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2015年5月30日土曜日

2015.05.30 一ノ倉沢衝立岩中央稜・衝立尾根・国境稜線

記録:白石薫平

メンバー
飯泉和史(CL)、白石薫平

2015年5月30日
晴れのち曇り、夕方に小雨
谷川岳ロープウェイ5:30--6:00一ノ倉沢出合6:20--6:38テールリッジ末端--7:11中央稜基部8:00--11:00衝立の頭11:20--13:10懸垂岩のコル13:25--14:30五ルンゼの頭--15:00一ノ倉岳15:15--15:50オキの耳--16:00トマの耳16:10--18:30谷川岳ロープウェイ

剱岳での夏山合宿を見据えて、昨年初めて経験した一ノ倉沢に、今年もOBの助けを借りて挑むことにした。入門ルートである衝立岩中央稜(以下、中央稜と略す)のあと国境稜線まで抜けることで、ちょっとしたことではヘコタレない力をつけようと意図したルート選択をした。

5月29日(金)21時30分、駒場に集合し谷川岳へ向かった。途中のパーキングエリアで仮眠を挟みながら、30日(土)2時頃ロープウェイの駐車場に到着。エレベーターホールで泥のように眠った。

5時頃起床し、5時30分出発。指導センターで計画書を提出し、一ノ倉沢出合までもくもくと歩いた。出合からは大岩壁が良く見え、車道歩き中に感じていた寝不足と気だるさが吹き飛び、登攀欲を刺激された。ハーネスを着け、6時20分出発。雪渓は先週よりも薄くなっていたが、出合から使うことができてアプローチは楽であった。テールリッジ末端まで快適に上がり、踏み跡に入った。昨年6月と10月に来たときとは打って変わって岩が乾いており、怖い思いをせずにぐんぐん登ることができた。テールリッジ中間のフィックスロープが張ってある箇所は、このロープにカラビナを通して通過した。衝立岩雲稜第一を登っているパーティーを眺めながら、中央稜基部に到着。あまりにもあっさりと着いてしまい、最初は基部までまだ登りが残っていると勘違いしてしまった。中央稜には既に少なくとも3パーティーは取り付いており、烏帽子沢奥壁に転戦することも検討したが、衝立尾根は捨てがたく中央稜を選択。先行パーティーを待って8時に登攀を開始した。中央稜はツルベで登り、奇数ピッチは飯泉リード、偶数ピッチは白石リードである。
1ピッチ目
フェイスを左上するピッチだが、さしたる困難はなかった。
2ピッチ目
烏帽子沢側の凹角を登った。後続パーティーに煽られ、先行パーティーがいなくならない内に我々もロープを伸ばし始めた。ビレイ点には既に2パーティーもいて混雑しており、彼らに使われていなかったハーケン1本と立木でビレイした。
3ピッチ目
出だしのトラバースが緊張するが、以降は快適なフェイスだった。このピッチで1パーティー抜いた。
4ピッチ目
フェイスから衝立岩側の凹角を登る核心ピッチ。先行パーティーがいなくならない内に我々もロープを伸ばしたため、プロテクションが取りづらかった。
5ピッチ目
烏帽子沢側のルンゼを登った。ビレイ点は日陰になっており、水分補給もしたので、少しだけ暑さから解放された。このピッチで1パーティーを抜いた。
6ピッチ目
クラックが走るリッジを登った。折角カムを持ってきたのだからと思い使用したら、クラックがフレアしており回収に手間取らせてしまった。先程抜いたパーティーにナッツキーを借りた。
7ピッチ目
段々と草付きが増え始めた。このピッチで1パーティーを抜いた。
8ピッチ目
衝立尾根が見える地点まで右上気味に登った。
9ピッチ目
少し登ってからクライムダウンをして、尾根に乗った。
衝立尾根には11時に到着。待ち時間込みで3時間で登れたことになる。尾根上で昼飯を食べた。

ここから衝立尾根上は、ロープ1本でアンザイレンし、スタカットで進んだ。まず白石リードで、凹状岩壁終了点まで細い尾根歩き。次に飯泉リードで簡単な岩登りを含むピッチを越え、白石リードで凹角を出てからフェイスを登るピッチをこなした。凹角を出る部分が難しかったが、出口にあったホールドを掴み、腕力と服の摩擦でずり上がった。この辺りで、衝立尾根は難しい岩場は無いが落ちたら一溜まりもないという点が剱岳八ツ峰に似ている、という会話を交わした。

飯泉リードの次ピッチで笹藪を抜け、白石リードで懸垂岩上に出ようとした。まず階段状の岩を3mほど登り、左にトラバースしようとした。残置プロテクションは無く、ランニングは取れていなかった。脚を開いて突っ張ったときにホールドが壊れ、4mほど墜落した。背中から落ちたためザックをクッションとして一回転し、ビレイ点と同じ高さのブッシュで止まった。落ちた拍子に歯で右上唇を切った他は、左膝内側と右足首外側の擦り傷が出来ただけで、大きな怪我がなかった。しかし筆者にとって本チャンでの初めての墜落で、もちろんかなり気が動転した。筆者は冷静になろうと心がけたが、どうしてもその後のロープ操作等に不手際が出てきてしまい、飯泉から「落ち着きな」「気を強く持たないと死んでしまうよ」と言い聞かされた。この件に関する考察は、本稿の最後に記載する。5分間ほど休んで気持ちを落ち着け、リードを交代して懸垂岩に上がった。飯泉は右へ抜け、墜落箇所では頼りなさげな立木であってもランニングを取った。

懸垂岩から10mほど懸垂下降し、アンザイレンしたまま烏帽子沢各ルートの終了点まで20mほど移動した。計画していた南稜上部2ピッチを登る気力はもう残っていなかった。ここでロープをしまい、靴を履き替え、笹薮の中の踏み跡を辿って歩き始めた。5ルンゼの頭までの間でも簡単な岩登りをこなし、5ルンゼの頭の手前で再びロープ1本をつけて靴を履き替え、飯泉リードで最後の岩登りをした。ここから一ノ倉岳までは踏み跡を辿るだけであった。笹藪を漕ぎながら心に去来したのは、岩登りで死ぬのは一瞬なのだろう、あっという間に頭をぶつけて意識を失ってしまうのだろうといった不吉な考えばかりであった。30分ほどでよく整備された国境稜線の登山道に飛び出し、一ノ倉岳の山頂で握手を交わした。やっと危険地帯を抜けたという安堵感が非常に大きかった。

オキの耳、トマの耳へと歩き始めると、東面とは対照的な万太郎谷のなだらかな地形が望まれた。ところが、徐々に越後側から雲が湧き始めて視界を覆い、冷たい風が吹き抜けるようになった。トマの耳まで1時間弱で移動し、西黒尾根の下降を始めた。下り始めには少々雪渓が残っていた。ガレ場の西黒尾根上部は慎重に下ったが、疲労が重なり、筆者は何度か転んだ。樹林帯に入った頃には小雨が降り始めたが、幸い本降りにならない内に下り切ることができた。

車に戻り、鈴森の湯で風呂に入ってから帰った。途中、仮眠を挟みながら帰ったため、駒場に到着したのは31日(日)3時15分だった。

さて、まず墜落について考察する。要因は以下のような事項であると考える:
  1. プロテクションを取っていなかった(取れていなかった)こと
  2. 元々ランナウト気味に登っていたこと
  3. 脆い岩への対処が未熟だったこと
  4. 暑さと寝不足で注意力が低下していたこと
元々ランナウト気味だったことは、中央稜4ピッチ目登攀後に飯泉から一応指摘されていたことである。墜落したピッチについて言えば、残置プロテクションが無かったことが主要因だが、きっと簡単だから落ちずに登れるだろうという驕りがあったかもしれない。脆い岩への対処としては、本チャンの岩は壊れる可能性があるという認識が甘かったことが根本にあり、御座なりな選択に繋がったと言える。また、プロテクションが取れていないにも関わらず大胆なルート取り・ムーブをしたという点にも、本チャンへの認識の甘さが見て取れる。暑さと寝不足については、ツルベでの中央稜登攀中から直射日光を浴び続け、前夜は数時間の仮眠しか取っていないということの現れである。

以上の要因への考え得る対策としては
  1. 出だしはすぐにランニングを取る。ランニングの間隔はなるべく明けない。
  2. ランナウト時には最大限のアラートを発し、岩の様子が違う箇所を回避したり、大胆なムーブは避けたりする。
  3. 岩は欠けるものだという認識を心に刻む。
  4. 注意力が落ちていると感じるときは、パートナーや他パーティーに遠慮せず休憩する。休憩できない場合は栄養ドリンクを飲んで一時的に集中力を取り戻す。
といったものである。

今回は、良好なコンディションの一般ルートならばツルベで十分に登れるということが分かり、あまり人の通らない衝立尾根にトレースをつけられたという点で、成果の多い登攀をすることができた。しかしながら、重大な事態に繋がりかねない墜落を引き起こし、その後の精神的リカバリーなどの対応は完全にOB頼りだったこともあり、素直には喜べない心境である。つまり、クライミング自体の成長は認めるが、山登りとしては一から修行し直しだと一ノ倉沢に突きつけられた気分なのである。

TUSACは現在、山での登攀技術向上に資するという認識の下、効率よく訓練が出来るジムやゲレンデでの練習に傾き気味である。不確実性の低いこうした場所で登れない者が本物の岩壁を登れるはずがないので、この手の練習は有効ではあるが、万能ではないということが今回の墜落でよく分かった。この意味で、今回の教訓は現在のTUSAC全体にとって意味のあるものであると考える。教訓を共有し、安全な活動を続けていきたい。

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