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2014年9月8日月曜日

2014.09.08-10 奥多摩奥秩父縦走

奥多摩奥秩父縦走 記録

作成者:黒沢隆浩

参加者:中西隆史(L)、黒沢隆浩、中山省吾、三浦玲児(全員1)

実施日:98()910()

行動記録(中山の体調の詳細は別に書く):

98 曇り

10:55 韮崎駅-(バス)-12:20 瑞牆山荘-13:10 富士見平小屋-15:10 瑞牆山頂-16:13 富士見平小屋-18:05 就寝

中西遅刻のため、バスを1本遅らせて韮崎駅を出発。瑞牆山荘から富士見小屋にコースタイムより早く着き時間に余裕があったので、テントを張った後サブザックで瑞牆山山頂を目指す。途中特に問題もなく山頂に到着。ちょうどガスも晴れ、山頂からの景色は大変よかった。山頂で20分休憩したあと富士見小屋まで再び下る。サブザックのため瑞牆山-富士見小屋の往復はコースタイムをかなり上回った。肉の入ったおいしいカレーライスを食べた後、翌日に備え早めに就寝。


99 曇り

3:00 起床-4:25富士見平小屋発-5:02 大日小屋-7:30 金峰山頂-8:37 朝日岳山頂-9:31 大弛小屋-10:45 北奥千丈岳山頂-11:10 国師ヶ岳山頂-13:02 東梓-16:10 甲武信岳山頂-16:36 甲武信小屋-18:56 就寝

4:25に富士見小屋を出発。大日小屋で水を補給する。約1時間ごとに10分の休憩をはさみ、金峰山頂、朝日岳山頂を経て大弛小屋に到着。ここで水の補給、昼食のために32分の休憩を取る。北奥千丈と国師ヶ岳の分岐まではよく整備された道を登る。分岐にザックを置き、奥秩父最高峰の北奥千丈岳まで往復した。国師ヶ岳山頂を通過し、長い尾根道を辿って甲武信岳を目指す。アップダウンが多く、次第にパーティ全体に疲れが見え始める。休憩と休憩の間隔も次第に短くなったが、ほぼコースタイム通りに甲武信岳山頂に到着。山頂までの最後の登りは急であったが、予想より短く感じた。山頂から下って甲武信小屋に着く。ここで中山が体調不良を訴え、パーティの状態や日程も考慮した上でエスケープを検討し始める。


910 曇り

3:30 起床-5:52 甲武信小屋発-(近丸新道)-(7:12 徳ちゃん新道)-8:28 西沢山荘跡-8:56 道の駅みとみ-(10:15 バス)-11:17 山梨市駅

中山の体調が回復していなかったため、エスケープを決定する。日の出を待ってから出発。中西と中山の共装を三浦と黒沢に分配し、中山の残りの荷物を西がダブルザックで背負い、中山君は空荷の状態にした。木賊山をまいて近丸新道へ入る。下りは全体として急勾配であった。徳ちゃん新道の最後の部分は土が滑りやすく、転倒に注意が必要だった。みとみからバスで山梨市駅まで行き、そこで昼食をとる。その後解散した。


中山の体調について

出発前:体調は万全

1日目:特に問題なし

2日目:小屋に着くまで体調不良の自覚症状はなかった。疲労はあった。
甲武信小屋に着いてからは、喉の痛み(若干)、倦怠感、悪寒があった。特に悪寒が激しかった。
その日は、八時間寝た。

3日目:翌朝、悪寒は収まった。喉には、若干違和感があった。頭痛のなりはじめのような感覚があり、頭脳は明晰でなかった。疲労がかなりあった。下山にしたがって、徐々に体調がよくなり、終始、体もよく動いた。

その他:今回の山行を通じて食欲は常にあったようだが、風邪を引いてからは食べるスピードが落ちていた。
長時間の行動によって防衛体力が低下し、風邪を引いたのだと思われる。
疲労と体調不良のどっちが原因かは判断しかねます。
現在、体調は良好。


反省:

中西&全体
・遅刻して行動を遅らせてしまい本当に申し訳ない
PLとして力不足を痛感した
・全体として体力と長時間の歩荷に対する慣れが不足していたと感じた
2日目はなかなか辛かった
・各自が休憩の度に積極的に地図で現在位置を確認していたので読図については錬度は向上したと思う
1日目の肉入りのカレーはスゴく美味しかった

黒沢
・スクワット中心のトレーニングのおかげか、登り坂は以前より登れるようになったと感じた
・未経験の長時間行動でやはりきつかったが、このような日程の山行をさらに行い慣れていきたい
・パソコン不具合のため準備段階で迷惑をかけた

中山
・体力が足りない。登りでスピードが上がらなかった。
・入山までの体調管理に問題はなかった。防衛体力が足りない。
・靴擦れはそれほどひどくならなかった。
・ザックの容量は一回り大きくてよかった。
・自分のせいでエスケープとなってしまい申し訳ない。

三浦
・エッセンの日ごとの振り分けを周知しなかったこと。
・体力不足 試験期間1週間前からランニングをやらなかった

・何かあった時のための荷物の軽量化を怠ったこと

2014年7月12日土曜日

2014.07.12-13 小川山

記録:白石薫平

メンバー
神澤章、岸元士、田中淳一、塚本宇信、土井崇史(CL)、澤田健太郎、白石薫平

2014年7月12日
晴れのち曇り
廻り目平キャンプ場7:35--8:20取付9:00--10:30稜線(4P終了)--14:10ハンドクラック(13P)--16:15終了点(18P終了)16:30--17:20廻り目平キャンプ場

2014年7月13日
曇り時々雨、のち晴れ
廻り目平キャンプ場7:15--8:35スラブ状岩壁12:50--13:10廻り目平キャンプ場--13:40クジラ岩15:10--15:25廻り目平キャンプ場

この山行は、田中と土井がトレーニング山行として二子山中央稜に行く予定だったのが諸事情で流れ、その代替として実施されたものである。ルートの名称とグレードは北山真(2009)『フリークライミング 日本100岩場 3 伊豆・甲信 増補改訂版』山と渓谷社に基づく。

岸は11日14時頃出発し、夕方には廻り目平キャンプ場に着いたという。学生4人は金曜日に授業等があり、21時に目白に集合して神澤の運転で廻り目平を目指した。12日の0時半頃に到着した。田中は11日に大阪を出て、12日の早朝に到着した。

12日は6時に起床して、各自朝飯を食べた。烏帽子岩左稜線を登る日であり、朝飯後はギア類を確認し、7時半にキャンプ場を出発した。パーティーは田中、土井、澤田と神澤、塚本、白石で分けた。岸は取り付きまで同行し、登攀開始を見届けた後は金峰山まで足を伸ばす予定だった。


屋根岩がよく見えた

遊歩道を歩いて車止めのゲートを過ぎてすぐ、千曲川源流の一つである西股沢を徒渉した。普段は靴を履いたまま渡れるそうだが、今回は週中に日本に来た台風8号の影響で、靴を脱いで水の中を歩く必要があった。岸とはここで別れた。徒渉後、烏帽子沢のガレ場をつめて、ピンクテープを目印に左岸の樹林に入ると、取り付きとなる。

田中パーティーから取り付いた。そのすぐあとに神澤パーティーも登り始めたが、後続の2人パーティーに抜かれた。リードは特に記さない限り、田中と神澤が行なった。

1ピッチ目は岩の溝を登った。少々濡れていて、朝一番で慣れていなかったため少し怖かった。2ピッチ目はまずクラックを登り、右から回りこむように登った。3ピッチ目はダブルクラックを登ってから、バンドに出た。4ピッチ目は下部の核心で、フェイス登りだった。白石は核心で塚本に肩を借りて登った。塚本はヌンチャクを掴んで登った。

5ピッチ目で稜線に出た。岩稜歩きだったが、展望は良くなった。6ピッチ目ではブッシュの中を歩いた。7ピッチ目はフェイスを登った。8ピッチ目はリッジを右から回りこむように登った。

9ピッチ目で再び景色は開け出した。カンテを登った。10ピッチ目は怖いトラバースから始まった。屈んだり岩に腰掛けたり各自が工夫して歩いた。11ピッチ目は左右が切れ落ちて爽快なリッジだった。12ピッチ目は一度下ってから、リッジを歩いてクラックの基部に向かった。

13ピッチ目のクラックはこのルートのハイライトだった。15mのクラックにジャミングを効かせながら登った。土井は足がクラックにきまらず、苦労していた。14ピッチ目はただの歩きで、神澤パーティーは塚本が先頭を歩いた。15ピッチ目は残置スリングを支点にした20mの懸垂下降だった。リッジで左右に振られないように気をつけた。16ピッチ目はチムニー状の岩の隙間を登った。17ピッチ目は残置スリングを支点にした10mの懸垂下降だった。18ピッチ目はトラバース道を歩いた。


ハイライトのクラック

烏帽子岩左稜線のコースは20ピッチのルートであるが、最終2ピッチは省くことも出来る。時間も迫っており、ここで下山することにした。ここからは樹林の中を歩いて降りた。落ち葉で滑り易く、澤田は何度か足をとられた。踏み跡を辿っていくと、烏帽子アプローチボルダー付近の道に合流した。帰りも靴を脱いで徒渉し、焚き火用の薪を拾いながらテントに戻った。岸は金峰山の山頂を踏み、14時頃にはテントに戻ったそうだ。

この後、神澤、田中、土井、澤田で川上村のスーパーまで車で買い出しに行った。残りのメンバーは薪を拾い、火を起こしていた。夕食はカレーであり、焚き火を囲んで楽しい時間を過ごせた。

翌13日は6時に起床し、テントを畳んだ。神澤と田中は各自で朝食を済ませ、残りのメンバーはラーメンを食べた。そして荷物を車に置き、7時半頃ガマスラブに向けて出発した。岸とはここで別れた。

予定していたガマスラブに向かうケルンと踏み跡を見過ごし、フェニックスの大岩まで行ってしまった。引き返し、林の中をどこが目的の岩かどうか確かめながら歩いた。ガマスラブは大変混雑しており、スラブ状岩壁に切り替えた。登ったルートはSong of Pine5.8、高い窓5.10b、ウルトラセブン5.7、かわいい女5.8、小川山ショートストーリー5.9である。

塚本はSong of Pineのレッドポイント、小川山ショートストーリーのオンサイト、トップロープによる高い窓に成功した。かわいい女もリードで登ったが、途中テンションを挟んで登り切った。

土井はSong of Pineのレッドポイント、トップロープでのウルトラセブンと高い窓に成功した。

澤田はSong of Pineのレッドポイント、ウルトラセブンのオンサイトに成功した。小川山ショートストーリーにはトップロープで登った。

白石はSong of Pineのレッドポイント、小川山ショートストーリーとウルトラセブンのオンサイト、トップロープによる高い窓に成功した。かわいい女のリードにも挑戦したが、一つ目のボルトまで登って力尽きた。トップロープで挑戦した際も、雨が降り始めたためかわいい女は濡れていてロープを手繰りながら登ってヌンチャクや支点を回収した。

神澤と田中はいくつかのルートを初めに登ったり、リードで登る者のビレイをしたりした。


Song of Pineをリードする澤田

個人的な感想を記しておくと、フェイス状の小川山ショートストーリーとスラブ状のかわいい女のグレードに困惑した。フェイスの5.9よりもスラブの5.8の方が遥かに難しく感じられたのである。また、逆クリップの問題はリード中に岩に張り付きながら考え込む者もおり、完全に習得しきれたかは疑問である。それでも、この難易度でリードするのは皆初めてだったので、大変良い訓練だった。

雨が弱まった頃、荷物をまとめた。車に戻ってロープやギア類を置いてから、神澤のボルダリングクッションを持ってクジラ岩に向かった。そこでは6級のフィンや9級のフレークに挑戦した。後者は全員が登れたが、前者はヒールフックのムーブやハンドジャムを効かせるのに苦労して、神澤の模範演技のみとなった。

再び駐車場戻って本山行を終了し、田中と別れた。帰りも神澤の運転で、例によって小仏付近で渋滞に巻き込まれたが、20時頃目白に到着して解散した。

振り返ると、12日はマルチピッチの練習、13日はリードの練習と明確な目標の下、効率よく訓練が出来たと考える。マルチピッチは一部5.8のフェイスや5.7のクラックに苦労したものの、ほとんどが岩稜歩きで夏山に向けた実戦の場になった。リードの練習では、各々リードならではの緊張感を味わったはずだ。最高グレードの更新をした者もおり、収穫は多岐にわたるだろう。小川山は色々な難易度の課題があり、今後も是非訪れたい場所だと思った。

2014年6月28日土曜日

2014.06.28 一ノ倉沢烏帽子沢奥壁南稜登攀

記録:白石薫平

2014年6月28日
谷川岳ロープウェイ土合口駅5:35 -- 5:55マチガ沢出合 -- 6:15一ノ倉沢出合6:30 -- 7:05テールリッジ末端 -- 7:55南稜テラス8:30 -- 10:40馬の背リッジ下(懸垂下降開始地点)11:00 -- 12:00南稜テラス12:10 -- 13:25テールリッジ末端 -- 14:20一ノ倉沢出合14:35 -- 15:30谷川岳ロープウェイ土合口駅

一ノ倉沢は日本を代表する岩場であり、いつかは登りたいと思っていた。昨年の同様の時期には、当時の2年生が衝立岩中央稜へ行っており、私もこの時期に行こうと考えた。リーダーは飯泉さんに、5月初旬の新人歓迎山行のVSAでお願いした。その後、山の会総会やメールでやり取りをし、山行の計画を形作った。谷川岳で岩登りをする場合は群馬県の条例で計画書を早めに出さなければならないが、我々は10日前に必要情報を満たした計画書を送り、4日ほどして認印が押されたものが返送されてきた。

27日21時30分、駒場に集合し、飯泉さんの車で水上に向かった。天候は心配だったが、大きく崩れることはないだろうから、とりあえず行こうという合意があった。関越を飛ばして水上ICに日付が変わる直前に到着した。そして谷川岳ロープウェイの駐車場に車を止め、建物内通路の一番奥で寝た。

翌日は4時30分に起床した。各自朝飯を食べ、装備を持って出発した。登山指導センターで計画書を出し、歩き始めた。一ノ倉沢出合までの間に、2頭のカモシカと20匹以上の猿の群れを見た。赤ちゃん猿もたくさんいた。

一ノ倉沢出合に到着したら、ヘルメットとハーネスを着けた。一ノ倉沢に入るとすぐに雪渓に乗ったが、滝が出来ていためすぐに右岸の山道に乗った。しばらくはこの道を歩き、10分ほどして再び雪渓に乗った。初めはゆるい登りであり、硬い雪でも労せず登れたが、テールリッジ末端付近になると傾斜が出て滑りやすく難儀した。しかし登りではアイゼンを着けなかった。テールリッジ末端でアイゼンとピッケルをデポした。テールリッジは恐ろしいと聞いていたが、私も例に漏れず恐怖を感じた。7時20分頃、テールリッジ下部の露岩帯に到着した。ここにはフィックスロープが張ってあるが、澤田と私は初めての通過であるから、ロープを出した。リードの飯泉さんを私が確保した。この露岩帯の上の樹林帯を抜けると、衝立岩が間近に迫って見えた。中央稜の取り付きを通り過ぎ、南稜テラスに向かって烏帽子沢のトラバースに入った。変形チムニーの取り付きを過ぎた辺りで、先頭を歩いていた澤田が足を滑らせた。すぐには止まらず、2mほど下のスプーンカップ状の所で止まった。烏帽子沢はロープも出せず、勢い良く滑り出したら本当に止まらないので、肝を冷やした。そこから慎重に南稜テラスを目指した。



テールリッジを登る澤田

南稜テラスで飯を食べた。衝立岩中央稜には3パーティーが取り付いているのが見えた。中央カンテや変形チムニーには人影が見えなかったが、岩をよく観察できた。この時点では雨は降っていなかった。先行パーティーは見えなかったが、後で1パーティーとすれ違った。我々が登り始めてから、後ろから1パーティーが登ってきた。

1ピッチ目はリードの飯泉さんを澤田が確保した。初めはカンテを登り、その後右にトラバースしてチムニーを登った。登り始めは難易度は高くないはずだが、とても緊張した。チムニーは出だしが難しく、ザックを岩に押し当てながら腕力で強引に登った。

2ピッチ目もリードの飯泉さんを澤田が確保した。ホールドがたくさんあるフェイスを登り、草付の下に出た。しっかりとした支点があった。ここで先行の4人パーティーとすれ違った。1人が上部で滑り落ちて、足を折ったという。

3ピッチ目もリードの飯泉さんを澤田が確保した。初めは草付で、何ということもないが、最後に一段だけ岩を上がった。澤田は草付の道を見失って藪を漕いだ。3ピッチ目を登っているとき雷のような音が聞こえたが、一度しか鳴らず、前兆の音も聞こえなかったので岩が崩れた音ではないかというのが澤田の意見である。

4ピッチ目はリードの飯泉さんを私が確保した。6ルンゼ側に回りこみ、フェイス登りとなった。初めは落ち着いて登れたが、終了点近くになると岩がヌルヌルで、とても怖かった。雲に包まれ、視界が良くなかった。滝沢第3スラブの全容を見てみたいと思っていたので、私はとても落胆した。



6ルンゼは霧の中

5ピッチ目はリードの飯泉さんを澤田が確保した。ヌルヌルの岩が続いていたため、6ルンゼ側から馬の背リッジに上がるところで飯泉さんは懸垂下降を開始した。飯泉さんの言葉を借りると「滑ってブッ飛びそうで恐ろしかった」ためだ。先行パーティーが足を折ったという情報も判断に影響したと、後で聞いた。この懸垂下降では草付の上まで下りた。

懸垂下降2ピッチ目は草付の下まで下りた。その次のピッチで登り1ピッチ目のチムニーの上まで下り、また次のピッチで南稜テラスに帰った。この時点で小雨が降っていた。

靴を履き替え、下山を再開した。濡れた烏帽子沢の下りはこの山行の核心と言っても良いほど恐ろしく、登りで澤田が滑り落ちた所はとくに慎重に歩いた。テールリッジに戻ってからは雨は止んだが、岩が滑りやすいのは相変わらずで、私は天候を恨んだ。ここではロープも出せず、とても恐ろしかった。テールリッジ下部の露岩帯ではロープを出し、50mの懸垂下降をした。懸垂下降のなんと楽なことか!テールリッジ末端の雪渓に降り立つところはクライムダウンで、細かいスタンスを拾うのに苦労した。

雪渓に乗る前はアイゼンを履くか迷ったが、雪が硬かったため履くことにした。飯泉さんはアプローチシューズで下りていた。ここから下はもう安心だ。雪渓の後は山道を5分ほど歩き、河原に下りて一ノ倉沢出合に着いた。3人で握手を交わして無事を実感した。トイレを済ませ、車道を歩いてロープウェイの駅まで戻った。途中、谷川岳山岳資料館に立ち寄り、渡辺兵力先輩のピッケルや小川登喜男先輩の展示を見た。初めての一ノ倉沢の登攀を終え、大OBの偉大な足跡に触れ、満ち足りた気分になったのは澤田も同じはずだ。

駅のベンチで下山報告を済ませ、鈴森の湯に立ち寄った。その後、飯泉さんに晩飯をご馳走になってしまい、大変恐縮した。関越を通って駒場に戻ったのは22時頃だった。

今回の山行は夏山合宿の前に本チャンの感覚を思い出す良い経験になった。2年になったのだから夏山の八ツ峰など軽く行けるだろうという驕りがあったが、本チャンにはやはり怖さがあった。同じ難易度の岩でもゲレンデより難しく感じるのである。澤田と話した結果、この原因は取り付きまでに精神的・体力的に疲労していること、本チャンの経験不足、天候判断の問題、心構えの問題などが挙げられると考えた。そして、澤田や私の目標は、ゲレンデやジムでフリークライミングやボルダリングをやることにあるのではなく、天候やルートなどの不確定性が強く、総合力が求められるアルパインにある関係上、本チャンルートに行く機会を増やすべきだという結論に至った。その手段として、ゲレンデやジムでフリーやボルダリングの経験を積む必要もある。そうすればリードも出来るようになり、今回の様な、飯泉さんにおんぶに抱っこという山行にもならないはずだ。

また今回、一ノ倉沢は東京からのアプローチが良い岩場だということを認識した。その利点を活かすべく今回の登り残しを絡めて、再び訪れたいと思う。

2014年6月15日日曜日

2014.06.14-15 鳳凰三山

鳳凰三山 山行記録                                  作成:中山省吾


参加者:伏見 (2年) , 中山 (1年) , 黒沢 (1年)

実施日:6月14 () 6月15 ()


行動記録:

6月14          晴れ

7:02新宿 10:04甲府 10:40韮崎 11:24 青木鉱泉着 11:39 13:38 鳳凰の滝 14:41 白糸の滝 15:20 五色滝 16:20 鳳凰小屋 17:45 夕食 18:35 就寝


新宿から甲府までは高速バスを用い、甲府には予定より1時間半ほど遅れて到着。韮崎から青木鉱泉までは、タクシーを使った。天気はよく、汗ばむくらいだった。昼食は各自、休憩のときにとった。道すがら滝を巡って、青木鉱泉から5時間ほどで鳳凰小屋に到着。小屋までに休憩は6回。小屋のテント場は、かなり込んでいた。



6月15          晴れ

4:00 起床 4:35 朝食 5:32 鳳凰小屋発 5:45 調整休憩 6:40 地蔵岳着 6:54 7:55 観音岳着 8:20 8:34 薬師岳 10:55 舗装路入る 11:48 青木鉱泉着 12:26 1:05 韮崎 13:49 甲府着 17:01 20:30 新宿着、解散



夜になるとテントの中は、かなり寒く感じた。自分たちが小屋を出発する頃には、テント泊していた人たちのほとんどが出発していた。地蔵岳に至る最後の登りは砂地になっていて、一歩登って半歩下がっての繰り返しで精神的にきつかった。地蔵岳には、冷たい風が吹いており、肌寒く感じた。地蔵岳山頂の岩場に登ろうとしたが、危険だと判断し退却。観音岳は、眺望抜群。天気がよく、風も心地よかった。薬師岳山頂を経由して、下山。一部に雪が残っており、雪上訓練の復習にもなった。途中で休憩は3回とった。甲府では、銭湯へ行き、ゆっくりした。帰りのバスも渋滞の影響で1時間半ほど遅れて新宿に到着。解散した。

2014年6月14日土曜日

2014.06.14 つづら岩

2014.06.14 つづら岩 記録                              文責:澤田健太郎

メンバー
3年:土井、塚本
2年:澤田

613
20:06 武蔵五日市駅 20:28-20:56 千足

614
4:00 起床 4:45-6:20 岩場着 15:40 下山開始 – 16:40 千足 17:00-17:25 武蔵五日市駅

613
武蔵五日市で塚本と合流し、バスで千足へ。バス停につくとあたりは一面暗闇。少し坂を登ったところにある公衆トイレの近くの開けた場所にテントを張って就寝。

614
4時に起床し、テントを撤収。朝食をとり4:45に出発。10分ほど歩くと車道から山道に入る。そこから30分ほど歩くと、天狗滝と天狗岩が見えた。さらに歩き綾滝を通り過ぎたあたりで一度休憩を入れる。思ったよりもアプローチが急で長い。
綾滝を過ぎたところから、さらに登りが急になり、そこを20分強登ると馬頭刈尾根に出た。尾根に出て、すこし北に進むと「岩場につき落石注意」、という看板があり、そのすぐわきに岩場があった。今思うと何故通り過ぎてしまったのかわからないのだが、そこを通り過ぎさらに北に向かう。(ちなみに通り過ぎた岩場がつづら岩である。)
北に進むと岩場があった。思ったより小さいな、書籍やインターネットの情報と食い違いがあるな、などと不審に思いつつも、割りと新しめのボルトも打ち込んであり、ここをつづら岩と勘違いして、登攀の準備を始める。この岩(名前は付いているのだろうか?)の一番北側(岩を見て左側)のルートを、塚本のリードで登る。20mほどのルートで、準備運動には調度よいかもしれないが、非常に簡単であった。登攀後は下降路を見つけて歩いて降りてくる。
書籍やインターネットの記述と明らかに異なることから、ここはつづら岩ではないのではないか、と判断し、2人でつづら岩を探しに行く。結局先ほど通り過ぎた岩場がつづら岩と判明し、次は右クラックルートを登ることに。
ここも塚本のリードで登る。テラスになっているところもあったが、30mほどのルートなのでピッチは切らずにワンピッチで登る。20分ほどで塚本が終了点に辿り着き、澤田がセカンドで登り、20分弱で終了点へ。久々の岩登りの緊張感からか、体が固く、ヌンチャクを掴んで登ることもあった。終了点からは懸垂で降りる。ちょうど塚本が登り始めて10分くらい経った時、土井も岩場に辿り着き、合流する。
次は3人でオケラルートを登る。ここも塚本がリードし、15分ほどで登り切る。その後澤田がミッテル、土井がラストで登る。チムニーの手前は岩がもろく、落石が起こり得る場所だった。そこからは穴をくぐり抜ける、という感じで恰幅の良い人には厳しいかもしれない。終了点から歩いて取り付きまで戻る予定だったが、下降路がうまく見つけられず懸垂下降で降りることに。鎖のしっかりした支点があったのでそれを利用する。ザイルが引っかかりそうだったので、塚本がザイルをもったまま懸垂。その後澤田、土井の順に降りる。他のパーティーが来ており、ちょうど懸垂下降のルート上にある一般ルートを登りたかったようで、多少迷惑をかけてしまった。また、原因は不明だがヌンチャクがひとつ鎖の近くにクリップされていない状態で置いてあり、それを土井が回収時に下に落としてしまった。幸いにも誰にも当たらなかった。
その後20分ほど休憩し、周辺を歩き下降路を見つける。次は土井のリードでオケラルートを登ることにするが、他のパーティーが登っていたので20分ほど待つ。土井、澤田、塚本の順で登るが、一度登ったルートであったので特に問題はなかった。先ほど見つけた下降路で歩いて取り付きまで戻る。
次は澤田のリードでもう一度オケラルートを登る。初めてのリードであったため、座学で勉強していたとはいえヌンチャクの向きやザイルの流れなどでミスがあった。一度ザイルを木に引っ掛けていたのを気付かずにクライムダウンしてザイルをほどくハメになったのは問題だ。
最後にもう一度右クラックルートを塚本のリードで登る。ただ、時間が押していたため、途中のテラスでピッチを切ってそこから懸垂下降で降りた。
15:40に荷物をまとめて下山を開始し、17時のバスで武蔵五日市駅へ向かう。バスは定刻通りに来た。バス停に鄙びた個人商店があったのが妙に印象に残った。


2014年6月1日日曜日

2014.05.31-06.01 谷川岳マチガ沢新人雪上訓練

谷川岳マチガ沢 新人雪上訓練 記録
                                                                                                  文責:澤田健太郎

メンバー
3年 土井崇史、金山慎介(SL)、塚本宇信
2年 澤田健太郎、白石薫平、伏見修一、松本憲典
1年      阪本豪、杉山普、中西隆史、中山省吾、三浦玲児
OB 田中淳一(CL)、伊東毅、大谷尚史、岸元士

日程 2014531日~61

531
分倍河原 7:00- 10:50 ロープウェイ駅 10:58-11:25 マチガ沢出会 11:54-13:25 雪訓開始 15:22 撤収 -16:00帰幕19:30 就寝

61
起床4:00 -5:45出発-6:45雪渓着10:50休憩11:20訓練再開-撤収 12:25-13:00帰幕13:30-14:00ロープウェイ駅14:10-14:37湯テルメ谷川

531日 晴れ
分倍河原駅と東京駅集合、さらに電車で向かう組の三手に分かれて出発する。一部遅刻者がいたが、全体の計画に影響を及ぼすほどの遅刻ではなく、ほぼ予定通り出発。途中休憩をはさみつつ、ロープウェイ土合駅へ。そこで全体で合流し、指導所に計画書を提出。
林道を歩き、30分ほどでマチガ沢の出会へ。テントを設営せず、荷物を雪訓用に詰め替えて雪渓へ向かう。夏道から雪渓へ向かうが、雪が予想以上に溶けており、道探しに右往左往する。なんとか道を発見し、昨年度訓練を行った場所と同じ、それほど急でない斜面にて雪訓を行うことにする。
まずは伏見の指導で1年生の歩行訓練を行う。キックステップにて雪渓を登ったり降りたり、また菱形に歩行をする練習も行う。その間に、上級生はピッケルストップの練習に備え塹壕を掘る。
30分ほど歩行の練習をしたあと、ピッケルストップの練習に移行する。伏見がまずはデモンストレーションを行い、解説をする。1年生は3人と2人のグループに分け、まずはあまりスピードを出さない状況から制動をさせる。なかなか雪面にピッケルを打ち込めずに苦戦しているものもいたが、全く止まらないというほどではない。上級生も1年生の練習の合間に復習をしておく。最初は尻もちを着いた状態からのピッケルストップ、そして頭から斜面を滑り、体を回転させる形のピッケルストップの練習をした。
1時間ほど制動の練習をしたあと、撤収をする。帰りは雪渓をキックステップにて下り、夏道に合流した。テント場に戻り、テントを設営する。上級生の指導のもと、1年生にもテントの立て方を覚えてもらう。駒場で練習していたとはいえ、まだまだ1年生は手間取っていた。夏合宿前に再度の練習が必要だろう。
本日のエッセンは、ご飯と野菜炒め。1年生に米の炊き方をしっかりと覚えてもらう。昨年の夏山の悲劇を繰り返してはならない。我々にとっては大人数の山行であったので、食事は順次出来たものから食してもらう。米も野菜炒めも会心の出来だった。野菜炒めに対して余ったラーメンのスープを流用するというアイディアは秀逸だった。
食事後、サプライズで白石の誕生日を祝う。エッセン担当の伏見がデザートとして杏仁豆腐を用意してくれていた。
その後、夕飯の後片付けを済ませ、2年は連れ立って一ノ倉沢を見に行く。ずいぶんと暗くなってしまっていたがその圧倒的な存在感は感じ取れた。

61日 晴れ
 4時に起床する。V6の連中が主にエッセンの支度をする。その間に他のテントの者は荷物を片付けテントを撤収。朝のエッセンはぜんざい。はじめての試みだが、美味しく作れた。個人的にはもっとドロドロとしているものが好みだ。
 予定より15分早く、5:45には雪渓に向け出発。1時間弱歩き、昨日と同じ場所へ。キックステップにて少し雪渓を上がり、斜度がきつくなってきたあたりでアイゼンを装着させる。1年生はアイゼンの装着にかなり時間を食った。
 アイゼン装着後、30分ほどアイゼンを着けた状態での歩行訓練を行った。メニューとしては昨日と同じで、上り下り、菱形にて歩くという練習。スパッツにツァッケを引っ掛けて破る1年生はおらず、一安心。
 歩行訓練後、ロープワークの練習に移る。まずはスノーバーを打つ見本を塚本が見せる。その後、まずは肩がらみでのビレーの練習を行う。クライマーの側のザイルを脇の下から出すことや、足場を固めて姿勢を作ることなど基本的なことを伝えた後、実際に1年生にビレーをやってもらう。
そして、パーティーを分けて、1年生がトップ、ミッテル、ラストすべてを経験するようにロープワークの練習を行う。ビレーはルベルソで行った。スノーバーの打ち方や基本的な動作の流れなどは一応確認できたが、再度の練習が必要だろう。
一通りのロープワークの練習後、次は雪面でクローブヒッチを用いての懸垂下降の手順も確認した。1年生も問題なくこなせていた。その後、1年生の2人組にてつるべで雪面を降りて行ってもらい、一度休憩をする。
昼の休憩をとった後、ピッケルストップの練習に移る。まずはアイゼンを着けた状態での実践的な練習をする。1年生にたいしてはアイゼンを雪面に引っ掛けて飛ばされないようにと注意点を伝える。何度か練習をした後、アイゼンを外し、勢いのついた状態や、グリセードから大勢を崩してしまってからのピッケルストップなどの練習をする。2日間の練習で1年生もずいぶんと慣れてきたようだ。
正午過ぎまでピッケルストップの練習をし、テント場へ撤収する。荷物をまとめ、林道を戻り、ロープウェイ駅で車に乗り込み温泉へ向かう。

温泉では阪本が体調不良を訴え、回復を待ったが万一に備え医者へ行くことに。食中毒を疑ったが、急性の胃炎ということで原因ははっきりとはわからず。赤城高原SAで夕食をとり、分倍河原と東京駅に分かれて帰路へ。