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2015年5月2日土曜日

2015.05.02-04 毛猛連山

記録:白石薫平

メンバー
土井崇史、白石薫平(CL)、杉山普、三浦玲児

2015年5月2日(土)
晴れ
10:30奥只見丸山スキー場10:40--11:10第2リフト終点11:15--12:13 1225標高点--13:09 1376標高点13:25--15:20未丈ヶ岳15:30--16:15赤柴山手前鞍部

2015年5月3日(日)
晴れ
3:30赤柴山手前鞍部4:46--6:09赤柴山6:21--7:21大鳥岳7:41--8:32 1239標高点8:45--10:44毛猛山手前鞍部11:05--14:07毛猛山14:30--15:15 1268標高点

2015年5月4日(月)
晴れのち曇り、昼過ぎに一時小雨
3:00 1268標高点4:20--6:43 1176標高点6:52--7:45前毛猛山手前鞍部8:02--9:40前毛猛山9:47--10:35 1047標高点10:46--11:57 962標高点12:10--12:25六十里越12:30--13:05国道252号線13:15--16:02大白川

発端

南会津と呼ばれる山域は、訪れる者が限られ、街の喧噪とは無縁の場所である。ダムが作られて、林道も出来た現代とはいえ、日本アルプスや八ヶ岳といった山域とは全く異なる顔をして、悠然と構えている。私にとっては、登山を始めた頃に抱いていた冒険への憧れを掻き立ててくれる、魅惑的な山域であった。

2015年5月の連休は、その山域に初めて足を踏み入れることに決めた。これには幾つかのきっかけがある。まず、昨年9月に登山体系を眺めて空想を広げていた頃、OBから白戸川周辺沢登り山行の話を聞いた。そして同じ時期に、古本屋で『岳人』2013年4月号を立ち読みしたところ、服部文祥の南会津縦断山行の記事が目に入った。これら一連の出来事に触発され、連休の機会を生かして南会津に足跡を残そうと私は決意したのだ。初めての南会津には、残雪期に比較的歩かれている未丈ヶ岳・毛猛山・六十里越の稜線に照準を合わせた。

しかし、私にとっていくら魅惑的とは言え、辺鄙な場所にあり、長くて藪漕ぎもあろうという計画である。同行してくれる人などいるのだろうかと恐る恐る部会にかけたが、幸運なことに4人パーティーを組むことができた。偏奇な趣味を持つ同志に感謝する。

実行に移すにあたり、不安な点はいくつかあった。一つ目は安全圏からは隔絶された場所であるということ。徹底した軽量化で対策することにした。二つ目は土地勘のない場所で、藪漕ぎをする可能性が高いということ。これについてはOBの大谷尚史さんにGPSを借りることにした。三つ目は雪渓の登降に関する安全な判断ができるかということ。4年の土井がメンバーに加わってくれたので、協力して判断するようにした。特に軽量化については綿密に考えた。狭さを承知で4人用テントを選び、コッヘルも食器で代用した。シュラフはもちろん薄い夏用だ。食糧も乾燥米を中心に計画した。

なお、この記録文で登場する地名は、すべて日本登山体系に沿ったものにする。

5月2日

集合は、奥只見丸山スキー場の無料送迎バス内とした。3人は浦佐まで新幹線で行ってバスに乗車したが、深夜に小出ICから小出駅まで50分間歩いて乗車した猛者もいた。天気予報では、2日と3日は晴れ、4日午後から崩れるということだったので、初めの2日間でどれだけ進めるかが鍵だとバスでは話し合った。スキー場に到着し、リフト券を2枚購入して第2リフトの終点まで上がった。

歩き始めはなだらかなコウノキ沢の源頭部であり、方向だけ見定めて自由に歩いた。我々と同様に未丈ヶ岳方面に向かう3人パーティーと同時に出発したので、彼らがルート選択の助けになった面も大きい。まずは源頭部の緩傾斜地の西端にある1260mのピークに登った。そこから登路を北上させると少し藪になったが、すぐさま雪渓に戻った。1225標高点から丸山と日向倉山・未丈ヶ岳を繋ぐ稜線に乗り、西へと歩みを進めた。そして日向倉山・未丈ヶ岳の稜線に合流する1376標高点で休憩し、再び北上した。ここからの下降で藪が出現し、東側の雪渓と藪とを行き来しながら登った。未丈ヶ岳まで標高差100mを残して最後の休憩し、山頂直下の藪に突入した。露岩を登ったりもしながら、山頂付近にたどり着いた。GPSを用いて山頂を探し、登頂を果たした。


未丈ヶ岳北側の気持ちの良い斜面


山頂からの下りはなだらかな雪面で、快適に下ることができた。下りきったところにある赤柴山(1352標高点)手前の鞍部の雪渓上に幕営した。湿った雪で水作りがはかどり、19時には寝ることができた。満月の夜は全く寒くなく熟睡した。

5月3日

3時30分に起床した。朝食はお湯をかければ食べられるメニューとしていたので、起床後1時間15分で出発できた。

赤柴山への登りは藪の中を進んだ。途中で急な雪渓が利用できたので、アイゼンをつけて登った。何の標識もない山頂を後にし、雪渓を伝って大鳥岳に向かった。大鳥岳から北も快適な雪渓を使え、見渡す限りの南会津の山々の景観もあり、非常に気分が良かった。もう一度稜線上で休憩した後、雪渓上の足跡が東側斜面に下りていたので我々もそれに従った。すると急傾斜の雪渓のトラバースが出現したので、アイゼンを履いて一人一人渡った。その後は笹藪を下りたり雪渓を登り返したりして、ようやく毛猛山手前の鞍部に到着して稜線上に復帰できた。藪の中では土埃が酷く、私は鼻水が垂れて非常に困った。歩行中は紙で鼻をかむのが容易ではないため、笹の葉や樹林の葉に顔を埋め、葉で鼻水を拭って解決した。


毛猛山


ここからは毛猛山への長い登りだが、気温が上昇していたため非常に辛かった。白石を初めとして全員が熱中症気味になりながらも雪渓を登れるだけ登り、最後の密藪に突入した。毛猛山直下の藪が全行程中で最も酷かった。笹と石楠花が混在したもので、背丈を越える藪を30分は漕ぐ羽目になった。途中、前方から人間の声が聞こえ、未丈ヶ岳手前で3人パーティーと別れて以来の別パーティーと遭遇するかと思ったが、藪が濃すぎて姿を見ることはできなかった。ようやく藪が終了し、狭い山頂に到着した。立派な三角点が鎮座しており、担ぎ上げた際の苦労に思いを馳せた。山頂から見渡せる未丈ヶ岳からの稜線を眺めると、岳人マイナー12名山の一つに立てたという達成感が大きかった。しかし、六十里越まではまだ黒々とした稜線があるのだと自分たちに言い聞かせ、下降を開始した。雪渓を下りきると1268標高点の手前に到着した。ここで標高点に土井と三浦が登って先の稜線を見渡したが、次にテントが張れそうな雪渓まではまだ距離があるということで、幕営を決めた。昨晩よりは寒い夜で、夜中には風も吹いていた。

5月4日

朝は3時起床とした。天気が持つという午前中の内に国道252号線まで行きたかったからである。

出発してからしばらくは藪を漕ぎ、45分後に急な雪渓に出た。朝で雪面が硬く、アイゼンを履いてクライムダウンを交えながら下降した。続く藪尾根を歩いていると、5時40分にボロボロな露岩の斜面に出た。クライムダウンでも下りられないことはなさそうだったが、疲労した身体と大ザックであるから、懸垂下降することにした。支点は近くの立木に取り、三浦以外は下降器を持っていなかったので、半マストで下った。白石が始めに下り、三浦、杉山、土井と続いた。10mの下降をこなし、再び藪尾根を歩き出した。この尾根上には石楠花が麗しい花を咲かせていた。初めは踏むのもどうかと思い避けていたが、直にそんなことには構っていられなくなる。花だろうが何だろうが、行く手を阻むものは容赦なく踏み荒らし、先を急いだ。そうして前毛猛山手前の鞍部を通過し、登りに入った。雪渓から藪、また雪渓へと登路を取り、山頂直下の藪を漕いで前毛猛山に登頂した。気温は高く、風も通らないため、早々に山頂を後にした。


車道が見えた!

前毛猛山からの下りは、疲労と暑さと藪とが重なり、最も精神的に辛い区間だった。これまでの稜線に比べると踏み跡は少々見えていたが、あまり助けにはならなかった。空が曇り出した頃、六十里越に到着。到着と同時に雨が降り始め、雨具やザックカバーの支度を整えた。降ったり止んだりの天気の中、整備された登山道を使って下降を開始した。これまでの藪尾根とは大違いで、先人への感謝の念を抱いた。登山道の沢横断部分には雪渓が残っており、トラバースには気を使った。そして13時過ぎ、ついに国道に降り立ち、重圧から解放された。ここからは、車が通れば大白川までヒッチハイクでもと思ったが、車両通行止めのため実現せず、3時間しっかり歩くことになった。疲れた足には辛い歩きだったが、雨が降らなかったことが唯一の救いだった。心を空っぽにして歩き、16時過ぎには駅に到着。全員が駅にたどり着いたちょうどその時、只見線が出発してしまった。ここで3時間待ちかと天を仰いだが、バスが1時間後に来ることが分かり、無事帰宅することができた。

振り返り

初めに不安点を三つ挙げたが、一つずつ振り返ろう。

安全圏からの隔絶と軽量化については、概ね成功した。軽量化により長時間行動が可能になり、2泊3日の行動に繋がった。ただし、さらに軽量化できたという反省も浮かび上がった。計画から必然的に推測できた軽量化としては、ガスの軽減がある。結果としては2缶で十分だった。標高の高くない山で、4人用テントに4人が入って生活するため、強い寒さはない。また、日本海側の湿った雪があるので、水作りも手間取らない。以上を考え、軽減ができたはずだ。天気予報から推測できた軽量化としては、ワカン・ストック・たわし・防寒用手袋の削減がある。結果として、以上の装備は使わなかった。残雪期であるから雪は締まっており、天気予報も大雪の予報ではない。軽量化により天気が崩れる前には抜けられるはずだ。以上を読み切ることができれば、削減の判断も可能だったはずだ。この二つを実行していたとすると、一人当たり約1.4kgの削減が可能だったことになる。食糧については、皆各自で工夫して軽量化して臨んでおり、成功だった。

藪漕ぎとルートファインディングについては、成功した。猛烈な藪漕ぎは初めての経験だったが、皆安定して歩けていた。ルートファインディングについては、心配したほどの難しさはなく、むしろ丸見えの稜線を伝っていくだけという感覚だった。GPSについては、現在地確認のために使った。これにより、行程のペースや藪漕ぎの残り距離が明快に分かり、精神的疲労を軽減した。

雪渓の判断については、成功した。恐怖心が先に立つような場面では積極的にアイゼンを使い、クライムダウンも多用することで、無事に行動を終えられた。

全体的に見て、今回は天候に恵まれ、精神面と体力面において充実した山行になった。国道に降り立ったときの皆の表情がその証左である。こういう山行を積み重ねていくことで力がついていくのだろう。一度入山すれば歩き切るしかないルートに入り、無事成功させることができ、記憶に残る山行となったことに満足している。

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