
この山行は、澤田を含めたメンバーで計画が進められた。しかし、2014年11月初冬合宿以来山から遠ざかっていたこと、就職間近であることから、参加は見合わせることになった。
山行前日の3月27日に駒場部室に集合し、飯泉の運転で道の駅白馬に向かった。
5時に起床し、二股まで移動した。二股には多くの車が止まっており、白馬岳主稜パーティーとは少し言葉を交わした。パッキングを済ませ、7時に出発した。二股から猿倉までの道は圧雪されており、快適に歩くことができた。
猿倉荘の裏手から林道を外れて尾根に乗り、少々歩くと開けた雪面に出た。ここにはスキーのトレースがついており、ワカンを履かずともあまり沈まずに歩けた。小日向のコルまでは急な雪面を登るが、ここで膝下くらいまでのラッセルが必要になったのでワカンを履いた。それでも脛までのラッセルは続き、適当に交代しながら小日向のコルを目指した。
小日向のコルからはあまり沈まない雪稜となり、稜の部分を慎重に歩いた。途中、クレバスができている部分もあり、足を取られないように注意した。樺平の直前に一箇所急傾斜があり、ここが最も気を遣った。全体的に風は吹いているものの、直射日光を受けながらの登りで汗をかいた。樺平ではテントサイトの残骸があり、利用した。ザックの重さと暑さに疲弊していたので、テントを建ててすぐにビールで乾杯した。
29日は4時に起床し、5時30分ごろから出発準備を整え始めたが、雪が降っていた。ラジオでは甲信地方は昼前から夕方まで雨という予報を伝えていたので、アタックは取りやめ、停滞と下山の選択肢から行動を選ぶことにした。計画書では余裕を持って実働3日の予定にしていたので、停滞を選んだ。12時過ぎまで昼寝をし、少し外に出たり天気図をとったりした。携帯電話で30日晴れの予報を確認できたので、安心して眠りについた。夜は22時過ぎから烈風が吹き荒れ、テントの周りは吹き溜まりとなってテントが狭くなった。
30日も4時起床で、準備をした。6時に出発した。奥双子のコルには30分ほどで到着した。露岩は杓子沢側から巻き、ロープを出すことはなかった。
以降は快適な雪面で、快晴の青空と白い峰々のコントラストを楽しみながら進んだ。途中、ジャンクションピークで休憩をして、8時30分過ぎに頂上に到着した。山頂からは白馬岳、鑓ヶ岳がよく見えた。頸城山塊はもちろん、遠く富士山まで見霽かされた。白馬村の町並みは雲海の切れ目から垣間見えた。ただ、楽しみにしていた剱岳は頂上部分のみしか見えなかった。
下降でもロープを出すことはなかった。クライムダウンも交えながら雪面を下降し、奥双子のコルの露岩は長走沢側から巻いた。樺平への最後の下りはシリセードやグリセードもどきで滑り降りた。登りの時に吹いていた強風は、下降中には収まっていた。
撤収は風が吹いていなかったため、スムーズに進んだ。以降はアイゼンをしまい、つぼ足でストックを使いながら慎重に下降した。途中、遠くに雪崩の音を聞いたが、目視では確認できなかった。小日向のコルを過ぎたあと、猿倉荘には寄らず林道に直接下りた。林道は気温が上昇して所々沈むようになっており、苦労しながら二股まで歩いた。
下山後はみみずくの湯で風呂に入り、境川PAで食事をして帰った。駒場部室に到着したのは20時30分ごろだった。
当初の目標である「初めての積雪期バリエーションルートで安全に登頂する」は無事に達成された。しかし行動の判断や精神的な面では、OBに大きく依存していたのは事実だ。地道に経験を増やしていきたい。また、装備や食糧の軽量化が甘かったことが反省点である。例として、コッヘル、調理具は省略できた。防寒着や竹ペグは減らせただろう。登攀具も数を減らせたし、ハーケン類もワードホッグなどの冬壁用のみにすべきだった。食糧は、少人数の山行なので割り切ってアルファ米のみにする手段もとれたはずた。反省点は多いが、振り返れば素晴らしいコンディションのなか会心の山行ができたと言える。猿倉で白馬岳主稜パーティーと別れた後は誰とも会わなかったことも、山の静けさというアクセントを加えた。これからは夏山合宿を念頭に、フリークライミング能力の向上、本チャンでの精神的強さや行動の素早さの向上を目的とした活動を続けていきたい。
メンバー
飯泉和史(CL)、白石薫平
2015年3月28日
晴れ
二股7:00--8:40猿倉8:50--11:15小日向のコル11:35--14:00樺平
2015年3月29日
雪
停滞
2015年3月30日
快晴、朝は強風
樺平6:00--6:35奥双子のコル--7:10ジャンクションピーク7:20--8:35杓子岳8:45--9:55樺平10:55--11:55小日向のコル12:05--13:55二股
この山行は、澤田を含めたメンバーで計画が進められた。しかし、2014年11月初冬合宿以来山から遠ざかっていたこと、就職間近であることから、参加は見合わせることになった。
山行前日の3月27日に駒場部室に集合し、飯泉の運転で道の駅白馬に向かった。
5時に起床し、二股まで移動した。二股には多くの車が止まっており、白馬岳主稜パーティーとは少し言葉を交わした。パッキングを済ませ、7時に出発した。二股から猿倉までの道は圧雪されており、快適に歩くことができた。
猿倉荘の裏手から林道を外れて尾根に乗り、少々歩くと開けた雪面に出た。ここにはスキーのトレースがついており、ワカンを履かずともあまり沈まずに歩けた。小日向のコルまでは急な雪面を登るが、ここで膝下くらいまでのラッセルが必要になったのでワカンを履いた。それでも脛までのラッセルは続き、適当に交代しながら小日向のコルを目指した。
小日向のコルからはあまり沈まない雪稜となり、稜の部分を慎重に歩いた。途中、クレバスができている部分もあり、足を取られないように注意した。樺平の直前に一箇所急傾斜があり、ここが最も気を遣った。全体的に風は吹いているものの、直射日光を受けながらの登りで汗をかいた。樺平ではテントサイトの残骸があり、利用した。ザックの重さと暑さに疲弊していたので、テントを建ててすぐにビールで乾杯した。
29日は4時に起床し、5時30分ごろから出発準備を整え始めたが、雪が降っていた。ラジオでは甲信地方は昼前から夕方まで雨という予報を伝えていたので、アタックは取りやめ、停滞と下山の選択肢から行動を選ぶことにした。計画書では余裕を持って実働3日の予定にしていたので、停滞を選んだ。12時過ぎまで昼寝をし、少し外に出たり天気図をとったりした。携帯電話で30日晴れの予報を確認できたので、安心して眠りについた。夜は22時過ぎから烈風が吹き荒れ、テントの周りは吹き溜まりとなってテントが狭くなった。
30日も4時起床で、準備をした。6時に出発した。奥双子のコルには30分ほどで到着した。露岩は杓子沢側から巻き、ロープを出すことはなかった。
以降は快適な雪面で、快晴の青空と白い峰々のコントラストを楽しみながら進んだ。途中、ジャンクションピークで休憩をして、8時30分過ぎに頂上に到着した。山頂からは白馬岳、鑓ヶ岳がよく見えた。頸城山塊はもちろん、遠く富士山まで見霽かされた。白馬村の町並みは雲海の切れ目から垣間見えた。ただ、楽しみにしていた剱岳は頂上部分のみしか見えなかった。
下降でもロープを出すことはなかった。クライムダウンも交えながら雪面を下降し、奥双子のコルの露岩は長走沢側から巻いた。樺平への最後の下りはシリセードやグリセードもどきで滑り降りた。登りの時に吹いていた強風は、下降中には収まっていた。
撤収は風が吹いていなかったため、スムーズに進んだ。以降はアイゼンをしまい、つぼ足でストックを使いながら慎重に下降した。途中、遠くに雪崩の音を聞いたが、目視では確認できなかった。小日向のコルを過ぎたあと、猿倉荘には寄らず林道に直接下りた。林道は気温が上昇して所々沈むようになっており、苦労しながら二股まで歩いた。
下山後はみみずくの湯で風呂に入り、境川PAで食事をして帰った。駒場部室に到着したのは20時30分ごろだった。
当初の目標である「初めての積雪期バリエーションルートで安全に登頂する」は無事に達成された。しかし行動の判断や精神的な面では、OBに大きく依存していたのは事実だ。地道に経験を増やしていきたい。また、装備や食糧の軽量化が甘かったことが反省点である。例として、コッヘル、調理具は省略できた。防寒着や竹ペグは減らせただろう。登攀具も数を減らせたし、ハーケン類もワードホッグなどの冬壁用のみにすべきだった。食糧は、少人数の山行なので割り切ってアルファ米のみにする手段もとれたはずた。反省点は多いが、振り返れば素晴らしいコンディションのなか会心の山行ができたと言える。猿倉で白馬岳主稜パーティーと別れた後は誰とも会わなかったことも、山の静けさというアクセントを加えた。これからは夏山合宿を念頭に、フリークライミング能力の向上、本チャンでの精神的強さや行動の素早さの向上を目的とした活動を続けていきたい。
2015年3月4日水曜日
2015.03.01-04 八ヶ岳
山域 八ヶ岳
期間 3月1日―3月4日
メンバー 田中OB(リーダー)、塚本(3年、装備)、三浦(1年、食糧)
目的 アイスクライミングの基本習得、冬季バリエーションルート
記録 三浦
3月1日
4:30起床―6:00田中OBと合流―7:30八ヶ岳山荘駐車場―8:00発―9:00美濃戸山荘―11:00赤岳鉱泉―12:30テン場発―13:00ジョウゴ沢―15:15発―15:40テン場―21:00就寝
前日に鈍行で茅野駅に到着後、ステビバ。渡り廊下的な場所で寝る。広く、屋根があり風も吹かないため快適であった。
田中OBと駅にて合流し、目的に向かって出発。途中生鮮食品等を買うためにスーパーによる。本来は美濃戸山荘まで車で入る予定であったが、チェーンを持ち合わせておらず、途中道が凍っており坂道を上ることができなかったため、八ヶ岳山荘まで戻り、ここから歩くこととなった。美濃戸山荘までは上りが続き、暑かった。山荘近くには多くの車が止まっていた。おそらく、当日開催していたアイスキャンディーにおけるコンペの関係者であったと思われる。山荘から赤岳鉱泉もずっと登りであった。ただ踏み跡はしっかりしており、迷うことなく歩きやすくもあった。今山行では荷が夏山よりかさばりパッキングをアンバランスであったので助かった。金属の橋が架かった堤防の付近で休憩後からは雪がぱらつき始め風も多少吹き始めた。赤岳鉱泉到着するとテントを設置し、すぐにクライミングの準備に取り掛かった。
ジョウゴ沢に入ってからしばらく上るとまずF1が見えてきた。上から下まで雪に覆われており、登攀不可能であった。さらに上るとF2が見えてきた。こちらは氷ついており下部の一部分では岩肌が見えているところもあったが登攀可能であるように見えた。
今回は基礎を教わるということで、まず田中OBがリードでトップロープを張りに行く。ビレイは三浦が担当。アイススクリューと簡易ヌンチャクで支点を2つ作りさらに上部にあった残置ハーケンでトップロープを設定後そのまま降りてきた。
アイスへのピッケル、アックスの打ち方を教わり、実際やってみた。三浦、塚本の順で登った。傾斜は80°程。緩いvの字型の場所を登って行った。次にアイススクリューの打ち方を教わる。片手のみで打つことに苦戦。道具の扱いについての注意点を聞いたのち再び登攀練習。下部は薄くなっていたようで登攀中、アイゼンを蹴りこんだ衝撃で1m程の高さの氷塊が落ちたりもしたが、特にけがもなくやり遂げた。途中から雪、風ともに強くなりビレイは大変であった。
適当なタイミングできりあげてテン場に戻ってきたわけだが、今山行ではこれが最後のアイスクライミングとなった。クライミングのみに焦点を絞って考えるといくつか思うことがあった。
クライミングは足が重要になってくる。ロープによって縛り上げるタイプのアイゼンを僕は今回使用した。前もって普段よりきつめに縛ったため、緩むなどの支障をきたすことはなかったが、ワンタッチ式のアイゼンの方がよりリスクを減らすことができるように思えた。また前爪は刃が横向きについたものだったが、田中OBの使用していたような縦向きについたものの方が、クライミングには向いているように見えた。
ピッケル、アックスも勿論重要である。田中OBいわく、部室にあるものは振りやすいものと振りにくいものが入り混じっており、もしこれ以降購入する場合は気を付けたい。
夕食は鍋。定着ということもあって生の野菜や、豚肉をふんだんに使った。しめはどん兵衛のうどん。おいしかった。
3月2日 赤岳主稜
0500起床―0800発―0845行者小屋―1000休憩―1450赤岳頂上―1500発―1600行者小屋―1630赤岳鉱泉
前もって調べていた天気予報や小屋での天気図を参考にしつつ、空の様子を見ているとどうやら今日は朝方の天気が悪いということでご飯を食べて二度寝をしてから出発となった。行者小屋につくと雪が軽く降っており寒かった。ここから先は登りのみということで服を調節しつつ、すでにトレースのついた一般ルートを歩き続ける。文三郎尾根を途中まで登り主稜の取り付きを見つける。トレースは全く見当たらず、適当なところで急斜面をトラバースすることとなった。田中OBがトラバル地点を決めここから先はノンストップで登攀した。全リードは田中OB が行った。核心部といえる1ピッチ目には60cm程のお助け紐がぶら下がっていた。使わなくても登れるとは思うが、取り付きの良い目印となった。また取り付きには2,3個残置ハーケンが打ってあった。途中にも2か所ほど打ってあった。ここから先のルートには所々ハーケンが打ってあったが、全ての切るところに打ってあるわけではなく雪の下から枝を掘り出して支点を形成したり、凍った岩を用いたりした。またクライミング中はほとんど岩をつかんで登っていくだけだったが、途中ピッケルで打ち込むなどアイスクライミングの手技を利用したりなどした。8ピッチ程で安全な斜面につき残り頂上までを歩いた。登攀中風は比較的穏やかであまり寒くなかった。
下山は地蔵尾根を用いた。途中電波が入ったので明日の天気を確認していた。
テン場には16:30につき夕食をとった。今日も鍋。しめは雑炊であった。
3月3日 阿弥陀北陵
0430起床―0620発―0700行者小屋―0750休憩―0800発―0930頂上―1015行者小屋―1030発―1240赤岳鉱泉
今日は午後から天気が崩れるとのことで早めに出発。阿弥陀に向かっていくと途中トレースがすでにあったので利用することに。尾根伝いに登っていく。休憩後は傾斜が急なものの、樹林帯となっており、木に掴まりながら登っていく。樹林帯を抜けるとすぐに取り付きが見えた。ここにはリボンが結ばれており、わかりやすかった。今日も前日と同じく全リードは田中OBに任せることとなった。全体を通して、特に難所はなくスムーズに登れた。支点も大抵のところにはハーケンが打ってあり、ルートもわかりやすかった。
ザイルは3ピッチのみだし、すぐに頂上に着いた。下山は阿弥陀の北側の夏道にトレースがあったのでたどった。途中トレースがなくなってしまい、このまま沢を下ってしまうか、それとも大きく沢をトラバースするかの判断となったが、結局トラバースして登ってきたトレースをたどることになった。
行者小屋では少し小高くなった場所からなら電波が入るため明日の天気を確認していた。
行者小屋から赤岳鉱泉に戻る途中釈尊の取り付きを見に行った。トレースと沢を混同し迷いながらラッセルした。どうにか取り付き付近を見ることができた。
明日は基本下山するだけということで、テンバではゆっくりした。
夕食は鍋。しめはうどんであった。
3月4日 下山
0600起床―0840赤岳鉱泉発―0910休憩―1030美濃戸山荘―1120八ヶ岳山荘
1パーティ程がすでに下山していた模様。道は分かりやすかった。アイスクライミングのできる山の神という場所を探しつつ、下山。滝は見つけたものの、氷の後ろには水が流れており、上の方も氷が崩れており明らかに登攀は不可能。
そのまま下山した。
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